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幸せになれないという人。

幸せになれないという人。

実はもう沢山そばにある「幸せ」に馴れてしまい、
見えなくなっている。見ようともしてない。

日本は美味しいものがたくさんあって、
今は戦争をしていない。

夏はエアコンの効いた部屋で映画もみれるし、本も読める。

外に出ても電車があって好きなところに行ける。
ケータイ電話をそれぞれが持っているから、
すぐに情報を調べることが出来る。
電話なのに好きな音楽も流せる。

人生と書いて幸せと読んでもいい時代だと思う。

自分の生き方を自分で決められない時代は、
つい最近まであった。

生まれた時点で跡継ぎと決められていたり、
結婚相手や恋愛する人を自分で選べるようになったのも、この頃になってからじゃないか。

そんな時代でも幸せはたくさんあっただろう。

あとは、不幸な自分が好きで、周りと自分にそれを認めて欲しいんじゃないか。

そんな気持ちじゃ幸せになれないだろうし、

そういう人は来世も不幸で、
その次の生になっても、
自分は不幸だというんだろう。

そういう人は生活の中で、
不幸だと思い込んだ出来事の後に起きた
「自分にとって都合の良い事」
でしか「幸せ」と感じられなさそうで、
とても大変そうだ。

戦争や虐待からうまれる
「どうしようもない暴力」
に巻き込まれていない限り、

幸せは目の前にたくさんあるから、

歩いたりして見つけたらいいと思う。
空が青くて風が気持ちいいとか。
猫が可愛いとか、好きな人が笑ってくれたとか。

平和が飽和してくると
「吾輩は不幸である」と言いたくなるのは
文化の1つなのだろう。

俺はパンダになりたい。

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