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【連載小説】第四部 #6「あっとほーむ ~幸せに続く道~」打ち明け話


前回のお話(#5)はこちら

前回のお話:

 悠斗たちが帰ったあと、孝太郎宅にやってきたのは庸平と詩乃だった。ふたりは孝太郎に、指導者として手腕を振るって欲しいと説得する。しかし孝太郎は断固拒否し、一緒にいた路教みちたかも孝太郎を擁護する。

 今回は説得できないと分かった庸平たちは孝太郎宅をあとにする。あれこれ持論をぶちまけた二人だったが、根底にある思いは「野球人・永江孝太郎が好きだ」ということ。それに気づいた二人は「永江孝太郎ファンクラブ」を作ることを思いつく。

13.<悠斗>

 ずっと夢に見てきた。愛するまなにお父さんと呼ばれる日を。そう、それは夢。だから、焦がれつつも心のどこかでは叶わないものと思い込んでいたし、思い出を大切にしまっておくような心持ちでもいたのだ。なのに……。

(どうして……おれにだけ語りかけたんだよ……。どうしておれにお前の人生を託すんだよ……)

 考えた末にたどり着いたのは、胎児だった愛菜まながその命と引き換えにおれを救ってくれた代償だ、と言うことだ。

 愛菜は自分の意志でおれを生かした。だから次はおれの意志でまなの生き方を決めろ。そう言われているとしか思えなかった。

 宮司ぐうじの高野さんは、時が満ちれば最善の道に導かれると言った。それは、いつかおれの気持ちが固まるときが訪れるという意味か。あるいは、おれやまなの意思に関係なく、時の経過が問題を解決するという意味か……。

 あれこれ考えてはみるものの、どれも憶測の域を出ない。考え疲れたおれは苦々しい思いを抱いたまま布団に寝転んだ。

(どうしてこんなことになったんだ……。神様は毎度、おれを振り回してくれる……)

 気分が悪い。このまま少し眠ってしまおうか……。そんなことを考えていたとき、部屋の戸を叩く音が聞こえた。

 またしてもまなが……? 一瞬ドキリとしたが、直後に「悠斗君、入ってもいいかしら?」と声がした。どうやらオバアのようだ。

 珍しいこともあるもんだ。おれは「今、開けます」と言って起き上がり、戸を開けた。オバアだけかと思いきや、留守番という役を終えて帰ったはずの彰博あきひろが付き添っていたので面食らう。

「……お前、帰らなくていいのかよ? 映璃が待ってるんじゃ……?」

「君のことが気がかりでね。今夜は泊まっていくことにしたんだ。エリーにはもう伝えてあるし、翼くんたちにも了解してもらっている」

「……おれなら大丈夫だよ」

「……そんな思い詰めた顔でよく言うよ。とにかく、今日はそうするって決めたから」

「……そうか」

 無駄な抵抗はやめようと決め、素直に彰博の気持ちを受け容れる。ほっとした様子の彰博は、ここでようやくおれの部屋にやってきた用向きを伝える。

「ところで、母がどうしても今、君と話したいと言ってるんだけど、体調はどう?」

「今……?」

「母も悠のことが心配らしいんだ。もっとも、長話になって君を疲れさせるといけないから、僕も同席するという条件付きで訪ねてきた訳なんだけど」

「大丈夫よね、悠斗君?」
 気遣う彰博の言葉などお構いなしといった様子で、オバアはおれの手を両手で包み込んだ。

 その手は数年前、オジイの葬儀後に握ってくれたのと同じ温かさを持っていた。が、そのときよりも幾分力なく感じるのは気のせいだろうか……。

「大丈夫。オバアの話なら喜んで聞きましょう」

 おれが返事をするとオバアは「よかったわ」と言って笑顔を見せた。おれは今し方寝転んでいた布団を片付け、車椅子が入れるだけのスペースを確保した。

「狭いですけど」

「話が出来れば充分よ」

「あの……。それで、話ってのは?」
 改まって聞くと、オバアは「元気を出しなさい」と言って、正座するおれの肩に手を置いた。

「あなたはこうして生きてるんだもの。心を許せる家族に囲まれているんだもの。だったら笑っていなさい。たくさん食べておしゃべりして、毎日をしっかり生きなさい」

 なぜ急にそんなことを……? 戸惑っていると、どこからともなく風が吹き込んできた。いや、風のように感じられたものの正体は魂の姿のオジイだった。オジイがオバアの肩にそっと手を載せる。と、それに気づいたかのようにオバアも自身の肩に手をやった。

「もしかして、オバアにはオジイの姿が見えてる……? ってことは……」
 ここでようやくオバアの言葉の真意を知る。目が合うと、二人は同時に頷いた。

「そんな……。待ってくださいよ。オジイ、迎えに来るにはまだ早いでしょう……!」

「えっ、この部屋に父さんが……?」
 彰博も動揺して室内を見回す。
「……母さんはもう、死者の世界に足を踏み入れてるって言うの? そのままあっちの世界に行こうって言うの?」

「おじいさんがわざわざ姿を見せてまで迎えに来てくれたんだもの。これ以上待たせちゃ悪いじゃない?」

「オジイのために自らの意志で死出の旅路に向かおうと……。そういうことなんですか」

「自分の意志というより、受け容れるといった方が正しいかしらね。迎えに来たおじいさんの手を取る。そして導かれる。自然な形で」

 そのとき、おれの母親が病床で愛菜の迎えをすんなり受け容れ、旅立った場面を思い出した。オバアは続ける。

「わたしはおじいさんのいる世界に旅立つだけ。すぐには会えない場所に行っちゃうけど、いつでも遊びに来ることは出来る。だから何も悲しむことなんてないのよ。……彰博、こっちへ」

 オバアに言われ、やつはオバアの正面に回ってしゃがみ込んだ。

「彰博。いろいろと気を遣ってくれてありがとうね。人生の最後にこの家でおしゃべりな孫たちと一緒に暮らせて毎日が本当に楽しかったわ。あなたがわたしのわがままを聞いてくれたことに感謝してる」

「……それは、悠たちに言ってよ」

「もちろん言うけれど、あなたは無口な子だから、いろいろと我慢させたんじゃないかって。もし言いたいことがあるなら最後に言ってしまいなさい。今なら何でも聞いてあげるから」

「…………!」
 彰博はうつむいたかと思うと、珍しく感情を顕わにする。

「あるよ、たくさん……! 子供の頃からずっと、言いたいことは山ほどあった……! だけど僕は兄貴と違って勉強もスポーツも出来ない。得意なことと言えばチェスだけ。なのに……。なのに母さんはいつだって、お節介という名の心配ばかりしてくれて……。全部僕の怠け心が招いたことなのに……。出来ない僕を、最後まで放っておいてはくれなかった……」

 やつの声は震えていた。そんな息子の肩をオバアが優しく抱く。

「そりゃそうよ。だって大切な息子だもの……。だけどこれからはお母さんが心配しなくても大丈夫よね? あなたには助けてくれる家族がいるものね?」

 彰博は首を激しく横に振った。
「母さんは僕の心の中にいる。いつでも。父さんがそうであるように。……あとね、そんなこと言ったって母さんのことだから、僕が困っていればいつだって助けにくるんだよ。分かってるんだ、ちゃんと……」

「うんうん……。そうよ、必ず助けに来る。だから安心してちょうだい……」
 二人は抱き合い、静かに涙した。その様子をオジイが見守っている。

「本当に連れて行っちゃうんですか……?」
 呟くように問うと、オジイは小さく頷いた。

 ――仕方あるまい。人の肉体には限界がある。ばあちゃんは、じいちゃんが責任を持って天に導く。苦しみや痛みを感じる前に。それが、じいちゃんに出来るたった一つのことなんだよ……――

「…………」

 ――悠斗さん。一つ伝えておかねばならないことがある。……あの世で出会った魂の愛菜ちゃんは、悠斗さんとの再会を果たそうと何度も神と交渉し、ようやく君の元に戻ってきたんだよ。その努力をどうか認めてやって欲しい。……ばあちゃんのことはじいちゃんに任せて、子育てに専念しなさい。それがあの子のためだよ――

 オジイはきっとすべてを知っているのだろう。おれが神社で聞いた話も、悩んでいる理由も。

 ――まぁ、これはあの世にいるじいちゃんの戯れ言だがな。考えてみておくれ――
 それじゃ、また来るよ……。オジイはそう言って姿を消した。

 オジイが立ち去ったのを感じたかのように彰博は涙を拭い、顔を上げた。
「……格好悪いな、僕は。君を励ましに来たというのにこんなことじゃダメだよね」

「いや、お前もおれの前で泣けるようになってよかった。……泣きたいときは素直に泣けばいい」

「……なら、悠もそうした方がいいね」

「えっ……」

「詳しいことは知らないけど、悩んでるんだろ? まなちゃんのことで。それで塞ぎ込んでるんじゃないのかな?」

「わたしもきっとそうじゃないかと心配でね。あっちの世界に行くときには笑顔で見送ってもらいたいから、悩みがあるならわたしたちに相談して欲しいわ。この部屋を訪れたのもそういう理由よ」

「彰博……。オバア……」

 おれは言ってしまおうかどうか迷った。しかし実際問題、彰博はまなの祖父なわけで、おれと同様、この先まなとは命ある限り付き合い続けることになる。まなの人生がおれの手にいったんは預けられているのだとしても、彰博にだってまなの置かれている状況を知る権利はあるんじゃないのか。

「……黙ってたってお前のことだ、いずれは見抜いてしまうんだろうな」
 過去に何度も秘め事を言い当てられてきたおれは、腹をくくってすべてを話す決心をした。
「今から話すのはすべて真実だ。聞いても驚かないで欲しい」

「……大丈夫。奇跡の再会を果たした十五年前から、君は見えざる者――おそらくはこの街の神々――に守られているんだろうなと思っていたから」

「なら、遠慮なく話すぜ」

 すべてを受け容れてくれると知ったおれは、この街に戻ってきてから自分の身に起きた不思議な出来事を、ひとつずつ話し始めた。


14.<めぐ>

 ――子供の頃からずっと、言いたいことは山ほどあった……!――

 まなとお風呂から上がり、悠くんの部屋の前を通ったとき、パパらしき声が漏れ聞こえてきて思わず立ち止まった。悠くんのことを気にかけるパパが様子を見に来ているのだろうか。それにしては何かが変だ。漏れ聞こえる話し声から察するに、中には祖母もいるようだし……。

 戸に耳を押し当てて中の様子を探る。と、ダイニングルームからエプロン姿の翼くんが現れた。目が合うなり呆れられる。

「まながパジャマも着ずにやってきたからどうしたのかと思いきや……。まためぐちゃんの悪い癖が始まったな……?」

「しーっ……! 翼くんも聴いてみてよ。なんか、深刻な話をしてるみたいで……」

「えっ。いや、だけどさ……」

 そんなやりとりをしていると、今度はすすり泣くような声が聞こえてきた。翼くんの耳にも届いたのか、彼は居心地が悪そうにうつむいた。

「……めぐちゃん、こっちに来て」
 翼くんはわたしを無理やりダイニングルームまで引っ張った。
「アキ兄には黙っとけって言われたんだけど、隠してもおけないみたいだから言うよ」

「えっ、なに……?」

 彼は一度深呼吸をしてからゆっくりと語り始める。

「……ばあちゃんの寿命が残り少ないみたいなんだ。詳しいことは医者に診てもらわないと分からないけど、覚悟はしておいた方がいいと思う。アキ兄が今夜泊まると言った理由もそれだ」

 なるほど、さっき部屋から聞こえてきたのは、パパが祖母との別れを惜しんで泣いていた声か……。パパの泣き顔は祖父の葬儀でしか見たことがないが、あのときの表情で涙を流していたのかと思うとわたしまでもが悲しくなってくる。

「だけど、おばあちゃんはさっきまでおしゃべりしてたし、とてもそんなふうには……」

「俺だってそう思うよ。だけど、桜の下で一緒にビールを飲んでたじいちゃんが、その二ヶ月後に亡くなったことを思うと……」

「…………」

 暗い話題をする脇でまなが「だぁ」とか「おっ?」とか声を出しながら無邪気に遊んでいる。さっき悠くんの前で「おとーたん」と連呼していたのが嘘みたいだ。この子の中に、二度も生まれ変わった愛菜ちゃんの記憶が残っているなんて信じられないけれど、もし本当に愛菜ちゃんがいるならば、自身が亡くなるときの記憶も残っているはず。ひょっとしたらわたしたちの会話にもこっそり耳を傾けているかもしれない……。

 そんなことを考えているうちに、悠くんたちが部屋から出てきて居間に集まってきた。深刻な話をしていたとは思えないくらい三人の表情はすっきりしている。パパは真っ先に翼くんを手招きし、耳打ちする。

「ごめん。おばあちゃんが自分から話しちゃったんだ。だからめぐにも……」

「ああ、それならこっちも話したよ。めぐちゃんが、悠斗の部屋から聞こえてきた話し声を耳にしちゃってね……」

「……もしかして、全部聞こえた?」

「あー……。アキ兄が泣いてる声は聞いちゃったかな」

 パパは「一番聞かれたくない声を聞かれちゃったな……」と言ってうつむいたが、すぐに顔を上げて一同を見回した。

「………おばあちゃんと過ごせる時間はそう長くない。僕は可能な限り、残りの時間を一緒に過ごしたいと思う。それで相談なんだけど……しばらくの間ここに住まわせてもらうことは可能だろうか。おじいちゃんが生きていたときは六人で暮らしていたんだし、僕が一人増えても大丈夫だよね? もちろん、家のことは出来るだけ手伝うつもり」

「お前がそうしたいならおれは構わないよ」
 悠くんの言葉にわたしたちも頷いた。

「まぁまぁ、あなたたちの優しさには感謝の言葉しかないわ。だけど、最後の瞬間を迎えるまではみんなとのおしゃべりを楽しませてちょうだいね」

 祖母のハキハキした物言いを聞く限り、まだ元気がありそうで安心する。しかし、お別れの瞬間が刻一刻と迫っているなら、これまで以上に祖母との時間を大切にしなければ、と気持ちを新たにする。

「さて、と。話が一段落したところで食事にしようか。もう出来上がってるんだ」

 翼くんが場を取り持つように言った。直後にわたしと悠くんの腹の虫が同時に空腹を訴え、みんなの顔に笑みがこぼれる。

「もう……。わたしたちっていつもこうだよねぇ。あー、恥ずかしー」
 わたしは赤くなった顔を見られないよう、急いでキッチンへ足を向けた。

「えーと……。僕の分の食事はあるのかな? 食べていっても大丈夫?」

「ああ、いつでも多めに用意してるから遠慮はいらないよ」

 翼くんの言葉を聞いたパパはほっとした様子で腰を下ろした。それを待っていたかのようにまなが歩み寄って膝の上に座る。パパは微笑んでまなの頭を撫でた。

「じいじのお膝が好き? 嬉しいなぁ。……ああ、めぐの小さい頃を思い出すよ」

 細い目を更に細めたパパは、振り向いたまなと額を付き合わせたかと思うと急に真顔になった。そして「まなちゃん。じいじから一つだけお願いしたいことがある」と前置きして語り始める。

「悠は僕の……いや、僕たちの大切な家族なんだ。一緒に未来へ続く道をゆくと誓い、すでに歩き始めている。だから引き留めないでほしいんだ。もし、君が本当に悠のことを想っているなら一緒に未来を生きようよ。大丈夫。生きると言うことは、何も見えない道を歩くことだと思っているかもしれないけれど、ちっとも怖くはないんだよ。君は一人じゃない。僕たちがついてる。だから安心していいんだよ」

 料理を食卓に運んできたわたしは耳を疑った。まるで悠くんの亡き娘「愛菜ちゃん」に語りかけているように聞こえたからだ。翼くんも同じことを思ったに違いない。が、彼はわたしよりもショックを受けたのか、その場に立ち尽くしている。悠くんでさえ、だ。

「彰博……。まなにそんなことを言ったって分かるはずが……」

「いや、この子にはきっと伝わったはずだ。僕には分かる」

「…………」

「さっき君から告白されて、これまでの出来事すべてが腑に落ちたんだ。……君と再会して十数年。やっとやっと前向きにさせたって言うのに、また後ろを向かれたんじゃこれまでの苦労も水の泡だからね。真実を知ったからには、僕なりの方法で彼女を説得させてもらうよ」

 今の口ぶりから、パパは真実を知ってしまったようだ。にもかかわらず、わたしたちと違って直後から積極的に行動できる。きっと揺るがない信念があるからに違いない。わたしたちが黙する中、祖母がパパの言葉を補うように言う。

「彰博の言う通りよ。まなちゃん。せっかくまたこの世に生を受けたんだもの。過去の記憶はひいおばあちゃんに預けて、新しい家族との思い出をたくさん作りなさい。それが本当の親孝行というものよ」

 しかし二人の話を聞いたまなは、パパの膝の上で「なんのこと?」と言いたげな顔をしている。悠くんの言うように、二歳児が聞いて分かるような言葉遣いではなかったから、当然と言えば当然だ。しかしパパと祖母は、理解できると確信しているようだ。その目は真剣そのものだった。

 空腹を感じていたにもかかわらず、今日はなぜだか食が進まなかった。それはみんなも同じらしく、まるで重苦しい空気でお腹がいっぱいになってしまったかのようだった。


15.<翼>

「孫娘の名前が『まな』だと聞いたときから薄々感じてはいたんだけどね。僕の勘は正しかったみたいだ」

 とりあえずの食事を終え、一緒に食器を洗っている最中にアキ兄が言った。自分だけに伝えたいことがあって口を開いたように思えた俺は、声を流水の音にかぶせるようにして問う。

「……驚かなかったの? 生まれ変わりだと聞いても」

「どうして? 世の中には、およそ説明のつかない現象が山ほどあるよ。君の中に存在していた複数の人格も、人によっては複数の魂を保有している状態だと言うかもしれない。実際、君自身にも分からないでしょ? それが自分自身なのか、誰かの魂かなんて。まなちゃんだっておんなじじゃないかな?」

「アキ兄らしい見立てだな……。そうか。俺も誰かの生まれ変わりで、そのときの記憶が別人格という形で表出していた……。確かにそう考えることもできるよな……」

 悠斗から生まれ変わりの話を聞いたときには霊的な現象としか思えなかったが、俺の成長を見守り、多重人格を持っていたことにも気づいていたアキ兄に、自分を例にとって説明されると違った感想を持つ。

「アキ兄は、悠斗がどっちを選択をすると予想する?」

「過去を取るか、未来を取るか、ってこと?」

「うん」

「……わからないな、それは」
 洗い物を終えたアキ兄は、手についたしずくをタオルで丁寧に拭きながら言う。
「だけど、選択肢は二つじゃない、と僕は思う」

「えっ? 二つじゃない……?」

「僕らにも出来ることがあるし、まなちゃん自身にも出来ることがあると言うことだ。そう、君が自分の意志で人格を一つにしたように」

「あっ……」

「そう。できるはずなんだ。だから僕は彼女に語りかけた。自分の意志で未来を選び取って欲しいから」

「アキ兄、それ! それだよ!」
 俺は濡れた手のしずくを飛ばしながらアキ兄を指さした。そのくらい興奮していた。

「そうだよ、悠斗一人が重荷を背負う必要なんてない。俺たち、家族だもん。この問題はみんなで解決しなきゃ」

「その通り。まなちゃんは幼いから今はまだ難しいかもしれない。だけど、きっと出来ると信じてる。だって君の子だもの。君に出来たんだから出来ないはずがない」

「言ってくれるじゃん!」
 そうだ。アキ兄の言うとおり、まなは俺の子であって悠斗の子じゃない。そしてここにいるまなは今を生きている。だったら悠斗がまなの人生を決めるのはやっぱりおかしい。

「アキ兄。この話、めぐちゃんには話してもいいかな」

「もちろん。なにしろ君とめぐの子の話だからね。ただ……。悠にはまだ話さない方がいいと思う。これは悠が真に過去と決別するためにも乗り越えなきゃいけない試練だと思ってる」

「わかった」

「悠のことは僕に任せて。こっちでなんとかするから」

「よろしく」

 その晩。まなを寝かしつけ、寝室で夫婦二人きりになったタイミングで先ほどの話をめぐちゃんに伝えた。俺がかつて多重人格を有していたことは婚約した頃すでに話している。

「つまり、パパも翼くんもこの子には『野上まな』の人格を選び取って欲しい、ってこと? 鈴宮愛菜ではなく……」

「そういうことになるかな」

「でも、それが可能だったとして、亡くなった娘さんに会いたがっていた悠くんの気持ちはどうなるの?」

「悠斗も悩んでるんだと思う。過去の記憶を残すことを即決しなかったんだから。まぁ、もし即決しようものなら俺が止めただろうけど。……めぐちゃんだってそうじゃないの?」

 めぐちゃんは何度か言いよどんだあとで、言葉を選ぶように口を開く。
「……そうだね。悠くんが神社で過去の記憶を取ると宣言しなくて正直、ほっとしてる。なんだかんだ言って、わたしもまなのお母さんなんだなって思ったよね」

「うん。アキ兄が言っていたように、今では悠斗も未来に目を向けている。だからこそ躊躇ためらってるんだろうさ。俺たちに出来るのは悠斗を信じることだけだ。こういうことは誰かに言われてするんじゃなく、悠斗本人が自分で納得した上で決断しないと絶対に後悔するから」

「確かに。……そうは言っても、もどかしいな。我が子のことだけに」

「……すべては俺たちが望んだことだ。悠斗を、まなを信じよう」

「……翼くんは強いな。どうしてそんなにはっきり言い切ることが出来るの?」
 めぐちゃんは俺の肩にもたれ、それから胸に顔を埋めた。

「……どんな気持ちでいればいいか、自分でも分からないの。おばあちゃんのこともあるし、母親としてまなの将来も考えなきゃいけないし……。とにかく押しつぶされそうで苦しい」

「俺だって分からないさ……。めぐちゃんが悩む気持ちも分かる。だけど俺の信念は、めぐちゃんとまなの笑顔を絶やさないことだ。そのために出来ることを最優先に考えて行動する。それだけのことだよ」

「翼くん……」

「大丈夫さ。めぐちゃんはそのままの感情を大事にしていればいい。ただし、不安や悲しみを感じたときは今みたいに俺に打ち明けて。めぐちゃんの感情を受け止めるために俺はいる。……どうよ? 話したらちょっとは楽にならない?」

 めぐちゃんは顔を上げ「うん、楽になった気がする」と言って微笑んだ。
「翼くんが家族でよかった。やっぱり、うんと年上は落ち着いてるから安心だね」

「だろ? だけど同じ年上でも、悠斗を選んでいたら今ごろ二人して落ち込んでたはずだぜ」

「あー……」

 めぐちゃんはちょっと考えるように視線を外してから「それってつまり、翼くんを選んで正解だった、ってこと? そう言って欲しいってことだよね?」と言って俺の目をのぞき込んだ。

「ご名答。さっすが、めぐちゃん。分かってるー!」

「もう、翼くんったら!」

「だけど冗談抜きでそう思ってるよ、俺は。冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど、すでに亡くなっている娘さんに未練があるうちは悠斗に未来はない。そんな悠斗がめぐちゃんを幸せに出来るとは到底思えない」

「…………」

「俺たちはこの子の実の親として、この子の未来のために動かなきゃならない。もしそれを阻む人間がいれば誰であろうと容赦はしない。……そう。例えば愛菜ちゃんの過去を『消す』ことだって、場合によっては充分にあり得る」

「…………」

「……もう遅い。そろそろ寝よう」
 俺はめぐちゃんにおやすみのキスをし、それからベッドに横たわった。めぐちゃんも電気を消して寝る体勢に入った。

 暗闇の中、まなの安らかな寝息が聞こえ、つかの間安堵する。すぐそばで眠る幼子に顔を向け、寝息を感じながら直前に話していたことを思い返す。

 俺だって分かってる。本当はそんなことしたくない。まなの中に存在する、過去の記憶を持つ愛菜ちゃんを俺の手で消すなんてことは。でも、どっちの人格を残したいかと問われたら俺は絶対に我が子を選ぶ。だって俺はまなの父親なのだから。

 眠っているはずだが、さっきの話を過去の記憶を持つ愛菜ちゃんが聞いていたらどう思っただろう、と考える。仮にも父親である俺に「消」されると聞いてショックを受けただろうか。それとも、それすらも自らの運命と悟り、受け容れようと思っただろうか……。

(なぁ? 悠斗に未来を託して何になる? 君の意志はないの? 教えてくれ、愛菜ちゃん……)

 心の中で問うても、ぐっすり眠るまなが答えるはずもなかった。


続きはこちら(#7)から読めます

※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。

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