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『あの夏のルカ』のアルベルトはシー・モンスター世界の「システム・クラッシャー」だったのか?

今年5月に考察記事を上げた、『あの夏のルカ』のアルベルト。

配信開始時からずっと共感や違和感がグルグル渦巻いていたのですが、調べれば調べるほど闇ばかり出てくるタイプのキャラだったことが明らかになったので、以下にまとめました。

私としては色々と思う所のあるキャラですが、観た人誰もが彼に同情・共感するのもわかるんですよ。

一見頼れる兄貴分に見せかけて実は、誰もが経験したであろう嫉妬や劣等感、疎外感といった負の感情を体現したキャラであり、なおかつ子供一人が背負うにはあまりに重すぎる背景。
負の感情をこじらせたがゆえに得たもの全てを失うも、そこから脱却していく過程はやはり熱いし、ジーンとなる。

そんなキャラでしたが、先日まさに彼の背景と色々と重なる子供を主人公とした映画を観ました。

それは、『システム・クラッシャー』

嵐のような9歳の女の子ベニー。
幼少期、父親から受けた暴力的トラウマ(赤ん坊の時に、おむつを顔に押し付けられた)を十字架のように背負い手の付けようのない暴れん坊になる。里親、グループホーム、特別支援学校、どこに行こうと追い出されてしまう、ベニーの願いはただひとつ。
かけがえのない愛、安心できる場所、そう!ただママのもとに帰りたいと願うだけ。
居場所がなくなり、解決策もなくなったところに、非暴力トレーナーのミヒャはある提案をする。
ベニーを森の中深くの山小屋に連れて行き、3週間の隔離療法を受けさせること…。

公式サイトのあらすじ

Filmarksの方にもレビューを上げたのですが、まあ凄まじい映画でした。
本当にちょっとしたことで、全身全霊で叫び暴れ回り、物を投げつける、万引きする、テーブルの上で飛び跳ねる、部屋の中で放尿するという狼藉の限りを働くベニー。
一歩間違えば死人出るんじゃないか?という暴れ方だし、冗談抜きで観ている間の緊張感が半端ない。

しかしベニーの背景は、幼い頃父親から受けた虐待が原因で凄まじい狂暴性を持ってしまったというもの。
特に顔を赤の他人に触れられると、パニック発作を起こしてしまう。
母親はどう扱っていいかわからずに施設に押しつけ、ついには散々はぐらかした末に匙を投げだす。そのことを、娘に告げることさえしないまま……
施設側の職員も精一杯に向き合ってくれてますが、あくまで職員という立場ゆえに深入りできず、ベニーは愛情を求めては傷ついてを繰り返している……

これを観て思ったわけですよ。

あれ、アルベルトとベニー似てない?

アルベルトにはベニーのような狂暴性はなく、その背景についても明確に語られているのは、父親が失踪し、長い間無人島で孤独に過ごしていたということのみ。
ですが、非礼を詫びに来たルカに対しての「お前は俺と違っていい子だけど、俺は何でも、ぶち壊してばっかりだ……」という発言からは、色々と察せられるものがあります。

もしかしたら彼はルカと出会う前から、深刻なトラブルを起こし続けて各地をたらい回しにされており、これに疲弊しきった父親はついに勘当したのではないか。
だとしたら、無人島に彼を置き去りにしたことにも説明がつく。
あまりにも問題ばかり起こすので、もはやシー・モンスター社会で受け入れ先がどこにも無くなっていたのではないか……?

「システム・クラッシャー」とは、極めて乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする子供のことを表す言葉。
アルベルトの場合、手に負えない乱暴者というよりは、やることなすこと尽くズレてて空回りし、負の感情をこじらせていくというタイプ。
ですが、それが度を越してるからこそ、シー・モンスター社会における「システム・クラッシャー」になっていたのかもしれないと思うわけですよ。
作中ではルカとの出会いがきっかけで人間社会に新天地を求めるも、結局自分の思い通りに行かなくなった途端に醜悪なエゴを露呈し、ルカから見限られていきました。

早い段階で問題児だと分かるベニーと違い、アルベルトの場合妙なカリスマ性があるおかげで、初見でその問題児ぶりに気づくのはまず不可能。
実際は父親に見捨てられたトラウマから、自分を立派に見せることでしか関係を構築・維持できないというタイプの子なのですが。
さらに逃げ場のないタイミングで自分たちの種族最大の秘密を暴露するという狡猾さも持ち合わせていた。
ベニーみたいな子は少なくとも私の周りにはいなかったのですが、アルベルトの場合、生い立ちや言動が私の父ほぼそのまんまだったので、観ていてあまりにも生々しくて怖くなるものがありました。

アルベルトとベニー、どちらも愛情を渇望しながら、自分に大きな非があることを理解していながら、救いの蜘蛛の糸を目の前に垂らされても引きちぎるようなマネばかりしてしまうのが痛々しいです。

それでもアルベルトは最後、善性が獣性に勝り、人間と共生していく道を選びました。
ルカが謝罪に訪れた後は、「一度自分を裏切った相手とはいえ、その善意や誠意を無下に扱っていいのか」「チームを破壊した自分がおめおめと戻ってきていいのか」など葛藤し続けていたはず。
実際小説版では、「今頃ルカとジュリアがレースで頑張ってるのに、俺ってこんな所で何してんだろ……」状態になってました。
ですが、救いの手を拒絶し続けても何も変わらないことに気づいたのでしょう。
それらを乗り越え、大雨の中正体バレのリスク度外視でルカを助けに行くところで燃えたり泣いたりした人は多いでしょう。

ベニーの場合、彼女の母親の無責任さを目の当たりにして心が折れてしまったケースワーカーのバファネに寄り添ったり、ミヒャの子供を世話するばかりか、顔を触られても発作を起こさなかったりと、他者を思う気持ちを見せ成長する描写が確かにある。あるのですが……
結局、気性の改善の兆しを見せてもすぐ狂暴性を露呈するため、元の木阿弥に。
最後はケニアに送られることになるのですが、空港で脱走。
楽しそうな表情で逃げ回り、画面右上にヒビが入るという不気味な演出で物語は幕を閉じる。
彼女は最後の最後まであらゆる決まり事を振り切り、第4の壁すら破壊しているように見えました。
まるで、こういう子はフィクションでなく現実にいると突きつけてくるかのように……

最後の最後で問題児から脱却したアルベルト。
最後まで問題児のままどころか、むしろ悪化したとも取れるベニー。
明暗の分かれた二人ですが、『システム・クラッシャー』のED曲はニーナ・シモンの『Ain't Got No, I Got Life』。
これを聴いてると、ベニーは何だかんだでたくましく生き抜いていきそうな気がします。

同時に、全てを失ってもなお残る尊厳を歌い上げた歌詞は、どんな人でも自由に生きる権利があることを訴えてくる。

私には家がない 靴がない お金もない 私にはなにもない…
私にあるもの 誰にも奪えないもの…
私には命がある 自由がある 私は生きている!


それは、あの二人にも当てはまることなのです。


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