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桃は主人の愛人。

長女の桃は、2003年の5月に天野家の子どもになりました。
桃は、2003年3月3日生まれ。
子どもの名前は、全員、主人が考えてつけてくれました。
長男のドコは、実家の松山にココ(マルチーズとシーズーのMIX)という名前のワンちゃんがいて、「ここはどこ?」という流れで、ドコになりました。

次男のミノは、ミノが子どもになってくれた日、二人で焼肉を食べにいってて、その流れからミノになりました。ひねりがないねえ。

桃は、はじめての女の子だから、すごく悩んでいました。
「うん。ももにしよう!でも、名前負けするかなあ?」と、主人。
桃の節句に生まれたから、「もも」なんだと思いきや、全く違っていました。

ドイツの作家ミヒャエル・エンデの児童文学『MOMO』のももだって!
MOMO、もも、桃。桃と書くけどMOMOなんです。

末っ子のメイは、メイデーのメイ。

おりこうさん組(パパ組)と、おばか組(ママ組)

主人と長男のドコと長女の桃。
「おりこうさん組」=パパ組。

私と次男のミノと次女のメイは、「おばか組」=ママ組。

ミノは「ママは俺の女だから誰もさわるなよ。パパもな!」と、主人をライバル視していて、メイは「ママはメイだけのママだから、ママをさわるパパはキラい!」という態度をとってたんです(笑)。
それで、主人が「おりこうさん組」と「おばか組」というようになりました。

「おりこうさん組」は、おっとりしていて問題なし。

「おばか組」は、私を筆頭に、おばかっぷりが笑えるんです。

兄妹の絆はかたく、例えばメイが他のワンちゃんに、遊ぼう〜って追いかけられたりすると、

「うちの妹になにしてんねん〜!うらうらぁ〜!」と、無言で桃が助けにくる。なにがおりこうさん組なんだか。

メイは他のワンちゃんと遊ぶの好きなんだけど、妹にちょっかい出すんじゃねえ!と、

ミノ兄ちゃん登場。「俺の妹に手を出すんじゃねえよ!」と、本気で怒るミノ兄ちゃん。メイは、お兄ちゃんがきてくれたから余裕ぶっこき。

桃のことが心配で心配でたまらない主人は、大きいワンちゃんを見ると、桃だけを守る。

「桃。これは海っていうんだよ」と、海の説明をする主人。

「桃。あれは列車っていうんだよ」と、列車の説明をする主人。

とにかくイチャコラ、イチャコラしすぎ!
目に中に入れても痛くないをとおりすぎて、「桃たんぴん、食べちゃうぞ〜」と、いつも主人に食べられていた桃。

一番身体が小さいのに、誰よりも食いしん坊だった桃。

謎の無言攻撃。

2019年1月、渋谷のラジオを休ませていただいたのは、愛する家族を失ったショックと、メイの心のケアと、とにかくいっぱいいっぱいだったんです。
この気持ちを隠して、渋谷のラジオで2時間楽しそうにやることはできるけれど、それは渋谷のラジオではないと思ったんです。
この辺りのことは、また書きますね。

桃が突然、主人のもとへ

2019年1月5日(土)、桃とメイも元気で、獣医さんで診察、シャンプーをしてもらいました。
1月6日(日)、私は渋谷のラジオへ。家に帰って桃とメイにご飯をあげて、いつものようにベッドで寝てました。
でも、いつもと違い私の身体から離れようとしない。そこから、急変し、私の腕の中で、何回も何回も桃は死と闘っていました。

動物には、死の観念がありません。

人間だったら、酸素吸入とか、苦しみをとる方法がありますが、それがないということは、壮絶な闘いなんです。

1月7日(月)の朝10時ころ、桃は主人のもとへ行きました。
1月11日(金)、桃を荼毘に付しました。

主人も私に抱かれながらこの世を去り、ドコもミノも桃も私の腕の中でこの世を去りました。

なんで、みんな私の腕の中で逝ってしまうの?
メイもいつかは、私の腕の中で逝ってしまうの?

のこされる私の気持ちを、祐ちゃんもドコもミノも桃も考えてよ。

何回、こんな思いをしなければいけないの?
私って、一体なんなの?
そういう役割なの?
そんな気持ちでいっぱいいっぱいになって、心の身動きが取れなくなってしまったんです。

「たかが犬だよ。犬畜生っていう言葉があるじゃない。」

ある作家さんが、私に言った言葉です。
2015年くらいでしょうか。ある男性の作家さんが、我が子たちを愛する私に向かって、「たかが犬だよ。犬畜生って言葉があるじゃない。一番大事なのは、人間だよ?自分だよ?その考え方はおかしいね」と、言ったんです。


「おい!待てコラ!あんたに言われたくないね」と、心の中は怒りでムラムラ。
主人も私も、犬は大切な家族で、最優先に我が子たちのことを考えていたと話すと、
「天野さんの考え方も変だね!うちも犬を飼ってたけど、8年くらいで死んだなあ。きっと役割が終えたんだね。」

えぇーーー!犬を飼ってたのに、こういう考え方の人もいるんだ。
人それぞれ考え方は違うけど、直接言われたのはビックリだしショックでした。

だから、桃のことは、私の親友や渋谷のラジオの一部の人にしか言えなかったんです。
渋谷のラジオの理事長の箭内さん、そして日曜日総合司会の江口さんに、桃のことを伝え、自分が今どうなってるのかわからないこと、どうしていいのかわからないこと。今は、ひとりになりたいこと。こんな気持ちの私が渋谷のラジオにいてはいけないんじゃないか。
頭の中が混乱してる月曜日に伝えたので、正確には覚えていないけど内容はこんな感じでした。


箭内さんも江口さんも、理解してくださって、私が落ち着くまで待っててくれたんです。
休んでる間、「渋谷の寡婦さん寡夫さん」をつないでくれた、準レギュラーのOchiroくん、KAZさん、ゲストに呼んだシネバカのスリーアミーゴズのみんなには桃のことを伝えていました。

メイとベッドの中で、「渋谷の寡婦さん寡夫さん」を、聴いていました。

番組中、ときどき、広瀬ディレクターとメッセンジャーでやりとりをして、様子を聞いたりしてましたが、リスナーとして心のそこから、「ああ、渋谷のラジオってあったかいなあ」と思いました。
みんなの楽しそうな声、一生懸命な声。泣きながらも、クスクス笑ってる私がいたんです。

リビングにある主人の遺骨。
天野家全員が揃ったら、散骨をしようと決めています。
主人とドコとミノの遺骨、そして桃が仲間入りしました。
その骨壷を眺めていたら、なんか祐ちゃんたち楽しそうだなあと感じたんです。

私とメイは、二人になってさみしいのに、そっちは賑やかでいいねって。
なんだか、腹がたつ(笑)。

で、なんとなく、主人のCM天気図を読んでいたんです。
主人の言葉にふれていると、「伊佐子、こういうことだよ」と、助けてくれることが多いんです。

渋谷のラジオってなんだ?

クリエイティブ・ディレクター、そして渋谷のラジオの理事長でもある箭内道彦さんが作ったCMを取りあげて書いたコラムを読み返しました。

「路地」を再生する 
天野祐吉

東京マラソンを、テレビで見た。相変わらず、道路を埋めつくす参加者の熱気がすごい。

 マラソンの合間に、東京メトロのCMも見た。いつもは東京周辺にしか流れていないCMだが、この日だけは全国に流れたらしい。

 タイトルは「東京ハート」。新垣結衣を中心に、皇居のまわりをジョギングする人、地下鉄のホームで駅員に何かをたずねる人、たいやきを売っている人……さまざまな人たちのさまざまな生活の断片が、高橋優の歌をバックにつながれていく。ナレーションはあまりない。で、最後に「メトロが心をつないでいく」という文字が出る。

 東京は一見、ノッペラボーの街である。あわただしく走るクルマ、せかせかと歩く人びと、スクランブル交差点をうねるように渡ってくる人の波……ここには、人間を感じさせるような匂いがない。生活が息づけるようなヒダがない。

 が、そんなふうに見える東京にも、人と人の心をつなぐきずながある、とこのCMは語りかけてくる。で、地下鉄が人びとのそんなきずなを支えるメディアになっているという。

 恋人に会いにちょっと家を抜け出す。孫の顔を見にお菓子を持って家を出る。けんかした友だちと仲直りの一杯をやりにぶらっと出かける。そういう小さな、でも大切なつながりのための「路地」になっているのが地下鉄だ、ということだろう。そう言えば、いまの地下鉄の路線図は、東京という街から失われてしまった昔の路地の入り組んだ姿を、地下に再現したもののようにも見えてくる。

 昭和も30年代までは、東京にもたくさんの「路地」があり、「ご町内」があった。で、そこにはたいてい新垣結衣みたいなかわいい娘さんがいて、すれ違えば「こんにちは」と、明るい声であいさつをしてくれた。
(コラムニスト)

地下鉄が、渋谷のラジオなんだな。
渋谷のラジオは、人と人の心をつなぐ支えとなっているメディアなんだな。

そして、路地はFM87.8MHzのことなんだな。
渋谷のラジオのスタジオにいる人と、アプリを通して聴いてくれてるみなさんのことなんだな。
そういう場所を箭内さんは、渋谷に作ってくれたんだな。
だから、渋谷のラジオは、渋谷のラジオにいる人も、聴いてくださってるみなさんもあったかいんだな。

だから、私も明るい声で「こんにちは」と、あいさつしなきゃな。

そう思ったんです。

私の腕の中で、主人もドコもミノも桃も、この世界からいなくなったけど、それは、「伊佐子、愛してるよ。ママ、愛してるよ。」と、はかりきれないほどの愛をくれたんだな。
そして、いつになるのかわからないけど、今度はみんなが私を抱きしめにきてくれて、私はこの世界からいなくなるんだな。
その様子(幻覚)は、私にしか見えないけれど。

もっと、こうしてあげれば良かったという悔いは、ひとつもありません。

もっと一緒にいたかった、その思いだけです。

毎日、あふれんばかりの愛でいっぱいでした。

その愛が、たかが身体がこの世からなくなったぐらいで消えはしません。

辛い思いも、さみしい思いも、悲しい思いも、イコール愛してるなんです。

未亡人だけど愛する主人と一緒に、楽しく生きてまいります!渋谷のラジオ(FM87.6MHz)「渋谷の寡婦さん寡夫さん」では、サントリーのほろよいを必ず買って飲みながら番組やってます。できればサポートお願いします。ゲストのみんなのほろよい代に使います!