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学びは目的が先にある〜しゃかチャレを通じたこどもたちの熱い学び〜

株式会社Ridilover(リディラバ)と一緒に社会課題解決チャレンジ(しゃかチャレ)をやってます。リディ部に所属する大人たちがメンターとなって、全国各地の小学生と一緒に社会課題を解決しようというプロジェクトです。

しゃかチャレのことやおもしろさについては、また別に書こうと思うのですが。今日はしゃかチャレで生まれているこどもたちとメンターの交流について。まずはこれを見てください。メンターの方の呟きです。​

その画面の向こうの三年生。誰に言われるでもなく、自分で本を借りてきて、放課後の時間でノートにまとめてSlackで報告しています。

たなかしさん!彼は一生懸命打ち込んでますよ!!

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そしてこれは別の校舎で取り組んでいるこどもの一コマ。チームでのMTGの後にひとりカタカタPCに向かっている二年生の女の子。

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近づいていくと…

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Slack使いこなしすぎ問題

っていうか、二年生って「状況をお伝えします」とか言えるんだっけ?
メンションとかできるんだっけ?
僕が二年生の頃って、学童からの帰り道にウンコを我慢できなくてマンションの下の小径で野グソしてるとこを、近所のおじさんに見つかってメチャクチャ怒られてた頃ですよ。

ほんでもって、こどもたちはメンターの方にSlackで報告してるんですが、校舎にあるPCやタブレットって基本的にローマ字入力なので。二年生とか三年生の子たちが「"じゃ"って"ZYA"?だっけ?」「"JA"のほうが早い?」とか会話してるわけですよ。

で、Slackでメンターとやり取りしたいからって、黙々とタイピング練習してました。校舎を越えて、こどもたちでタイピングの点数ランキング競ってるそう。(僕も参加して、社畜の実力を見せてやりました)

「学び」って手段じゃなくて目的が先にあるんですよね。

メンターに自分の考えや思いを伝えたいからタイピング練習するのであって、逆では絶対にない。

教育者って教えたがりだから、つい手段を教えちゃうんですけど。大人が作り込んだ「プログラム」をこどもにやらせて自己満足に浸っちゃうんですけど。誰にとっても、目的がないのに手段を磨くことほど辛いことはない。

僕たちこどもたちに関わることを許された大人にできることは、こどもたちの目的をこどもたちと一緒に見つけたり、考えたりすることなのではないでしょうか。(先日のこどもの権利勉強会では、予め定められた「プログラム」ではなく、こどもたちとの「共同プロジェクト」なんて話もありました。ちなみに次回の勉強会はリディラバ代表の安部くんとしゃかチャレについても語ります)

それだけあればこどもたちは勝手に学ぶし、成長します。

しゃかチャレもこの段階にくるまでは本当に大変でした。こどもたちは日によってやる気もテンションも違います。チームで取り組んでいるので意見が違うこともあれば、ケンカになることもあります。完全自由参加なので、「もうやめたい」と言う子とマンツーマンで「しゃかチャレをやめたいのか、それとも何か嫌なことがあるのか」という話をしたり。実際に途中でやめた子も何人かいます。でも、それはそれでいいんだ思います。自分の一番星を見つければ。

野グソして怒られてた僕でもなんとか生きてこられたので。自分の「やりたい」と向き合っていれば、きっとみんないつか幸せになれるはず。

そうです。人は幸せになるために学ぶのです。

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