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ニューヨークで見ていること (2) 2023.12初旬

私の住む地域では、若者の死亡が多いという記事を書いた。今日も、今日と
て、家から駅に向かう間にあるビルの前、お葬式で使う大きな花の輪があるのが、少し先から見えた。

近寄ると、20代らしい、薄い髭の男性の写真数枚が貼ってあり、たくさんのキャンドル。『ママより』と、花の輪のリボンに印刷されていた。子供の写真がいくつかあるのは、この男性の子供か、彼が小さかった頃のものか、どちらかだろう。

数歩進んだ、同じビルの入り口の反対側に、なんと、もう一つ、Shrine(弔い場所)があった。雨避けが作られていて、詳しく写真など見れなかったが、別の人物のようだ。二人の死因が関連しているのか、全く別々に、同じビルの住人が、ほとんど同時に亡くなったのかわからない。この件は、ニュースにも出ていなかった。

うちの周りでは、こうやって、送り火が、絶え間なく揺れている。一つ消えると、他の場所に移動する。

実は、このビルの壁には、数年前、若い二人の男性の似顔絵が描かれた。彼らは、どれくらい前かわからないが、バイクに二人乗りしていて、事故で、同時に死亡した住人らしい。いつも、若者がたむろしているビルで、上手く言えないけれど、そういう場所なんだろう。

暗い話だし、日本も大変に見えるので、『読んで、明るくなる話を投稿するのが、良いのか』と思ったりもする。でも、「元気に、アメリカでやってますー。」みたいなことばかり書いても、いきおい、『私』とは乖離した文章になるだけだ。私も、楽しかったり、笑ったりもしてるけれど、そればっかりでもない。

ニューヨークの住人同士の雑談が耳に入る時、私が、誰かと話すとき、どれだけ前向きな話であっても、乾いた現実の伴奏が聴こえる気がする。崖に立って、下を見れば落ちてしまうことを、お互い知ってるような、そんな感じだ。

ただ、不思議なことに、どれだけ長くアメリカに住んでいても、こちらの日本人は、相対的に、こういった事象を知らない人が多い。そうでもしないと、こっちで暮らせないのか、単に、違う次元か時間帯にいるのか、今ひとつわからず、混乱する。


(追記)
先日の記事に、コメントで、『負の連鎖は、どうしたら、断ち切れるのでしょうか』と書いてくれた読者の方がいた。私も、それは、机上の空論として、考えたりする。

でも、まず、問題の大きさが、どの辺りまで広がっているのか、想像もつかない。こういったことは、うちの近所だけ、特別なことではないと、思っている。どちらにしても、根っこは、複雑で深いはずだ。

昭和の50年代、私が日本で住んでいた地域の中学は、市内(100万人以上が住む)で、『二番目に荒れている』と、言われてた。高校生になってから、バイクで事故って亡くなったり、リンチで殺されたりした若者の話も、聞いた。ただ、死亡は稀なケースで、私は、その中学に行ってなかったこともあるのかもしれないけれど、直接や、その中学に通う弟の知り合い、近所の人ではなかった。

私にしても、いわゆる不良ではなかったけれど、精神健全な10代だったとは、とても言えない。けれど、社会が、相対的に安全だったのだろう。なんとか、大人になれた。

つまり、日本でなら、生きて、「いやー、若い頃は、荒れてて。」ですむ話も、ここでは、のっぴきならない結果に繋がるということだと思う。

また、うちの近所で亡くなっているのは、10代もいるけれど、主に20代から30代だと思うし、必ずしも、ギャングとか麻薬とかに、関連してるとも言えないようである。だいたい、その辺りのことも、ほとんど、当たり前化していて、それ以外に道がないような状況もあるかもしれない。

詳しく知らないこともあるし、正直、解決方法は、全然わからないのでいる。

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