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曾祖父( ひいおじいさん )が予見していた未来( いま )を私は生きている、という件。


私は大学を卒業したあと東京で一度は就職したものの、諸般の事情によって地元の新潟に戻ってくることになったのでした。
そのときに、父方(山田家)の祖父・耕一郎がとても奇妙なことを私に打ち明けたのです……

「山田家本家はお前の代で終わらせてくれ。いや、そうではない。そうではないんだ……お前の代で終わることは分かっていたんだ。私のオヤジ、お前からしたらひいじいさんなんだがな、そのオヤジが真面目に話してくれていたことなんだ。お前は自分の父親から聞いているだろ?末吉すえきちと言って、東京で弁護士をやっていたって」

……確かに父からはそのようなことを聞かされていたし、厳格そうな曾祖父そうそふのモノクロ写真を見せてもらったことがありました。

昭和25年撮影。
曾祖父・山田末吉、当時80歳。
近所の神明神社・船江大明神の境内にて。

コレがそのときに見せてもらった曾祖父の写真です。

「ん?……それが何?」と私は返事をしました。

「その末吉が、つまり私のオヤジが言ったんだ。
〝お前の孫の代で本家は途絶える。そのほうが幸せかもしれん。いいか、無理に養子縁組とかして末代まで繋ぐことをさせてはならない。そんなことをしたら運命が歪んでしまうぞ〟
…ってな」


正直、祖父から初めてそのように言われたときはまったく意味が分かりませんでした。
曾祖父(末吉)は、私が双子で産まれてくること、そして私の兄になるはずだった胎児がこの世界の空気を吸う前に元の魂の世界へ戻ってしまうことも予見していたそうです。

私が一番驚いたのは、玄孫げんそん(やしゃご)つまり私の子供が一人娘だけだということまで当てていて、その子には家系を継がせずに外に出してしまうことまで見えていたということなんです。

私はそこまで未来を予見した曾祖父・末吉に興味を覚えました。
遡って取り寄せることが可能な最も古い戸籍・除籍謄本を取って調べました。そして更に新潟県立図書館で調べてもらったら、『新潟県人物誌』『越佐名士録』『越佐と名士(下)』『やまと錦』という既に著作権の外されている、とても古い書籍に曾祖父が東京市京橋区築地(当時)で弁護士をやっていたという記録を見つけました。

上2枚『新潟県人物誌』
下2枚『越佐名士録』
上2枚『越佐と名士』
下2枚『やまと錦』

ほかにも国立国会図書館に所蔵されているデジタル化された『人物と其勢力(大正4年)』及び『自治業界発達誌(1928年)』でも確認することが出来ました。
なにやら、書いてあることをそのままの文面で言うと〝今や法曹界に一頭地を卓出し、推されて東京辯護士會常議員議長の重任をぶ〟とのことだったようで。


自分のご先祖とは思えないくらい、素直に実感することさえ難しいようなその圧倒的な存在感と多大な業績を残された人だったんだなあと、改めて父方のご先祖に敬意を感じました。
ちなみに明治27年頃には、文豪の国木田独歩と交友があったのだそうです。

でも祖父・耕一郎は生前、私に言っていました。
「山田家は家系が途絶えそうな状況になるたび、遠い昔から外縁である草摩家との間で政略的に伴侶となる相手と養子縁組を結んだりして保ってきたんだ。私の祖母、お前からしたら高祖母にあたるチイは草摩家から嫁いできたし、伯父の源治が結婚したナヲという女性も草摩の親戚にあたる稲田家の出身だしな。つまり、山田家本家はほとんど外縁であるはずの草摩家の血を受け継いでいるってことだ……縛られているんだよ。しがらみでしかないんだ。そんなことをしてまで山田を名乗ることになんの意味があるってんだ?歪んでるだろ?だったらお前だけは山田に固執せず草摩を名乗ればいい。まだそのほうが血筋としては自然だろ」

私が生まれるとき、双子だった胎児のどちらか一人だけしか生まれてこないということを知らされていた祖父は、まだ私の母が妊娠もしていないときから私の名前を決めていたそうです。
〝一人だけ飛び出してくる〟それは〝この世界から祝福を受ける一人〟という意味を込めて、苗字が山田でも草摩でもどちらでも吉数であるように《一出飛ひでと》と命名していたそうなのです。

しかし私の父は、自分の子供の名前は自分で決めると拘って、同じ音の〝ひでと〟ではあっても別の漢字を宛てたのです。それが原因で父と祖父はいがみ合うようになり、親子関係に亀裂が入ってしまいました。
祖父が他界したときも父だけが親族中から槍玉にあって親族揃って骨肉の争いがあったりもしました。
私はその光景を見たとき、くだらないなあと思ったし、呪われた家系なんじゃないの?って本気で思ったりもしました(笑)

そんな父も母も共に十数年前に他界し、私の娘も山田家の外に出したので、曾祖父の予見どおり、私の代で家系は断絶することになりました。
これはもう、遺された私に草摩を名乗れと言っているようなものかもしれないです。

とりあえず、下の名前だけでも祖父が命名してくれていた《一出飛》に改名出来たら良いのですけれどね。そしたら間違いなく自分の人生、今よりもっと好転するのでしょう(笑)

きっと曾祖父の末吉はそこまで予見していたのかもしれませんね。

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