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教授もお手上げ、フランス人は議論好きにもほどがある【フランス留学のススメ】
教授:On dirait qu'on est à la maison.
(ここはお家じゃないんだよ ※ニュアンス訳)
教授が講義中、議論に夢中になる学生に対して放った一言。
この言葉が示すように、フランス人はとてつもなく議論を愛している。とてつもなく!!!!!
(一口にフランス人とくくることはできないのは百も承知)
今回のテーマは、ほとんどの日本人学生が留学中に経験するであろうカルチャーショック、海外の大学と日本の大学の授業参加態度の違い について。
私が現在留学しているフランスという国に限って、その違いが生まれる理由を、私自身の体験から超個人的観測に基づいて探ってみたいと思う。
まず第一に、フランス人の大半は人の話を聞かない。
聞かないと断言するのは語弊があるかもしれない。(彼らの名誉のためにも)
聞かないというよりも、人の話が終わるのを待たずに話し始める。という方が正しいかもしれない。
誰かが話している途中であっても、「そんなもん知るこっちゃ」と言わんばかりに我よ我よと話し始める。
日本人同士のキャッチボール型の穏やかな会話に20数年慣れ親しんできた私からすれば、こっちの会話は戦争そのものだ。常にマイクの奪い合いである。
一人がマイクを取ったかと思えば、すぐに誰かがさっそうと発言権を奪い取る。マイクを奪われた側は嫌な顔一つせず、次に自分がマイクを握るチャンスをハイエナのように狙っている。
留学当初は、このビーチフラッグ形式の会話についていけず、なんで皆わたしの話を聞いてくれないのーー!とよく落ち込んだ(笑)
何はともあれ、このフランス人の話したがりの性格は授業中にも表れる。
先日、日仏翻訳の授業にて、日本の大学ではまず考えられないことが起こった。
その日のお題は、貞子で有名な映画「リング」の原作小説だった。
議論の的になったのは、「グラスの中で氷がぐるぐる回って動きを止める。」という一文。
≪ぐるぐる≫
「さて、どう訳そう。」教授が学生に投げかける。
ビーチフラッグよーいどんの合図だ。
学生は我先にと手を挙げ、それぞれの考えを述べる。
フランス語には、ぐるぐる に相当するオノマトペが存在しないので、
ぐるぐる のニュアンスをオノマトペではなく、動詞やその他の表現を用いて表す必要があるのだ。
~ここで繰り広げられた会話の一部を抜粋~
学生1「シンプルに tourner(回転する①) でいいじゃない?」
学生2「いや、それだとくるくる感に欠けるよ」
学生3「僕は tournoyer(回転する②) がいいと思う」
学生4「いやいや、その動詞はメリーゴーランドとかそういった類の子供の遊具に使うもんだよ普通、くるくるしすぎやろ」
学生5「じゃあ pivoter (回転する③※軸を中心に回転)は?」
学生6「その氷たち行儀良すぎだろ」
学生7、8、9、、「いやいやこっち」「えー僕は違うと思う」だのなんだの、ひたすらあーだこーだ言い合う学生たち
最後には手を挙げて発言するという規律さえ失い、もはや誰がマイクをもってるのか分からない。あーでもないこーでもない。。。
議論が白熱して10分強、しばらく見守っていた教授が見かねて手を挙げる。まるで学生のようにおずおずと(笑) 教授、お手上げ(爆)
最終的に教授の案が採用され、仏訳は以下の通りになった。(教授の案にさえ異を唱える学生まで居るから驚き、心底不服そうにしていて面白い)
「Les glaçons encore en mouvement / qui tournoyaient dans le verre s’arrêtèrent progressivement.」
これを再び文字通り、和訳するならば、“グラスの中でまだ動いている/回転している氷が徐々に停止する”となる。
日本語話者のわたしからすると、ぐるぐる感 が足りないようなする気もするのだが、フランス語話者からすると、これが自然な表現なのだろう。
(私自身、留学して初めて日本語の語彙の豊富さに気づくとともに、オノマトペなしで日本語を話すことは非常に難しいということを知った。フランス語と日本語のオノマトペの違いについては別記事で詳しく掘り下げたい。)
何はともあれ、終着点が見つかってめでたしめでたし、である。
ここで記事冒頭に戻るが、
On dirait qu'on est à la maison. (ここはお家じゃないんだよ)
これは、この議論の最中に教授がポロっと発した一言である。誰に注意するというわけでもなく、本当に小声でぼそっと(笑)
日本では、講義の9割が教授の説明で、学生はただただ話を聞くだけという受動的な授業にすっかり慣れていた私。
学生皆が家族と話しているようにリラックスして、議論に参加する授業なんて一度も経験したことがなかった。
発言=論理的でポイントを押さえた的確な意見を言わなければならない
といった強迫観念を勝手に抱いていたのかもしれない。
反対に、発言をすることに対するバリアーが全くないフランス。
フランスの自由すぎるともいえる授業を受けるうちに、私自身、自然とこういった観念から抜け出せたように思う。
どれだけ考えがまとまっていなくても、とにかく自分の思ったことを言う。そうやって、皆の考えを出しに出し合うことで、全体としての議論を深め、よりよい着地点に到達できるよう、皆で努力する。
最終的に答えが見つかろうがなかろうが、そんなことはどうだっていい。
教授の答えだけが正解じゃない。いろんな意見があって当然だし、だからこそ講義が面白くなる。
そんなことを身をもって学んだ授業だった。
あれから一週間。私はフランス人の議論に以前よりも前かがみで耳を傾けるようになった。
なんせネイティブ同士の会話はスピードが半端なく早く、リスニングの練習にもってこいなのだ。
あーだこーだあーでもないこーでもない、としょっちゅう議論を交わすフランス人。ひたすら仲間内でぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。
こんなふうに、フランス人は常に議論に華を咲かせ、日々の生活にスパイスを加えることを忘れない。議論を楽しむこと、それが彼らの生活の一部を成しているとさえ言えるかもしれない。
私がこの記事を書いているカフェでもほら、あそこに、議論に没頭する昼下がりのマダムたち。一体何を話しているんだろう。すごい熱気。少なく見積もっても日本人の3倍のスピードで動く口。
3月も下旬に差し掛かった今日、20度を超えるポカポカ陽気の南仏にて、今日もビーチフラッグの幕が上がる。
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