【連載小説】第四部 #7「あっとほーむ ~幸せに続く道~」僕の価値
四話~六話のあらすじ:
16.<孝太郎>
「あーあ……。怒らせちゃいましたね。あとが怖いなぁ……」
春山クンと庸平が部屋を出て行ったあとで野上クンがぼやいた。
「今に始まったことではない。彼女だって分かっているはずだ」
よくあることだと言う意味を込めたつもりだったが、きっと言い訳にしか聞こえなかっただろうと反省する。
「……君には分かったのかい? 春山クンの『女心』というやつが」
「まぁ、なんとなく。これでも奥さんと娘がいるもんで」
そう言った彼の表情は自信に満ちていた。彼は春山クンの「女心」について持論を語り始める。
「春山は、憧れを通り越して野球をやってる先輩のことが好きなんですよ、きっと。ずっと格好いい先輩を見ていたい、ってことなんだろうと思います。さっきの口ぶりから察するに、期待されたらそれに応えるのが男だと春山は思ってるんでしょうが、新たな決意を胸に抱いた先輩の心には響かなかった。……だからあんなふうに怒ったんじゃないでしょうかね」
「期待に応えようと無理をした結果、身体を壊したり、プレッシャーに押しつぶされて身を滅ぼした同僚はたくさんいる。そんなことは春山クンなら百も承知のはずだが……」
「それだけ先輩を特別視しているんでしょうね。……だけど安心しましたよ、おれは。先輩の意志の固さを再確認できましたから」
野上クンはにやりと笑い、仕切り直しとばかりにビールを口にした。
「……あー、春山とおれとの違いはたぶん、悔しい思いをした数の違いだな」
「悔しい思い?」
「さっきのキャプテン時代の話もそうですけど、息子の翼に野球を好きになってもらえなかったことも結構悔しかったんです。いろいろ工夫したけどダメで……。だけどその悔しさがあったからこそ、先輩のやろうとしてる体操クラブの理念に共感できたわけですよ。自分が好きなスポーツには興味を持ってもらえないけど、せめて身体を動かす楽しさくらいは知ってほしい……。おれはどっちかっていうと、そういう親のためにクラブを立ち上げたいんですよね」
彼の話には説得力があった。春山クンは恋愛面でも育児の面でも、もちろんそれなりの苦労はあっただろうが、端から見れば望み通りの人生を歩んできたように見える。だから僕らの考えに賛同できなかった。そう考えればしっくりくる。
「君の協力には心から感謝しているよ。しかし今の話を聞いてひとつ気になったことがある。本郷クンのことだ。クラブに協力してくれることになってはいるが、彼も春山クン同様、成功者の道を歩んできた人間だからね」
「確かに。さっきの春山なら祐輔を説得しにかかってもおかしくないですね」
「仲違いしないことを祈るばかりだな……」
「まぁ、なんだかんだ言ってあの二人は仲が良いですから、心配は無用だと思いますけど」
*
野上クンとはその後、小一時間ほど飲んだり話したりした。彼が帰ってしまうと、賑やかだった部屋がしんと静まりかえる。今までであれば一人きりの時間は大歓迎だったが、野上家の人々と付き合うようになってからは、こういう時間に寂しさを覚えるようになった。
テーブルの上に残された空瓶やグラスを手に持ち、キッチンに向かう。片付けていくと言ってくれた彼らの厚意を断ったのは、一人きりの時間に感じるやるせなさを誤魔化すためだ。とはいえ、僕に出来る家事なんて、せいぜいグラスをゆすいだりゴミをまとめてゴミ箱に放ったりすることくらい。作業はあっという間に終了し、すぐにまた不安に駆られる。
(僕も変わったな……)
再びリビングルームに足を向け、ほかに何かやることはないかと探してみる。と、まなちゃんのために買ってやったおもちゃのピアノがそのままになっているのに気づいた。ゆっくりとした動作でピアノを部屋の隅に寄せる。
血の繋がりもない、後輩の孫娘であるまなちゃんにどうしてここまで入れ込むのか、自分でも不思議に思っていた。最初は単に幼児特有のかわいらしさに惹かれてのことだと思っていた。が、最近になって別の理由に思い至った。それは、僕と同じにおい、それも「あの世」のにおいがする、という理由だ。
僕には長らく希死念慮があり、常々「死」への想いを吐露していたが、そのたびに刺すような胸の痛みも感じていた。おそらく、僕の身体は死など望んでいなかったのだろう。だから「死にたい」と口にする僕に「死にたくない」とメッセージを送っていたのだと今は思う。
実は、まなちゃんが急に泣き出す理由も同じではないか、と推考している。ただし、まなちゃんの場合は逆で、心は「生きたい」と願っているのに何者かがそれを阻んでいる。それがもどかしくて「泣く」という行為になって表れているような気がしてならないのだ。
無論、これは僕の直感に過ぎない。が、もし彼女の心が助けを求めているなら救ってあげたい。そのために僕に出来ることは何でもやってみるつもりだ。野上家の人たちが僕を救うことを諦めなかったように、僕もまなちゃんを救うことを諦めたくはない。
*
その日の晩は一人飯という気分になれず、ワライバで夕食を摂ることにした。店主の大津クンは、今では僕が店を訪れても他の客同様に扱う。気負わずに食事が出来る店は少ないから実に有り難い。
「夜の定食を一つ」
「はーい。少々お待ちを」
彼は軽い返事をして料理に取りかかりつつ、カウンターテーブルに座った僕に話しかける。
「そう言えば、今日は駅前でレイカのライブがあったんでしょ? めぐっちから聞いてますよ。レイカって、水沢センパイのお姉さんだって話ですけど、どうでした?」
「相変わらずの歌唱力だったよ。とてもよかった。一日でも早くクラブを立ち上げなければと気持ちを新たにしたくらいだよ」
「へぇ。そんなによかったなら、おれも店を閉めてセンパイ方と聴きに行けばよかったなぁ」
「いや、来なくてよかったと思う。……実はそのあと、庸平が自宅にやってきてね、クラブのことで再び衝突してしまったんだ」
「あちゃあ……。水沢センパイもしつこいっすね。分かった、それで気落ちして今日はここに来たんでしょ?」
「……当たらずとも遠からず、だな」
春山クンのことを言おうとしてやめた。気分が晴れない原因の一端は間違いなく彼女の発言にあるからだ。そうと分かっていて、わざわざ自分の首を絞める必要はない。
定食が提供され、無言で食べる。周囲には僕と同じく一人で食事を摂っている人が幾人かいる。当然会話はなく、店内に響く声と言えば野球中継の実況だけだ。
今日は野球中継を見る気になれなかったので大津クンに頼んでみる。
「……他のチャンネルに変えてもらえないだろうか」
「嫌ですね。この時間はいつも野球中継を流すって決めてるんで」
「生中継されている他のスポーツだってあるだろう? なぜ野球にこだわる?」
「なぜって、ここに永江センパイの崇拝者がいるからに決まってるじゃないですか」
そう言って彼は自分の鼻を指さした。
「崇拝、とは仰々しいな……」
「だけど、実際そんな感じですよ。ここでOB会したときに約束して、後日ユニフォームをもってきてくれたじゃないですか。そこに飾ってあるけど、あれはマジでおれの宝物なんっす。高値がつくと言われてもらい受けたし、実際売るつもりだったのに、手にしてみたらオーラがすごくて。こりゃあ売っちゃダメだ、ってことで額装して日々眺めているうちに、段々とセンパイに対する畏敬の念が増して来ちゃったもんだから、さぁ大変。今じゃ、ユニフォームに向かって毎日拝んでますよ。おれだけじゃありません。お客さんの中にもそういう人が一定数います。だから、チャンネルは変えません」
「……どうしてみんな、そんなに僕を気に入ってくれるんだい? 優れた選手は他にも山ほどいるはずだろう?」
「……それはあなたが、最後の最後まで野球人であろうとバットを振り続けた姿に感動したからです。そういう生き様に魅せられたからです」
背後から声がして振り向くと、本郷クンがドアのこちら側に立っていた。彼は僕の隣に腰掛けるなり「今日は謝りに来ました」と言っていきなり頭を下げた。
「謝るって、いったい何を?」
困惑している僕に構わず、彼はここへ来た目的を果たすべく口を開く。
「永江さんが好きだからこそ、決めました。おれ、クラブ立ち上げ業務から手を引きます。その代わり、水沢先輩と詩乃と一緒に野球選手の育成をしようと思ってます。急な話で申し訳ありませんが、さっき二人と話し合って、そうしようって決めたんです」
「えっ、ちょっ……! 本郷センパイ、いきなり手のひら返しちゃって……! まじっすか?!」
大津クンは動揺を隠せない様子だった。が、僕は先ほど野上クンとしていた話が現実のものになっただけだと、冷静に受け止める。
「むしろ有り難い申し出だ。君なら庸平の思いを形にすることが出来るだろう」
「……すんなり受け容れてくれるんですね。もうちょっと引き留められるかと思ってたのに、それはそれでちょっぴり寂しいな」
「気持ちが離れていった人間を引き留めてまで成し遂げたいとは思わないよ。それより、君が気持ちを込められる方に意識を向けるべきだ」
「それも含めて永江さんらしいな……。分かりました。異論がないならこの話はおしまいです。……では、こっちの話はどうでしょう? 今の大津の話にも通ずることです」
本郷クンは一旦呼吸を整えてから発言する。
「ぶっちゃけて言うと、永江さんのファンクラブを作りたいんです。これは水沢先輩と詩乃の発案です」
「…………!!」
目が点になり、言葉を失った。対する大津クンは大喜びしている。
「ファンクラブ!! いいっすね、それ! おれ、代表になってもいいっすよ!」
「大津、話は最後まで聞け。これはよくあるファンクラブとは違う。おれたちが考えているのは、永江さんに黄色い声を浴びせるようなものじゃなくて、あくまでも遠くから眺めたり、崇めたりするものだ」
「えー? 握手会とかやらないんっすかぁ?」
「ファンクラブと聞いただけで無言になってる人がファンサービスできると思う?」
「まぁ……。無理っすね……」
「だからおれとしては、講演会とか座談会とか、そういう形でのファンクラブなら実現可能かもしれないって考えてる。……どうですか、永江さん」
即答できなかった。いきなりファンクラブを作りたいと言われた挙げ句、ファンとの交流方法について提案されたのだから当然だ。僕はしばし考え、言葉を選びながら答える。
「各人が僕に憧れを抱くのは構わない。だが、そこに僕を巻き込むのはやめてもらいたいものだな」
「んー……。じゃあ、こういうのはどうです? 現役時代の活躍をまとめた動画チャンネルを開設するってのは。そこで時々永江さんのコメント動画を配信したり、サイン入りグッズのプレゼントを企画したり。それだけでもファンは大喜びですよ。……あー、そうだ。そこでの利益を体操クラブの資金にしてもらったっていい。ファンクラブは趣味みたいなもんですからね」
「資金と呼べるほどの額を稼げるとは思えないが……」
「はぁ……。センパイは自分の価値が分かってないっすね。そりゃそうか。おれみたいなしがない喫茶店主に、現役時代のユニフォームをタダでくれちゃうくらいですもんね」
しらけている僕の言葉を受けて、大津クンがため息交じりに言った。
「……今日、聴いてきたんでしょう? レイカの歌。そこにどれだけの人が集まったか知りませんけど、ファンになった人ってのは余程の理由がない限り、いくつになってもファンで居続けるもんです。センパイの現役時代のファンも同じ。センパイが引退しようが何しようがずっと追いかけるんですよ。センパイの活躍に励まされた過去ってのは消えませんからね」
(麗華さん……。励まされた過去……)
二つのキーワードが頭の中でぐるぐるする。そして点と点が繋がり、線になる。
なぜ特定の人物に憧れ続けるのか。それは、自分が辛かった時期にその人の存在が励みになったからだ。そのときの思いが長きにわたり残っているからだ。僕で言えば、それは麗華さんになるのだろう。歌を初めて聴いたときはショックが大きくてまともに聴くことすら出来なかったが、彼女の歌が後に僕を前進させ、現役時代の生きる原動力になったのは間違いない。
僕は、麗華さんに対して抱いているのは感謝だと思っていた。しかしこの気持ちを彼らは憧れと呼び、そうした感情を持ちながら慕い続ける人々のことを「ファン」と表現しているのではないか。思考を巡らせるうちにそんな考えが浮かぶ。
野上クンは、僕を尊敬していると言った。春山クンは、僕に憧れを抱いているのだと言った。本郷クンも、僕を気に入ってくれる理由は生き様に魅せられたからだと言った。
もし、僕の野球に取り組む姿に影響を受け、自分もあんなふうになりたいと思った人がいたならば、少なくともその人にとっては、僕のこれまでの人生も意味あるものだったと言うことが出来よう。そして、そういう人が何人もいて、そういう人たちが僕をここまで生かしてくれたのだとすれば、僕が現役を退いたあとも元気で生きている姿を見せる意味はあるのかもしれない。
「世の中には、生きてそこにいる姿を見るだけで励まされる人というのもいるんだろうな……」
「おれたちにとってセンパイはまさにそういう存在っす」
「そうか……」
かろうじて呟いたあとで、本郷クンが先ほどの自身の発言を補足するように言う。
「あー、そうそう、誤解はしないで欲しいんですが、クラブの手伝いをしないイコール嫌いになった、ってわけじゃありませんからね? むしろ、ファンクラブを作りたいって提案するくらいにはおれも永江さんのことが好きなんで、どこにいても、どんな形であっても元気でいてほしい。それが本音です」
「…………」
「体操クラブの創設には大津や路教たちが力を貸します。そして、おれたちはそんな永江さんを陰ながら応援します。あー、だからって気負わないでくださいね? 大津たちもおれたちも、好きで勝手にやってるだけなんで。な、そうだろう?」
「ですです」
どうやら僕という存在はよほど愛されているらしい。同性から何度も「好きだ」と言われる自分を客観視したら笑えてきたが、次の瞬間、父が元気だった頃に抱いていた想い――憧れや尊敬、近づきたいという気持ち――がよみがえってきてハッとする。
(そう言えば、子供の頃の僕も似たような感情を持っていたな……)
あまりにも遠い昔の出来事だから時間がかかってしまったが、いま思いだした。忘れかけていたそれらの気持ちを。
(そうか……。だからファンクラブなのか……)
決して憧れの「あの人」にはなれない。分かってる。だけど、ファンという形で応援すれば少しでも「あの人」に近づける気がする。微笑みかけられたら勇気をもらえる。明日への希望が持てる。本郷クンたちはそういう場を設けたいのだろう。そしてその中心に僕を据えようとしているのだ。
「やっと分かってきたよ。君たちの言う、僕の価値ってやつが」
店の壁に掛けてあるユニフォームに目をやる。それは僕が長年身につけていたものであり、僕が生きてきた証でもあった。
ユニフォーム自体に価値があるのではない。それを着ていた僕の、選手としての振るまい、成績、人柄が価値を生むのだ。だから僕の「ファン」にとってこのユニフォームを目にすることは、人によっては僕と会うのと同等の意味を持つに違いない。
自分の命を軽んじる発言をしたとき、野上クンに叱咤されたことを思い出す。
(周りの人たちに支えられて生きている……。なるほど、確かにそうかもしれないな)
長らくその言葉の意味を真に理解することができなかった。が、幾度となく説得されて今、ようやく腑に落ちた。
食べかけの飯を平らげ、箸を置いて手を合わせる。いつにない満足感。
「ごちそうさま。やっぱりここの飯はうまい」
「そりゃどうも。いつでも来て下さい。待ってますから」
大津クンはそう言いながら定食代を受け取るために手を出した。僕は財布から出した紙幣ごとその手を握りしめる。
「僕にとってこの店が居場所の一つであるように、僕のファンにとってもここが集いの場であればいいと思う」
「それって……。ファンクラブを作ってもいいってことっすか?」
「好きにしてくれて構わないよ。……本郷クン、庸平と春山クンにもそう伝えておいてくれないか?」
「分かりました。……今日の永江さんはやけに素直だなぁ。逆に心配になるよ……」
本郷クンはそう言って肩をすくめる。
「もしかして、路教んとこの子どもたちからまた影響を受けたとか?」
「本郷センパイ、たぶんレイカの歌を聴いたからですよ。おれは行かなかったけど、よかったらしいっすよ」
「あー、レイカのライブか。それなら納得。詩乃も大好きなんだよなぁ。確かにあれはいい」
と言って本郷クンは何度も頷いた。
「そう言えば今度、水沢先輩経由でレイカに会わせてくれるって話ですよ。永江さんも一緒にどうです?」
「誘ってくれるのは有り難いが……」
麗華さんには過去のことも含め、直接会って諸々のお礼を言いたい気持ちはある。が、会うのは体操クラブが軌道に乗ってからと決めている。
「今回は遠慮させてもらうよ。会いたくなったらそのときはこちらから連絡すると伝えて欲しい」
「了解です」
「そーだ、本郷センパイ。レイカと会うって言うならうちの店を使って下さいよ。そしたら店宛てにサインを書いてもらえるじゃないですか」
「……相変わらずしたたかだなぁ、大津は」
本郷クンは呆れたようにため息をついたが、気を取り直すように咳払いを一つした。
「レイカのことは脇に置いとくとして……。ファンクラブを作る許可を出していただいたところで早速相談なんですが、活動規模はどのくらいがいいですか? 好きにしていいって話ですけど、だからって何でもオーケーってわけじゃないでしょ?」
「ああ。それについては一つ、提案がある」
僕は再び額装されたユニフォームに目をやってから、思いついた構想を話し始めた。
続きはこちら(#8)から読めます
※孝太郎語りの話が長くなってしまったので、
庸平語りの話は次回となります。
※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。
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