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今日も青を聴いている/今日もうたを歌うよ


成人の日によせて、詩のようなエッセイのようなわたしのことばです。

なんにでもなれた頃、なんでもできていた頃、あれから五年、今日も私は「縋る」という字を丁寧に書けます。

はたちを迎えたひとたち
おめでとう、何者にもなれなくても今日や明日を生きれなくてもきっと全てが正解です。私はわたしにそう言い聞かせて、死ねる日までを生きています。これは暗い話ではなくて、どちらかといえば前向きな話だと思う。

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『今日も青を聴いている』

ロックバンドに染まったくせに私は未来を示せないままだけどそれでいいんだよ

いいんだよ、と言ってよ、誰よりも青に染まったのにさ、誰よりも、前に進めなくてさ、みーんなあの歌詞のように大人になって、みーんなあの拳の先に、進んで行ったのに、無邪気な僕らだった塊は綺麗に分裂した

平日は仕事をしてそれなりに辛いことがあって恋愛なんかもして、たまにはふらっとライブへ行って、また情熱を持ち帰ってはルーティンをこなせる糧にして、そんな暮らしをするために、そんな普通が欲しいために私たちはロックを聴いていたわけじゃないけどさ、だけど、そんな普通さえも手にできないまま、なんにも熱くなれないまま、「あの頃」に縋って前が見えない私は、誰にも救われないのに、今日も青を聴いている

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『今日もうたを歌うよ』

あのこもあいつも大人になった
海外旅行とか行っちゃうんだってさ
家庭があり大黒柱なんだって
先生と呼ばれるようになったひと
いつまでも音楽が友達なやつも

瞳も名前も私の知らないひとになっていく
性格も見た目も命の燃えかたも
きみの知らないひとになったよ わたし

ジャーニーと名付けたギターがあって
Fコードさえ弾けないままで
こころのなかでは演奏できて
声にならないうたに
誰にも聴かせないうたに
旅をさせているよ

今日もうたを歌うよ
恥ずかしいから声に出さないけれど


『今日も青を聴いている』
『今日もうたを歌うよ』
20180108

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