息子にも拡がっていた、自分を貫きつつ調和すること。ゆるっと解釈のすすめ。

今は息子の小学校最後の校外学習。
朝からお弁当を作りました。

肩からかけれれるようになっている水筒がなんだか年齢と合っていないような氣がして、
「水筒って肩から下げてる?リュックの中に入れてるなら、もうこの普通の水筒でいいんじゃないかなと思って」と聞くと
「水筒をさげたことなんてほとんどないよ〜
こっちのママ達の水筒でお願いします。」との返答。
小学生=あの肩から下げるタイプのやつだと決めて使ってきたのは親の方なんだな〜なんて思いながら、<ルイボスティーぬるめ>というオーダー通りの飲み物を用意しました。

長男はアニメが好きで、リュックはいい感じにアニメの缶バッチや色んなものが付いています。
オタク感全開、自分全開!で、母としては誇らしいのですが
以前、缶バッチつけ過ぎな件を先生に指摘されたことがあって
それに対してプンスカして怒って帰ってきたことがありました。
先生の意見は「危ないから」
長男としてはこの自己表現をダメとされた氣持ちになったようで
怒っているようで、
その息子の解釈が厳しいな、苦しいなと感じたので

「先生はそこをダメっていってるのか、ちょっと考えてみそ。
先生もアニメ好きだったよね。」とだけ言って放って起きました。

今朝、準備をしている彼から
「マミー、缶バッチ、減らしたよ。なるべく危なくないところに付けた。
全部外すっていうのは違う氣がして。
でも今日行くの国会議事堂だしさ、先生も色々あるだろうし
でも俺は俺を貫きたいから」

校外学習に行くのに言ってることのスケールがでかいな
と思いましたが、笑

彼なりに考え、
自分を貫きつつ調和するいい感じのところ

を見つけたのでしょう。

母さん嬉しい。

自分を生きるとか、自分を大事に、
これはとても大事なことで
だから人の意見に耳を傾けるな!だと
なんか平和じゃない。
自分を大事にしていたら、調和する余裕って勝手に生まれてくるなと
この数年の実験(自分やお客様の変化をみていて)で感じていて。

きっと、どこかで息子は「先生に怒られるかな?でも俺はこれだ!」って思っていたから、先生にそう言わせて、怒られていると自分が感じるを選択して怒っていただけで。先生とアニメの話をするようになったこの数ヶ月
何か変わったんでしょうね。フフフ。


自分の解釈は選べる 自分の解釈が現実になる
ゆるっと解釈で優しい現実


自分を貫きつつ、自分を大事にしつつ
そこから生まれた余裕で人と人が調和していくこと
これが家でじわっと拡がっていく感覚が得られて嬉しい。
母さん、嬉しい。

<おうちから世界も平和に>
私の信念のような、開業してからずっとあるもの。
なんか嬉しい、母さん嬉しい。

ゆるっとまいりましょう^^

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