一二三

14年間看護師として勤めた総合病院を勢いで退職し、右往左往しながら、自分の生き方を模索…

一二三

14年間看護師として勤めた総合病院を勢いで退職し、右往左往しながら、自分の生き方を模索中です。 自分も何か創る側になりたいと思い、noteを始めました。よろしくお願いします。

最近の記事

焦らない焦らない、ひと休みひと休み

一休さんの言葉を唱えながら、なるべく楽にやっていきく年にしたい。 お金のため、生活のために、家族(祖父母・親)のため そのために自分に無理をさせてきた 気がついたら、とてつもなく孤独で息苦しい状況になっていった。 仕事にも家庭にも居場所がない。 働くのも苦痛、無職も苦痛、家族といるのも苦痛。 そんな自分が大嫌いになっていくという負の領域に入った。 自分が楽になるように過ごすと、すごく悪人になった気がしてならない。どうすれば、自分が納得する生き方に辿り着けるのかな。自分

    • 100日後に理想に近づいている無職#2日目

      こんにちは。今日も緩く生きてます。 お婆様のポータブルトイレの掃除をするのが午前中の一番の押しごと。 お婆様の便の調子をみて下剤を調整し、見事に丁度いい感じになって、満足感を得ているのは職業病なのだろうか。 昨日から、100日後に理想に近づきたいがために色々目標を上げたわけですが… とりあえず、アラフォーなので健康に色々支障をきたしてくる年齢です。 そして、生涯ぽっちゃりとして生きてきているため、どうしても痩せたい。 もう生涯ダイエットしている自分。趣味はダイエットです。

      • 応援看護師体験記#番外編(太平洋フェリー1)

        応援看護師として遠出することになったが、移動手段が不安すぎた。 しかし体験してみて、そう難しくもなく、思ったより快適に過ごせた。 ちなみに、私が今回利用したのは太平洋フェリー(苫小牧〜仙台〜名古屋)だった。 太平洋フェリーには「いしかり」「きそ」「きたかみ」という名前のフェリーがあり、利用する日にちによって決まる。ちなみに私は、行きは「いしかり」帰りは「きそ」だったが、個人的には「きそ」派。どちらも船の構造とか綺麗さは変わりないのだが、「きそ」は中央のラウンジに電子レンジや洗

        • 100日後に理想に近づいている無職#1日目

          派遣の仕事を挫折して実家に帰ってから、また復職するのは大変なことだ。 実家の母親や、祖父母には少しだけ面目ない気持ちでいる。 そのため、家ではほぼ引きこもり状態。 母は仕事をしており、ほぼ家にはいないため、祖父母の世話と夕ご飯の準備が今の私の役割となっている。 ただ、毎日時間だけが過ぎていく。焦燥感が強くなっていく。 母親にも心配をかけたくないため、そろそろ頑張らなくてはならない時期が来たと感じている。ほぼ無能であるため、復職は怖すぎるが、生活のためには仕方がない。 で

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          大好きなゲーム実況の視聴

          私がゲーム実況にハマったのは、なぜだろう。コロナ禍も影響はしていると思う。 でも自分自身も子供時代、兄がやるゲームを隣で見ているのが好きだった。 それが、ゲーム実況視聴の始まりだったのかもしれない。 私はアラフォーで、周りでゲーム実況を知っている人や視聴している人はいない。 友達に話すと、大体笑われる。なぜ?私の年代では、かなり珍しい方なのかな。 ゲーム実況トークをしたいのに。 1番最初に視聴し始めたのは、狩野英考ちゃんのEIKO!GO!で、バイオハザード4を見てから。初

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          応援看護師体験記#2(派遣の準備は大変)

          応援看護師になることを決めたのは良いものの、派遣先に行くまでがこれがまた一仕事である。 まず、今住んでいるところどうするか問題 私は家賃月7万円のマンションに一人暮らしをしていた。 派遣会社いわく、派遣先では家賃がかからないためマンションの契約をそのままにしていくか、解約して退去していくかは半々らしい。 私は、色々悩んだ末、お金のために退居することを選択した。 ちなみに退去費や、派遣が終わって帰ってきて、また賃貸を再契約する場合には結局のところ費用にあまり差がない。その

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          介護に必要なこと「相手を考えない時間」の確保

          介護って、相当な精神力が必要だ。 私は無職になり、実家に帰ったが、90歳の祖父母(特に祖父)との関わりにより 多大なストレスを抱えている。 何が1番ストレスかというと、 祖父母が自分でやっていたことをやらなくなること、である。 そして、それが当たり前になること。 さらに、それを自分がやることに不満を持つようになること。 「年寄りを面倒見るのは当たり前だ」 うちの祖父母の場合はこの考え方が基本にあるようだ。 やってもらうのは絶対に当たり前ではない。 自分で出来ることは、

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          応援看護師体験記#1(選択の決め手はコンビニのミニトマトってまじ)

          病院を退職してから、今後どのような働き方で生活していくかかなり悩んだ。その中で、応援看護師として働いてみて、学んだことを体験談としてまとめてみる。 まず、私は超絶変化が苦手な不器用怯え陰キャである。 初めて実家を出て、一人暮らしした時は、寂しいし何も知らんくて不安だし、 とにかく食事が喉を通らなくなるほど追い込まれる位だった。 新しいことが苦手で、学生の頃からクラス替えや席替え、新学期など慣れた場所を離れるのが不安でしょうが無かったため、1番苦手な季節は春だった。 人間関

          応援看護師体験記#1(選択の決め手はコンビニのミニトマトってまじ)

          14年勤めた病院を辞めて無職になりました。

          看護専門学校を卒業して14年間、総合病院に勤務した。 社会人として自活するのは、仕事は大変だったが充実していたと思う。 旅行したり、好きな洋服を買ったり、自分の働いて頂いた給料を、好きに使えるということは本当に楽しかった。 その代わり、仕事は非常に厳しく、何度も挫けそうになった。 看護師を続ければ続けるほど、自分には向いていないという思いが強くなっていった。 人と同じように覚えたり出来るようになるまで、時間のかかる方だった。 それでも、謎の努力と根性で頑張っていた。先輩や後

          14年勤めた病院を辞めて無職になりました。