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柚木沙弥郎の布教記事~京都で回顧展もあるよ~
柚木沙弥郎は、今も生きる染織家として素晴らしい位置にいる。
90歳を超えてなお、制作を続け、日本だけではなく海外の人々からも称賛を受けるデザインを次々と作り出している。
事実、開催中の回顧展、「柚木沙弥郎 life・LIFE」も盛況であり、無印とのコラボ作品やコンセプトアートを務めた京都のホテルも開業間近だ。
現在は、「染織家」というより「老齢の芸術家」として、半ば祀り上げられている状態の柚木沙弥郎。
しかし私は、彼のつくるものは、誇大に消費され、表現を論じられるようなものではないと思っている。
むしろ、手元にある時に些細な喜びを感じる、素朴で控えめな「ものづくり」が柚木沙弥郎のものづくりの本質だと思うのだ。
だからこそ、私は、私の友人や家族に「あのね、素敵な作家さんを見つけたの」とこっそりと教えるように、柚木沙弥郎のことを紹介したい。
1:柚木沙弥郎と染織の道
柚木沙弥郎は東京で産まれた。
柚木の父親は、渡仏経験もある油彩画家だ。
(藤田嗣治と同じ時期に活躍していたというと、イメージが湧きやすいだろうか。)
そんな父親の影響で美術に慣れ親しんだ柚木は、東大で美術の歴史を学ぶ道を選ぶ。
しかし、時代は第二次世界大戦のさなか。
学徒動員もあり、理想の学生生活とはならなかった柚木は大学を中退する。
終戦後、柚木は倉敷の大原美術館に就職した。
当時の館長は民藝への造詣が深かった。
民藝とは、ざっくり言うと「日本の地方で育まれた道具は素晴らしい!」という考えであり、それを広める活動は民藝運動と呼ばれた。
柚木は館長の家によく出入りをしていたそうだが、この館長はその民芸運動の中心人物とも親しかった。
それが柚木にとっても、工芸を意識させるきっかけになっていく。
そんな中、柚木は芹沢銈介がデザインしたカレンダーと出会い、開眼。
「この人に学びたい」と、芹沢に弟子入りを果たす。
ここから、柚木は研究者ではなく製作者としての道を歩み始めた。
2、柚木沙弥郎の自由な布(きれ)
芹沢の薦めで染織の工房に入った柚木は、そこで染織のいろはを学んだ。
柚木は、研究者として、そして職人として、表現の広がりを持つことができたのだ。
そのため、柚木は「表現する」だけでなく、「使ってもらうこと」を前提としてものづくりを続けている。
「模様のついた自由な布(きれ)」
「布だから(自分の染織したものは)どこで切って使ってもいい」
ただの芸術家だとしたら、こんな言葉は出てこないだろう。
柚木が引用した言葉で「デザインはもともと境目のないものに線を作ること」というものがある。
人や物、自然、身の周りにある普通の物。
それらに自分の視点で輪郭を与えるということだ。
きっと、創作するということに覚えがある人ならば、共感できる考え方なのではないだろうか。
丹精込めて染められた布で、自分の身の回りの小物を作る贅沢。
柚木の創作物は、人々にそんなありふれた制作意欲を湧かせる不思議な力があるのだ。
どうだろう、ここまで読んでくれたあなたは、柚木沙弥郎の名前だけでも憶えてくれたのではないだろうか。
そして、気が付けば、あれも、これも、実は柚木のデザインなのだ、と気が付くことが増えることと思う。
この文がそんなあなたの興味の端に触れ、冬の散歩に彼の展示を選んでくれたら、嬉しい。
参考
柚木 沙弥郎さん / Interviews / LIFECYCLING -IDEE- (ideelifecycling.com)
https://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/exhibition_2209.html
・別冊太陽 柚木沙弥郎 つくること、生きること
・「芸術新潮」2018年3月号 新潮社刊 「超老力 柚木沙弥郎95歳」
・「母の友」2018年1月号 福音館書店刊 「95年前のぼく 沙弥郎さんのアルバム」
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