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小説「好きが言えない」

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高校一年生で「化粧」に目覚めた詩乃(しの)。生活の一部だった野球を辞め、女を磨こうと奮闘するが、元野球部のメンバーは納得できず……。 「好き」なこと、「好き」な人に素直になれない…
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【小説】「好きが言えない」(第一部完結)

【小説】「好きが言えない」(第一部完結)

――野球女子・春山詩乃と、野球青年・本郷祐輔の物語――

プロローグ

 玄関の一番目立つところに飾られたトロフィーは父の自慢だった。
「県大会で準優勝ってのは、埼玉じゃすごいことなんだぞ? なんせ出場校が多くて、予選を七回も八回も戦わないと決勝に進出できないんだからなぁ」
 県内で甲子園の土を踏めるのは、百以上ある高校の中の一校だけ。その、一枚のカードを手にするためにみな、血のにじむような練習を

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【連載小説】「好きが言えない」#10 君とともに

【連載小説】「好きが言えない」#10 君とともに

 雲一つない晴天。朝から強い日差しが照り付け、まるで地上を焼き尽くそうとしているかのようだ。
 十月某日。体育祭は予定通りに始まった。リレー、綱引き、騎馬戦にダンス。各クラス、各学年の競技や演目が次々に披露される。
 午後になり体育祭も終盤に差し掛かったころ、クラス対抗リレーは始まった。
 今日、退院したばかりの祐輔がクラス席でリレーを見守っている。一秒も見逃さない、と彼は言った。言葉の通り、その

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【連載小説】「好きが言えない」#9 告白

【連載小説】「好きが言えない」#9 告白

 待っていても何もできないことは重々承知していた。それでも私は待っていたかった。それはおばさんも、父も同じだった。
 長い長い待ち時間。私は祐輔と過ごした日々を思い返していた。
 幼稚園児のころから私たちは友達だった。小学生になって本格的に野球を始めると、マンションに住む男の子たちの輪に入って遊ぶようになった。祐輔とは毎日のように一緒に走り回っていた。当時の父は、そんな私たちの姿を見ては投球の指導

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【連載小説】「好きが言えない」#8 事故

【連載小説】「好きが言えない」#8 事故

 台風は夜のうちに通過したが、雨風はまだ残っていた。川越線と武蔵野線が強風で遅延しているというニュースを見ながら、私はいつも通り支度をする。
 普段は私より先に出ていく父が、今日はテレビの前に座っている。今月の頭に休日出勤したため、その代休なのだという。
「行ってきます……」
 言いなれない言葉を父の背中に投げかけ、私は今一度スマホの画面を見た。
 やはり返事はない。どうしたというのだろう。エレベ

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【連載小説】「好きが言えない」#7 仲直り

【連載小説】「好きが言えない」#7 仲直り

 九月下旬とはいえ、まだまだ朝から熱い。日差しが、私の肌をさらに黒く焦がそうと力強く照り付ける。
 このところ欠かさずに塗っていた日焼け止めクリームを、今日は塗っていない。昨日の一件が原因だ。化粧とか美白とかで悩んでいるより、まずは目の前の最重要課題に向き合う。そのために、これから学校までランニングすると決めたのだ。
 祐輔にバトンをまともに渡せなかったショックは大きい。クラスの代表としてリレーの

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【連載小説】「好きが言えない」#6 失恋

【連載小説】「好きが言えない」#6 失恋

 自転車のかごに祐輔の水筒を入れたまま、私はぼんやりと帰宅する。でこぼこ道を通るたび、かごの中の水筒ががたがたと震えた。
 この水筒をどうやって返そう? 同じマンションに住んでいるのだから、こっそり玄関先に置いてしまおうか。いや、そういうのは祐輔が嫌がるだろう。
 返すなら手渡し。場所は、学校? これもダメだ。ちゃんと仲直りできていない状況で「はい、昨日はありがとう」と言える自信がない。
 とにか

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【連載小説】「好きが言えない」#5 アンカー

【連載小説】「好きが言えない」#5 アンカー

 喧嘩継続中だから文句は言えなかった。
 体育祭の目玉競技、クラス対抗リレーのラスト二人に私と祐輔が選ばれたのだ。私がバトンを渡し、アンカーが祐輔。
 もちろん、決めたのは野上だ。私が仲直りをする努力を怠ったせい。「当日までには仲直りしとけ」と念を押された格好だ。クラスの中には反対意見もあったが、野上が押し切った。
「クラスでこの二人が一番早いの、みんな知ってるだろ? 本気で勝つには二人の俊足に賭

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【連載小説】「好きが言えない」#4 メイクアップ

【連載小説】「好きが言えない」#4 メイクアップ

 自転車で家路を急ぐ。学校から離れるにつれ、私の頭の中は次第に「女子脳」へと変わっていった。
 少し化粧もうまくできるようになってきたし、今日はこっそり家を抜け出して、夜の散歩でもしてみようか。コンビニくらい、行ってみてもいい。
 店員は私をどんなふうに見るだろう? 年相応の女子高生とみる? それとも、大学生に見えちゃったりして? 化粧をしたら、専門学校生の奈々ちゃんつまり、十九歳くらいに見えなく

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【連載小説】「好きが言えない」#3 すれ違い

【連載小説】「好きが言えない」#3 すれ違い

# 3

「詩乃、詩乃! おーい、詩乃!」
 三度呼ばれて、ようやく我に返った。祐輔が呼んでいた。
「何ぼんやりしてんだよ。委員会、行くぞ」
「委員会?」
「おい、どんだけ腑抜けてんだ。おれら、体育委員だろ!」
「……あ、そうか」
 部活をやめて二週間。ホームルームのあとはすぐ帰宅する習慣がつきつつあった。
 二学期の委員決めで、私と祐輔は引き続き体育委員を務めることになった。こういうのは、運動部

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【連載小説】「好きが言えない」#2 姉

【連載小説】「好きが言えない」#2 姉

 # 2

 
 姉から電話がかかってきたのは、寝る支度を始めた九時ごろだった。
「どう? うまく辞められた?」
「どうかな。一応、退部届は出したけど、祐輔たちに引き留められちゃった」
 祐輔は同じマンションの四階に住んでいる。だから姉も、祐輔のことはよく知っている。
「まあ、退部届を出したのなら上出来よ。あなたは一度決めたらブレない性格だもの。周りが何と言おうと関係ない。もう野球とはおさらばね」

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【連載小説】「好きが言えない」#1 退部届

 玄関の一番目立つところに飾られたトロフィーは父の自慢だった。
「県大会で準優勝ってのは、埼玉じゃすごいことなんだぞ? なんせ出場校が多くて、予選を七回も八回も戦わないと決勝に進出できないんだからなぁ」
 県内で甲子園の土を踏めるのは、百以上ある高校の中の一校だけ。その、一枚のカードを手にするためにみな、血のにじむような練習を重ねる。そして日々の努力を継続できた者たちだけが栄光を手にすることができ

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