見出し画像

僕のうさぎ(写真物語)

 自分の「うさぎ」に出会ったのは僕が小学3年生の時だ。クラスから選ばれてウサギ担当の飼育係になったことがきっかけだった。

 学校の運動場のすみに、花壇や観察池と並んで、雨よけ付きの動物飼育用の檻が作られてあった。その中に5匹のウサギが飼われていて、そのうちのとりわけ動きの少なく覇気に欠ける1匹が、僕のうさぎになったのだ。 

 檻の端に据えられているエサ箱から、学区内の青果店がいつも提供してくれる野菜くずが食べ残されたままで腐臭を放っている。そのエサ箱と、用務員のおじさんが木のリンゴ箱で作った寝床とのあいだで、僕のうさぎはじっとしていることが多かった。

 その時分には、テレビ・アニメのなかの「****・バニー」や絵本に登場する「****・ラビット」を僕はすでに知っていたはずだ。動物図鑑に載っている色んな種類の「ウサギ」も見ていた。しかしながら、僕のうさぎになったのは、檻の中でいちばん元気のない「あの」うさぎだったのだ。

 

画像1

 

 あれから時はたち、大人になった私はいま、会話の中でただ普通に「usagi」と発言するときに「あの」うさぎのことを思い浮かべることはない。

「コトバ、単語にはそれを発する者の原体験がニュアンスに反映される」とか「放たれるコトバの一つひとつにも発信者の生き様が投影される」という類のことを私は書きたかったのだが、それはどうも本当かどうかわからない。

「うさぎ」という普遍的である単語でも、会話の中で抱くイメージは話し手と聞き手では違うこともある。― 結局、こんな当たり前のことくらいしか書けなくなってしまった。

 しかしこれだけは言ってもいいだろう。

 僕のうさぎは野山を駆け回らない。

 私の「うさぎ」は野山を駆け回らない。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?