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【連載小説】「好きが言えない 2」# 31(最終回) 許し

 僕は膝を折り、その場から動けなくなった。そこへ仲間が次々集まってくる。

「部長! おれたち、勝ったんですよ! ベスト8進出ですよ!」

「最後の球をキャプテン自らキャッチとは、さすがだな、永江!」

「部長、涙はもうちょっと後にとっておきましょう。私だって我慢してるんですから」

 僕の意思とは無関係に温かいものが目を濡らし、頬を伝った。春山クンに指摘され、そっと拭う。


 K高対S高の試合は我が校の勝利で終わった。互いに礼をし、ベンチに引き上げる。と、監督が僕らを出迎えてくれた。

「いい試合だったよ。わしが引退する日がまた延びてしまったな」

「もう少しの間ご指導ください」

「もちろんだよ。なぁ、永江。今の君は最高に素晴らしい選手だよ。自分でも分かるだろう? 少し前までの自分とはまるで別人だ」

「はい。監督のお陰です」

「いいや。わしはただ、ほんのちょっときっかけを作ったに過ぎない。永江自身が自分と向き合い、答えを見いだしたからだよ」

「答え……」
 僕はつぶやき、仲間の顔を見た。みんなが僕の言葉を待っている、と感じた。

「みんな、今日は最高の試合だったよ。打たれた野上クン、大津クンもいい経験になったと思う。僕らの夏はまだまだ終わらない。最後の最後まで、僕たちの野球を楽しもう」

「はい!」

「お疲れさま。今日はありがとう」
 僕が労ったもんで、みんながざわついた。そして何だか嬉しそうだった。

   *

 帰り支度を済ませ球場をあとにする。するといつものように、保護者が表で僕らが出てくるのを待っていた。良かったよ! 頑張った! そんな声と拍手が聞こえる。

 僕はキャプテンとして、先頭でその賛辞を受けながら前へと進んでいく。そして、列の最後尾に、見つけた。母の姿を。

 普段ならば誰しもが、自分の親を見つけても笑みだけを浮かべ通り過ぎていく。が、僕は立ち止まった。対話するなら、今をおいてほかにない。

 後ろで、何事かと声を立てる仲間の気配を感じる。が、すぐ後ろにいた水沢がそれを制してくれたようだ。

 僕は数歩進み出て母の前に立った。
 少しの間、互いに何も言わない時間が流れた。僕が言いよどんでいると母が先に口を開く。

「……ベスト8進出おめでとう。最後に捕球する姿、格好良かったよ。お父さんも、見ていたと思う」

「父さんになら、会ったよ。その瞬間に」

「……そう」
 会話が続かない。再び沈黙する。

 僕は待った。母は父の遺影を何度も持ち直し、言葉を探しているようだった。そしてようやく、

「……許してくれて、ありがとう」
 と、小さな声で言い、涙を流した。

 許す。

 僕はたったそれだけの単語をメールで送った。しかしそれだけで、三年間止まっていた時は進み始めた。

 僕はようやく言葉を紡ぐ。

「許すよ。だけど、今すぐ元通りの暮らしには戻れない。長い間、別々に過ごしてきたんだから」

「いいよ、それで。傷ついた皮膚がきれいに治るまでには時間がかかるもの」

 ありがとう、見守っていてくれて。

 その想いはまだ、声に出しては言えない。けれど、母だって分かってくれているはずだ。僕の不器用な性格を知っているから。


   *


 永江が見つけた「愛」が何か、やっと分かった。それは誰しも自然に受け取り、与えているもの。当たり前すぎて気がつかないような「親子の愛情」。それが監督の出した宿題に対する永江の答えだったのだ。

 遠巻きに永江を見守っていると姉がそばにやってきた。

「コウちゃん、お母さんと和解できたみたいだね」

「うん? ひょっとして、孝太郎の母さんに連絡したのは姉ちゃんか?」

「まさか。私はただ歌を歌っただけ。でもね、歌の力って強いと思った。だからこれからも歌手活動していこうって思ってる」

「……俺、姉ちゃんは孝太郎のこと、好きなんだと思ってた」

「んー、コウちゃんはいい子だし、好きといえば好きよ。でも、家族の一員として、かな」

「なるほど。いろんな『愛』の形がある、か」

「え、何それ? 庸平が言うと気持ち悪い」

「俺が愛を語って何が悪い? 言っとくけど、俺にも彼女、いるんだからな」

「嘘! いつの間に?! ……ってもう高三だもんね。いても不思議じゃないか」
 姉は妙に納得した様子でうなずいた。

「ねぇ、庸平はこのまま野球続けるの?」

「ああ。それしか夢中になれるものもないし、今しかやれないことでもあるしな」

「そうだよね……」

「なんで急にそんなことを?」

「あたしたちって、好き勝手やらせてもらえて恵まれてるなあと思って。親には感謝しないと」

「……だな」
 そうは返事をしたものの、自分の口から「ありがとう」だの「感謝してる」だのと言うのはなんか違うと思った。言えばきっと親も喜ぶ。だけどそういうのって、言わなくても伝わるもんじゃないのか。それが本当の「愛」ってもんじゃないのか。

 そのとき、背後にいた春山の声が聞こえた。気になってそっちに意識を向ける。

「あれ、お父さんは? 来てるんでしょ?」

「あー。トイレに行って泣いてんのよ。もう、ばっかみたい」

「えー? 本当に泣いちゃったの? 信じらんない……」

「お父さんのことは放っておけばいいよ。それよりさ……」

「うん?」

「あんたの努力、認めるよ。本当に試合に出ちゃうなんてね。ただ立ってただけなのになんか……格好良かった」

「奈々ちゃん……」

「あたしも、グチグチ言ってないで今やれることをやろうかなって、ちょっと思ったよ。きょうは詩乃の好きな特大バーガー食べに行こう。おごるよ。あたしは食べないけど」

「やったー!」

 ああやってはしゃぐ春山を見ると、ユニフォームを着ていても普通の女子なんだな、と思わされる。その春山がこちらを見るなり「あ!」と声を上げた。

「麗華さんも来てたんですか! わー、嬉しいな!」

「一応、弟の雄姿を見てやろうと思ってね。途中で代わった詩乃さんの活躍も良かったわよ」

「なんか恥ずかしいけど、嬉しいです。……きょうは歌わないんですか?」

「うふふ。また駅前で歌うわ。そのときに会いましょう」

「楽しみにしてます」

 姉は「歌の力」と言ったが、人生を変えるほどの影響を与えるって正直すごいと思う。俺にも、そういう力が備わっているのかな……。
 まぁいい。今はまだ、勝利の余韻に浸りたい。考えるのは、夏の大会が終わってからでも十分間に合うはずだ。


   **


 帰りの電車の中で、僕は監督の隣に座った。監督は腕を組んだまま前を見据えている。

「僕なりの『愛する人』を見つけました。互いの距離はこれから縮めていこうと思っています」

「ああ。わしにも分かったよ。君が見つけたその人が誰なのか。宿題は受理した。もう君は、わしからの助言がなくてもやっていけるだろう」

「……病気の前とあとで、監督は変わりましたね」

「なあに、君だって変わったじゃないか」

「そうですが……」
 不満げな僕に監督はいう。

「病気をすると殊更に分かるものだよ。家族の大切さを。いかに自分が周囲に支えられ、必要とされているかを。そして自分の小ささを、これでもかというほど思い知らされるのさ。

 わしはこの年まで、野球さえあれば自分は一人でも生きていけると信じていた。しかし違った。ともに野球に励む仲間たち、指導する子どもたち、そして家族。彼らがいるからこそ好きな野球をやってこられた。その事実に気がついたんだよ。今の君なら分かるだろう?」

「……はい、よく分かります」

「再び君とこうして話をし、『愛』について語り合えて嬉しいよ。三年間、君のことだけはずっと気がかりだったからな。もう一度まみえるまでは死ねん、とも思っていた」

「監督……」

「いい友に恵まれて良かったな。水沢にはよく礼を言っておきなさい」

「はい」
 その水沢は、向かいの席で本郷クンや春山クンと談笑している。

 礼、か。

 たぶん、彼はそんな言葉を求めてはいないだろう。相手が僕なら、なおさら聞きたくないに違いない。感謝の気持ちを伝えるなら、これからも共に野球を続ける仲間であり続けること。それしかないだろう。

 じっと見つめていると、水沢は席を離れ、僕の前にやってきた。

「きょうはどうする? うち、くる?」

 問われて、僕は少しの間思考をめぐらせた。しかし答えは変わらなかった。

「一度、家に帰るよ。……父さんに線香をあげたいから」

「……お袋さん、待ってるんじゃないのか?」

「……まだ何を話せばいいか分からないし、同じ食卓で食べるのも難しそうだから、実家にはちょっと顔を出すだけにするよ」

「そういうことならうちの親には、夕食の材料はいつも通りの分量で、って頼んどくわ。お前とお袋さんのやりとり見て気になったのか、メールが送られてきてたからさ」

「大会が終わるまでは厄介になるつもりだから、そう伝えておいてくれるか?」

「オーケー」
 

 彼と彼の母親の優しさが再び僕の心をじんわりと温めた。

 僕には帰る家が二つある。帰宅時に「お帰り」と声をかけ迎えてくれる人がいる。それこそが、僕の生を繋いできたのだと知る。

 生きられなかった父の分まで生きよう。そしてあの世に行ったら、経験した様々なことを話してあげよう。

 一つ、生きる目的が出来た。一人で満足していると水沢が顔をのぞき込む。

「なんか、嬉しそうだな。機嫌がいいなら、今日の自主練は免除してくんない?」

「それは出来ないな。……その代わり、彼女と長電話していいことにしよう。どうだ?」

「えっ!? まじで!! 今言ったこと、忘れるなよ!」
 水沢はさっそくスマホと取り出していじり始めた。隣にいる監督は笑っている。

「はっはっは! 永江の制限がようやく解けたか。これで水沢も堂々と電話が出来るな」

「僕としては、その情熱を次の試合のエネルギーにしてもらいたいのですが」

「大丈夫だ、水沢ならきっとやってくれる。なぁ、そうだろう?」

「もちろんですよ! 次こそはホームランぶっ放ちますから!」
 その顔は今日一番の笑顔だった。今なら言っても大丈夫そうだ。

「僕からも頼みがある」

「おう、何でも言えよ」
 僕は少しためらってから、

「……今日の晩ご飯、生姜焼き丼が食べたいって伝えてもらえる?」
 と言った。水沢は「おっ?」と声を発し目を丸くした。

「晩飯のリクエストだな、オーケー」
 そう言うと、彼は何度も何度もうなずいた。

「……もう、外でも孝太郎って呼んでいいよな? 正直、使い分けるの面倒くさくてよぉ」

「……そうだな。いいよ、それで」
 名前で呼ぶことを認めたとき、肩に乗っていた何かがストンと落ちた気がした。

 僕は拳を前に突き出す。

「これからも頼むよ、庸平」

「おう、任せろ、孝太郎」

 彼も拳を突き出した。その様子を監督が静かに見守っていた。


ー完ー

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