再読『利休にたずねよ』:70代の凄味をめざして

山本兼一さんの直木賞受賞作『利休にたずねよ』2周目を読み終えた。茶の湯の達人・千利休の生涯を「逆から」たどり、原点となったある女性との関係性に焦点を当てていく… というプロットなのだが、とにかく利休の60代〜70代の凄味がはんぱない。鬼のような美への追究と創意工夫。

この作品を通じて気に入った一節がある。234ページ、利休67歳。太宰府へ流される大徳寺の古渓宗陳を送る席でのやりとり。

「人は、だれしも毒をもっておりましょう。毒あればこそ、生きる力も湧いてくるのではありますまいか」
たしかに、むさぼりの心があればこそ、生きる力も湧いてくる。
「肝要なのは、毒をいかに、志にまで高めるかではありますまいか。高きをめざして貪り、凡庸であることに怒り、愚かなまでに励めばいかがでございましょう」

仏教で「三毒」とされる貪(むさぼり)・瞋(いかり)・癡(おろかさ)を、道を究める態度としてポジティブに言い換えた見事なウイットだ。利休は結局、その凄味ゆえに関白秀吉から疎まれ死を賜り、謝るよりも美を追究し続けて腹を切る… ということになるのだが、プロとして何歳になっても研鑽を続ける姿勢、ひとつのロールモデルと言える。


もう一節引用するなら、求道が走りすぎる鋭さを戒める、「利休」という法号の由来について。これも古渓宗陳とのやりとり。275ページ。

「名利頓休…でございますか」
内裏をさがってから大徳寺をおとない、利休という号の由来をたずねると、宗陳が首をふった。
「なんの、老古錐となって、禅にはげめという意味であるわい」
(中略)
老古錐は、古びて、きっさきの鋭利さをなくした丸く役に立たない錐のことだ。「利」は、刃物の鋭さを意味することになる。
鋭さも、ほどほどにせよ、という教えをこめた「利休」である。

こうして周りの師に戒められ、バランスを取りながら、美の追究を続ける姿も、凜として美しい。


この記事が参加している募集

推薦図書

🍻