見出し画像

水まんじゅう

   みきはとってもお腹がすいていました。
「今日の夕飯、何にしようかな。作るのは面倒だし、出来合いのお弁当はカロリー高いから太っちゃうし」
 会社から帰る時間はいつも悩む時間でもあります。一人暮らしのみきは、自分で何とかしなければならないのですが、食べることが大好きなので、つい買いすぎてしまうのです。 
 いつものように近所のスーパーマーケットに入ったみきは、食品売場をうろうろしながら、まだ考えていました。
「今日はうなぎ弁当が特売なのね。でも、うなぎっていう気分じゃないのよね。どうしようかな」
 その時、みきは誰かに呼ばれた気がしました。振り返ってみても、誰もいませんでした。
 「おかしいな。知ってる人なんてそんなにいないのに。まあいいか」
 歩き始めたみきの耳にまた声が聞こえました。
「ねえ、聞こえているんだろ。振り向いてよ。気が付いてよ」
 みきは驚きました。恐る恐る振り返ってみましたが、やはり誰もいません。怖くなったみきは、とりあえず目に入った特売の水まんじゅうをかごに入れて、急いでその場を離れました。
「確かラーメンがあったはずだし、デザートには水まんじゅうがあるし、今日はそれでいいわ」
 あの声は一体何なのか、とても気になりましたが、戻って確かめる勇気は、みきにはありませんでした。
 家に帰ったみきは夕飯の支度に取りかかりました。支度といっても、野菜と卵を炒めてラーメンにのせるだけなのですが。
「これでよしと、いただきます」
 みきは何気なくつけたテレビを見ながら食べ始めました。
「忘れたらいやだよ」
 みきは思わずお箸を放り出してしまいました。またあの声です。まわりを見回してもやはり誰もいません。みきは泣き出しそうになりました。
「怖がっているんだね。大丈夫だよ。僕は水まんじゅうだよ。君がさっき買ってくれた水まんじゅうなんだ」
 みきはあまりの恐ろしさに、声も出なくなってしまいました。
「大丈夫、心配しないで何もしないから。ただ、ここから出して欲しいんだ」
 みきは震える手で、スーパーの袋の中から水まんじゅうのパックを取り出しました。普通の、変わり映えのしない水まんじゅうです。じっと見ていると、その中の一つが動き出しました。みきの手からすべり落ちたパックはふたがはずれ、水とまんじゅうが飛び出しました。
「ありがとう、出してくれて。でもお願いがあるんだ。僕をきれいな水の中に入れてくれないかな」
 みきは、固まった体をやっとの思いで曲げながら、水まんじゅうをのぞき込みました。一つの水まんじゅうがゆっくりと近づいてきます。みきは叫び出してしまいそうでした。 
 すると、水まんじゅうの透明な部分とあんこが分かれ始めました。よく見ると、その透明な部分はくらげでした。透き通ったきれいなくらげでした。くらげはみきを見上げるとお辞儀をしました。ただ、水から出てしまったので、とても苦しそうでした。
 我に返ったみきは、あわててガラスのサラダボールにたくさん水を入れて、くらげを入れてあげました。くらげはしばらくじっとしていましたが、やがて元気になり、みきに話し始めました。
「そう、僕、くらげなんだよ。実は海で遊んでいたとき、ちょっとした不注意で漁師さんの網に引っかかってしまって、懸命に逃げているうちに、水道管に紛れこんでしまったんだ。結局、水まんじゅうの工場にたどり着いたんだけど、このままじゃ干上がってしまうと思って、水まんじゅうになりきっていたんだ。ただ、海が恋しくて、助けて欲しくて」
 くらげは泣いていました。透明な涙が流れ出て、水に溶けていきました。
 その週の土曜日、みきは海辺に立っていました。プラスチックの入れ物に入ったくらげも一緒でした。海の中にそっとくらげを戻してあげると、くらげは嬉しそうに手を振りながら、遠ざかっていきました。
「ありがとう、忘れないよ。絶対忘れないよ」
 みきにははっきりと聞こえていました。
 その日は快晴でした。真っ青な空と真っ青な海。透明なくらげは光をはね返しながら消えていきました。じっと立っているみきに、太陽の光が優しくふり注いでいました。