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生きる軸、をどこに置くか?


少し昔の話になる。

私の生まれ育った場所は田んぼが広がる盆地。
そこそこ田舎、かといって都会ではない。
いわゆる、ベットタウンである。



日本地図を見た時は、自分の住んでいる街がこんなに小さいのか……と思った。


同時に、トーキョーとか、オーサカとか、アイチとか、フクオカとか、が太平洋ベルトとかいう場所と呼ばれることを学校で知った。


……
……都会って、いっぱいあるんだなあー。
……どんな所なんだろう?



小学生のオツムではせいぜい、
会社が沢山あって働く人の多い所
っていう印象しかなくて、
人が集まる理由はそんなものだと思っていた。




そして、中学生の修学旅行で日本の首都、東京に行く事になる。


まず、到着して思った。





…………空気が死んでる……。(苦笑)



某地下鉄〇〇〇事件の影響が残っていて、
東京の地下鉄は、こんなに息苦しいのか……?とか
大真面目に思ってしまったくらいだ。(恥ずかしい)

…………………………
………………………………………………


都内探索に出かければ、
渋谷駅に降りて3秒で班員が迷子になるわ、
上野駅から班員が1人だけ先の電車に乗るわ、
原宿に至っては身動きすら取れなかった。(平日の竹下通り)
某テーマパークにも行ったのだが、そこはすごい楽しかった。(単純!)




共通して思ったのは、


…………圧倒的人、人、人、である。



本当に人しかいないのだ。草木よりも、家よりも、ビルよりも、人の方が圧倒的に場所を取っているのだ。
それも皆が外出用の服を着て。ファッション雑誌から抜け出してきた様な格好で。


ダルダルジャージに健康サンダルですっぴんで、
コンビニにたむろってる、おねーちゃんはどこにもいなかった。(田舎によくいる)


夜になると家に帰りなさい、と言われる田舎よりも、街がパワーに満ちあふれていて、都会が魅力的に見えた。


また、仕事だけではなくて、コンサートやライブイベント、ミュージカルとかいう催物が行われる会場が沢山ある事も知った。
(のちに自分がおたくになり、都内住みのアクセスの便利さを知った!(!))



……そう、田舎のいち中学生は、これをきっかけに
都会に憧れを抱いていた。よくある話だ。



就職して東京や大阪に来た時は、
これで私も都会に住んで生きるんだな〜!とかワクワクしてた。憧れを抱いて上京したのだ。





……しかし、数ヶ月経つとその気持ちは「帰りたい」に変わっていた。



理由は沢山あるが、第一に

野菜が美味しくない!!!!!!!!!!!
(※個人的偏見を含みます)(でもホント不味かった)



続けて書くと、

やっぱり空気が汚い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(仕方ないとはいえ)

夜がない!!!!!!!!!!!!!!!!!
(夜、外が無音なのは田舎の特権)

映画館空いてない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(都内の土日は修羅場)

喫煙者が多すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(喘息持ちには致命的な職場)




……最後のは半ば職場の愚痴みたいなものだが。笑
とにかく都会には住んでみて自分が不快に感じる点が多すぎたのである。


どうしてなのか。
美味しくないキュウリを、マヨネーズでごまかし、サラダを、ひとりボウルを抱えて食べながら考えた。



……私にとっての都会は、住む場所ではなくて、遊びに来る場所なんだな……!
(☆マイベストアンサー〜〜────…!)





ちなみに。

同期の子と幾人か話をしていると、

「やっぱり都会がいいよ〜!何でも売ってるし、電車すぐ来るし。」
「芸人さんがロケしてるところ見た事ある!テレビの収録とか、屋外でラジオの公録やってたりとか。ここを中心にして回ってる感じがするから超便利〜〜〜〜!」
「最新のファッションとかメイクとかすぐ情報来るし、すぐ買いに行ける。なんなら、ポチッたら本当にすぐ届く。」
「仕事が大手企業だからここにしか住めない。でも施設は沢山あるし、コンサートイベントも近い!」

などなどなど……都会のメリットが手放せなくて住んでいる人は非常に多い



もちろん、イベントや、コンサートは私だって大好きだ。田舎から行くとなればそれこそ遠征なり、小旅行並みのお金が飛んでいってしまう。

ただ、趣味は、広く浅くそこそこでいいと考えている私にとっては、毎日劇場通い……というのはあまり望むところではない。


……で、再び私は心の中で自分に問いを投げた。

……自分にとって本当に幸せな生き方はどんな生き方だろう?






…………………………………
…………………………………
…………………………………
仕事をする場所の話をしよう。

昔は上京してナンボの時代だったり、
働けば働くほどお金が貰えて、
上京すると開ける世界が本当に沢山あったと思う。

昭和の時を若くして過ごした人々は、
田舎の古い慣習に縛られたくないとか、
役者や芸人になりたいとか、
都会に行く理由が沢山あったと思う。



今はどうだろう……?
平成は、もうすぐ終わろうとしている。
ブラック企業が沢山あり、あくせく働いても、
闇に石を投げる様な、心もとない社会。

その傍らでユーチューバーが在宅で何億も稼いでいたり、高校生がひらめいたアイデアを使って企業したり。

仕事は場所を選ぶことなく、どんどん多様化していっている。

かつての、年功序列で約束された未来がある時代ではなくなってしまったのだ。

また、SNSとスマホの発達で、都会にいること自体に大幅なメリットがある時代でも無くなってきている。



……………………

……そこで私が出した答えはこうだ。


自分がしたい仕事が都会にしかないのなら行くのも一理ある。
ただ、「都会だったらどんな仕事でもある」というのは間違っている。

むしろ、
「自分さえいれば成り立つ仕事」
もしくは
「今は存在しない仕事(そのうち爆発的に需要が高まる仕事)」
が場所や経歴を問わず、その辺に転がっている可能性の方がはるかに高い。

「最高に居心地のいい場所で、
自分の長所をガンガン伸ばして、
それを仕事にしてしまう」

(だから都会には住まない!!!!!!!!!)

……なんてどうだろう。(大きく出た)




どこにもそんな生き方の本なんて当然ない。
ただ、1つ確実に言えるのは、
社会では結果が全てと言うことだ。



どう頑張ったか、どのくらい苦労したか、
ではなく、

会社を50年安定して経営しているとか、
売上を250%で達成したとか、
そういうものでしか評価してもらえない。





……自分の長所で結果を出そうとしたら、どうしたらいいの?


実は見つける方法が1つある。

自分には何も無い……と思っていたとしても、
今までの人生の中で、

「思っていたよりも、予想以上に周りが反応して褒めてくれた事」

を思い出す事である。
これは、大いに可能性があると思う。

本人が思いもしないところに、自分の長所なり才能なりがある事を、他人が見つけてくれているのだ。



私の場合であれば、力強い絵を描くことであったり、イメージを形にすることが得意なのかもしれない……という具合である。
(自分では普通にこなしていた事だったので、周りも出来る事だと思っていた。)





……じゃあ、最高に居心地のいい場所を作るにはどうしたらいいの?



それは、

【自分の結果を全て納得出来る環境】
【自分を褒めてあげる環境】
を作ればいいのだ。



……といっても、会社での現実は、褒めてくれる上司よりも、ミスを見つけて怒る上司の方が多い(と思う)。
(※叱っても褒めてくれる上司がいる方はすごく恵まれていると思う。。)


働く場所では、そこのルールに従わなければならない。人間関係の複雑さや、上下関係が入ってくれば尚更。素直に生きる事が難しくなる。

私はその境遇に耐えられなかった。

あまりに自分が惨めで、出来ない子で、無能だということを繰り返し刷り込まれて、参ってしまった。




……なので、私は、この歳にして早くもあるコトに気づいてしまった。


【そもそも会社勤めには向いてない】


………
……………私の脳裏には、正解のファンファーレとクラッカーの音が鳴り響いていた。認めたくはないが、納得の事実だ。会社が嫌いなのだ。


……もしかしたら、ひょっとすると、運が良ければ、
気の合う仲間と仕事が出来る会社があるのかもしれない。


だけど。

この生きている間に、条件の良い場所が見つかるのだろうか。
人と関わっていく上で、苦手な人から逃げて回っては、自分は何も成長しないだろう。
その場で、自分が後悔しない選択は、到底出来ないだろう。




もうじゃあ、そんなんなら、

ない場所を探すくらいなら、
自分で作ってしまえばいいのだ。(大の字)

(芸大生・美大生的な思考回路がここで顔を出す)



というわけで、何とか自分で自足自給できる方法を探そう。まだどうなるかは分からないけど。
何年も会社の犬として、働いて稼いですり減ってゆくだけの人生は、私は御免だ。





とんでもなく長くなってしまったが、

【仕事を充実させること】
【趣味を充実させること】は、

私の人生における「幸せ」についての重要なポイントである。




バランスを趣味に振りすぎては破産するし、
仕事に振りすぎては社畜になってしまう。


それも含めて考えてみると、[私の生き方の軸]が、
こうしたいああしたい、とわめいているのに、気づけた気がする。
自問自答することが多いが、noteを使って整理しているようなものである。



人がどうかは知らないけれど、
夢を諦めた時が、私が死ぬ時だと思う。

幼稚園の時の夢は、叶わなかった。
小学生の時の夢は、叶っている。
中学生の時の夢は、叶っている。
高校生の時の夢は、叶っている。
ならば、次に掲げた夢を諦めるまでは、生きる。

叶うかどうかは自分次第。




挑戦は何歳からでも出来るのだから。


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