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自作短編 第五弾 『死ぬのを思い留まる確率』

この作品は以前小説サイトにて投稿したものを書き直したものです。死ぬのを思い留まる……もしくは留まらない……。そんなボーダーラインに立っている少女を、観察対象としてただ傍観している神様たち。さてさて、結末はどうなるのでしょうか。ではどうぞ。


『死ぬのを思い留まる確率』

【試行一回目】

 私は今日、
 死のうと思った。
 だから迷わず、掃除の時間にこっそり一人教室から抜け出し、誰も通らない道を通って、屋上へと辿り着いた。

 計画してたわけじゃない、でも今日思い立ったわけでもない。
 なんとなく、死のうと思ってた。
 それが今日だったに過ぎない。

 迷いなんてないから、思いっきりその透明の床へと飛び込んだ。

 ぴしゃっ
 ぴき

    結果:死亡

 ♢

【試行二回目】

 死のうとしている私に振り返る風景などあるはずもない。

 ただ、今日もいつも通りだった教室。
 日直なんてやりたくないなどと愚痴をこぼしながら、黒板消しでチョーク文字を消してゆく女子生徒。
 サボってまるで中学生みたいに、箒で剣道部のように勝負をしている男子生徒二人組。
 罰としてゴミ袋を所定の位置に捨てにいくのを誰がやるかと、くじ引きで決めようとしてる今日の遅刻組の男子生徒三人組。
 手を動かさずお喋りに興じてる男子と女子複数人に注意する委員長。

 ああ、今日もいつも通りだった教室。
 屋上の端に立っていた私だが、静かにその教室へと戻っていった。

    結果:生存

 ♢

【試行三回目】

 途端に淋しくなった。
 私は決して不幸ではない。苦労してきた人間から見れば実に、愚かに見えるだろう。
 でも私は弱いのだ。何処かの誰かほど、強くはない。

 だからこんな突発的な行動を起こす。
 この淋しさを埋める方法を知らなかった私は逃げることしかできなかった。
 目を瞑れば違う世界に行けるだろうか?

 ぴしゃっ
 ぴき

    結果:死亡

 ※ ※

「どう? 実験うまくいってる?」

 上位の神である(本来の発音では聞き取れないので、ここでは巳叉様と呼ぶ)巳叉様が私に尋ねた。

「どうでしょう……。今、三十回ほど試行を繰り返していますが、確率としては……」

 そのとき、巳叉様の目つきが少し鋭くなったので私は黙った。

「三十回なんて、試行回数としては全然足りない! 今回の実験レポートは学会に提出するものなんだから、安易な考察をしないでちょうだい。せめて一万回。そのくらいは実験してから、発言するべきよ」

「す、すいません……」

「謝らなくていいから! ほら、さっさと手を動かす!」

 神々の世界、天界にも学会と呼ばれるものは存在する。
 そして、我らが巳叉様は『人間心理学』という分野を研究しているそれは立派な方なのだ。ちなみに、私は巳叉様の助手だ。
 地上の『心理学』程度のことは常識、つまりは当たり前で、巳叉様はもう一歩踏み込んだ、人間の本質に触れるような心理を研究している。
 そして今回の実験テーマは……。

『死ぬのを思い留まる確率』である。

 巳叉様曰く、確実に死のうと決めていた人間でさえ、いざ死ぬ直前となると、理由もなく、死にたくないと思うのだという。
 更にいえば、その思いは自然的に発生するものであり、意図的な干渉がないとしても、確率的に発生するものらしい。

 まぁ、実は助手である私でさえ、そこまで理解できていない。それほどに、巳叉様の研究は難しいのである。

『死ぬのを思い留まるというのは、例えば死ぬのを説得して止めようとする人間が現れたとか、走馬灯のように今までのことが浮かんできて死ぬのが惜しくなったとか、そういうパターンもあるのだが……たとえそのような決意への意図的な干渉がなくとも、死ぬのを強く決意してた人間がふと死ぬのを思い留まることがあり、その急に現れる思いは自然的に発生するものであるという。自然的に発生するということは、確率論で考えることが可能であり、何パーセントの確率で、人間は心の奥から、ふと、死にたくないと思うのか。それを研究するのが今回の実験の目的である』

 短くまとめようとしても、このくらいの長さになる程度には、巳叉様の研究は難しい。

 そして現在、私が行っている実験はこのようなものである。
 一。自殺しようとしてる被験者を見つける。
 ニ。特殊な装置を使い、パラレルワールドを視聴することにより、何回被験者が死ぬのを思い留まるかを調べる。
 三。ただし、自然的に発生する思いを調査するため、意図的な干渉を防ぎ、また、全ての試行において状況を揃えなくてはいけない。つまり、被験者に実験の結果を偏らせるような影響を与えてはいけない。

 この特殊な装置というのは、詳しくは説明できないのだが、簡単に説明すると。
 とある状況を記録することにより、その状況を再現したパラレルワールドをいくつも作ることを可能にする、というものだ。
 状況Aによる結果を結果Aとするなら、通常は結果Aは起きた事実なのだから、それ以外の結果を我々は知ることができない。
 しかし、状況Aなら必ず結果Aになるというような、意図的な因果でもない限り、確率的には他の結果だってあり得た話なのである。

 サイコロを転がす。
 目は一が出た。
 しかし、これは完全な確率論だ。この状況を完全に再現した上で、またサイコロを転がせば、次は一になるとは限らない。
 二が出るし三が出るし六が出るのだ。
 そしてこの装置を使えば、その状況を何度でもパラレルワールド上で再現でき、立派に一が出る確率が六分の一であることを確認することができる。
 例えるならこのようなものである。

 つまりは、死のうとしている同一の被験者を、パラレルワールド上で何度も死のうとする場面へ直面させたとき、そのまま死ぬか、それとも思い留まるかを数えることで、死ぬのを思い留まる思いが発生する確率を求めようとしているわけだ。
 非道徳的だと言われるかもしれない。しかし、この指摘はおかしい。
 パラレルワールドがいくつあろうと、世界の中でその被験者はたった一人。その一人が死んだところで、死んだ回数は一回に過ぎない。それに、我々は試行を繰り返しているだけで、死のうとしているのはその愚かな被験者の責任である。我々は一切、そこに関与していない。関与してしまえば、実験結果が偏ってしまうからだ。
 非道徳的もなにも、我々は観測しているだけなのである。

 状況は、今回の被験者である彼女(名前はプライベートのため明かさない。それくらいのデリカシーはある)が教室を出た直後に設定した。
 この状況を何度も再現し、彼女が死ぬのを思い留まる確率を求めるのだ。
 一回目の試行にて、彼女は屋上に行くまでに特に気にするようなこともなく、また、誰かとの接触もなかった。つまり、この状況にて実験を進めても、意図的な干渉はなく大丈夫だということだ。

 さて、あと何回彼女は屋上に立つのだろう。

 ♢

「どう? 結果出た?」

 しばらく研究室から離れていた、巳叉様が帰ってきて私にそう尋ねた。

「……ええ。相当な数の試行を重ねました。問題はありません」

「結果見せてくれる?」

「分かりました」

 巳叉様に出た確率を見せる。

「約33パーセント……。つまり人は三回のうち一回は、死ぬのを思い留まるのか」

 ニヤニヤとして独り言を放つ巳叉様。私はなにも言えずしばらく黙っていた。

「よしよし、よくやった! さすが私の助手だ! 見たところ結果を偏らせる要素もない。これは学会に出せるぞ!」

「本当ですか!?」

「ああ。よくやったよ、本当。近いうちに一緒に焼肉でも食べに行くか!」

「はい!」

 巳叉様はとても嬉しそうだった。
 それだけで私は十分だった。

 しかし、学会当日。
 帰ってきた巳叉様は機嫌が悪そうだった。

「……盲点だったなあ」

 あまりにも元気がないので、話しかけてみる。 

「どうしたんです? もしかして学会でなにか問題でも……」

「いや、けっして君が悪いんじゃないんだ。気づけなかった私が悪い。まあつまり、あの実験には穴があったんだよ」

「えっ」

 そんな。

「結果に影響を与える要素があったんだ。必然的に33パーセントになるような、ね」

 そんなはずはない。
 被験者は教室から出て、死ぬ直前まで一切、なにに対しても干渉してないしされていない。なのにどうして……!

 困惑している私を見て巳叉様はこう言った。

「屋上の端に立つまでの過程には、問題はなかったんだ。問題は、屋上の端に立ってから、飛び降りるまでの一瞬」

「そんな一瞬で」

 私が驚き、声を出したのを遮って、巳叉様は尋ねる。

「君には浮かばないかい? 33パーセント、必然的に三分の一になってしまう理由が……」

 ※ ※

【試行88回目】

 死のうとしている私に振り返る風景などあるはずもない。

 しかし、屋上の端に立って、下を覗いてみた。
 おそらく、くじ引きで当ててしまったのだろう、ゴミ袋を運ぶあいつがいた。
 のんきに、それでいて懸命に、生きてるあいつを見ていると……なんだか死のうとしている私が馬鹿馬鹿しくなる。
 ふと我に返って。
 屋上の端に立っていた私だが、静かにその教室へと戻っていった。

   結果:生存


これにて『死ぬのを思い留まる確率』は以上です。人が生きる理由なんて、死なない理由なんて思ったよりも単純なのかもしれませんね。次回作も頑張りますのでこれからも応援よろしくお願いします。ではまた。

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