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ギリシャ神話から考える


・テセウスの船・

 テセウスの乗っていた船は、やがて古い部品の全てを新しい部品にとりかえてしまった。かつての形を失った船は、それでもテセウスの船といえるのであろうか。(この時は詳しいストーリーを知らない。)


audibleを聞いているときに、たまたまテセウスの船のパラドックスを知る機会があった。この時の解法として、テセウスの船はテセウスが乗るためという目的を失っていないから、それはテセウスの船と言えるということだった。

なるほど対象がもつ目的(存在理由)が、それがそれであるということの要因であるという考え方はいろんなことに当てはめられそうだ。

これはおもしろそう。


・テセウスの船と伊勢神宮の共通性・

 続いてある日、伊勢神宮の話を聞く機会があった。建築を勉強する身として伊勢神宮の話は当然知っているのだが、テセウスの船の考え方を当てはめてみると、その話がさらにおもしろく聞こえてくる。

伊勢神宮は式年遷宮という行事があり、20年に一度建物を新しいものに取り替える。そしてすごいことに1300年にわたり繰り返されてきている。1300年前の形はとっくに失っているのに伊勢神宮が伊勢神宮たらしめているのは伊勢神宮が神様を祀る場所であるという目的を失っていないからだというテセウスの船の解法を当てはめることができる。

  ここでふと思う疑問がある。

  目的がそのものたらしめる要因ならお城はどうなんだろうか。

かつての人々のそこに住む、守るためにつかわれていた姫路城は、現在その目的を失って形だけ残している。でも、私たちはそれを姫路城だという。この疑問は多くの建築等に当てはめることができるはずだ。どうやら、目的だけがそのものたらしめる要因ではないようだ。


・新たな解法で考える・

 そこで、再びテセウスの船について調べてみた。そこに書いてあった問題の解法が哲学者アリストテレスがあげた四原因説だ。難しくなってきた。。。でもこの考え方がおもしろい。四原因説は、全ての事象には4つの要因があるという考え方だ。

それが、

質料因・・・そのものの素材

形相因・・・そのもの形

作用因・・・そのものが何によってできたか

目的因・・・そのものが存在する目的

これをテセウスの船で考えてみると

質料因・・・× かつての材質を失っている

形相因・・・ 同じ形で作っている

作用因・・・ 造船職人という同じ人が作っている

目的因・・・ テセウスがのるための船

と当てはめることができる。

同じように考えると、伊勢神宮においても質料因以外を満たしていると考えることができる。

そして姫路城に当てはめてみると、質料因は当時のものを維持していると考えれば失われておらず、形相因も当時の形が今に残っていることから満たしており、作用因も当時の人が作ったということで満たすことができる。最後の目的因は、そこでの生活等は現在行われていないことから失われていると考えられる。

このことから、昔から残ってきたものがそのものたらしめる要因は、四原因説におけるいくつかの要因を満たしているとき認識できるのではと考えることができる。


・四原因説を応用してみる・

 逆に言えば、これから残っていくであろうものにおいてその存在を保存していくとき、4つの要因のうち、どの要因を残すことがそのものを価値を残していくことに繋がるかを検討すれば良いと考えることもできる。

例えば、リノベーションやコンバージョンをするとき、その多くはその材質と形に価値を見出しそれを残しながらかつての目的因を新しいものへと転換している。

何が残っているか、残すのかを考える一方で、何を変えるかという着眼点もある。多くのものは何かをベースとして作られている。

例えば、電子書籍に関しては元々は紙でできていたものを電子機器に置き換えた、つまり質料因を変えたものだし、身の回りにある種類豊富な椅子も、質料因や形相因を変えたものと考えることができるし、人がやっていた情報処理をAIがするようになるのも作用因が変わったものだし、先ほど挙げたあようにリノベ等は目的因が変わったものだ。

新しいものは4つの要因のどれかを変えることで生まれるとするのであれば、これから何かを企画したりつくりだしたりするときは、ベースとなるものの要因を定義づけ、要因の何を変えていくかを考えることで新しいものを生み出すことができる。

現存するものを4つの要因で説明したこの説を提唱したソクラテスはやはりすごい人だと思うのであった。



余談


テセウスの船の話を調べているとどうやら自分はストーリーを少し誤解していたらしい。

 この話はテセウスが海をわたる途中で船を修理したわけではなかった。海をわり終えたテセウスの功績を讃え彼の乗っていた船の形を保存することにし、やがて古い部品の全てを新しい部品にとりかえてしまったという話だった。そして、その船がテセウスの船である目的因として「テセウスが渡った船」であるとして目的因を満たしていると書いてあった。

  ここで疑問に思ったことがある。

目的は過去形のものではなく現在進行形なのではないかということだ。伊勢神宮は現在も神様を祀り続ける場所として存在しているから目的が失われていないが、テセウスの船はテセウスが船をわたるという目的を終えている。それは姫路城と同じで伊勢神宮とは違う。テセウスの船は記念として残すという目的に変わっていると考えることができる。


・記念について考える・

 そう思っているとき、記念性について考える機会があった。ここでは、記念とはかつての記憶や思い出を残すことであり、記念性は対象のものにその性質があるかどうかである。

記念性について考える中で、それには先天的なものと後天的なものの2種類があるという話が出た。先天的なものは、そのものが最初から記念的なものとして生み出された場合だ。例えば、ピラミッドや貴族の屋敷などは未来永劫その権力が続いていくようにという思いがあったであろう建物だ。

逆に後天的なものは、そのもの自体は記念的な意図を含んでいなかったが、他者がそのものに記念性を見出す場合だ。茶室は茶道をする場所としてデザインされたものであり、その形に価値を見出した人がその価値を継承したものと考えることができる。

近年では、いろいろなものの価値を改めて再認識するという傾向があるように後天的な記念性というものを考える場合が多いように思える。

そして、先天的記念性は四原因説の目的因として当てはめることができるが、後天的記念性は当てはめられない。後天的記念性はあるものに何かしらの価値を見出すということから、4つの要因のいづれかに価値を見出すということであり、そのものの要因を俯瞰して評価する立場だ。


もう一つ面白い話があがってきた。後天的な記念性というのは、それを記念的なものだと感じる人数に評価の基準があるという考えだ。

建築家の安藤忠雄さんの建てた住吉の長屋という住宅があるが、建築を学ぶ人にとってそれは記念性のあるものであっても、それを知らない人がそこに記念性を感じるわけではない。むしろ住宅のうちの一つだとしか思えないはずだ。でも、東京タワーは誰もが知っていて、そこに記念性を見出しずっと残していきたいと思ってるだろう。

この考え方をテセウスの船に当てはめるのであれば、テセウスの船に見出す記念性は後天的なものであり、

その認識のもとでテセウスの船を評価したとき、より多くの人が記念性を見出す要因を保存すればテセウスの船はテセウスの船であり続けるのかもしれない。


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