因果律 ― 川のむこうへ(写真物語)
そろそろ、川を渡って、私は行きます。
なぜ、いま行くことになったのか。それは定かにできません。自分で決めたのだとも言えるし、何かがそうさせたのだとも言えるのです。
川の向こう岸に、たくさんの扉が見えます。そのすべての扉が、いまから始まる旅の入口になっているようです。
このうちのひとつを自ら選ぶのですが、聞いたところでは、いくつかの扉は、時期によっては施錠され、開かないことがあるそうです。つまり、まさしく「いま」が出発する時機であるということと、進入可能な「その時に開いている」扉の中で1つを「自分の考え」によって選ぶということには、必然的な関係があるということなのでしょう。
だれに会い、どんなものに触れ、なにを経験できるのか。それらは、入口 ― どれから入っていくのかということによって色々と異なるはずですから、どの扉から私は入ることになってそれが如何なる結果を私の旅にもたらすのか、それを考えると私の今の気持ちは落ち着きません。
しかし、そればかりでもありません。とうぜん前向きな心持ちでもあります。
かつて川を渡って旅をしてきた先輩たちから「けっこう面白かった」という趣旨の感想を数多く聞いているからです。そして、旅の道中で出会うヒト・モノと自分との係わりを「縁(えん)」と呼ぶのだということも、彼らから教わりました。
「縁」とは何か。いまの私にその実質はわかりません。それでも、良い言葉のような気がするので、御守りがわりに心に留めて持って行くことにします。
まあ、いずれにせよ、せっかく行ってくるのだから、いろいろ楽しんでこようと、それを第一に思っています。
時刻が来ました。きっと長い旅になるのでしょう。それでは……。
あれから少し時間が経ちましたね。こちらは無事にやっています。
父という人物と母という人物に対面しました。二人ともいろいろ親切にしてくれるので、感謝しているところです。
あなたも来てみるといいですね。こちらの世界も悪くなさそうですよ。
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