#11 当たり前 を変える
どんな社会にも「当たり前」という言葉があります。
しかし、
それはいつからの「当たり前」なのでしょうか。
そして
その「当たり前」は永久に続くものなのでしょうか。
今の生徒は男女共に、技術と家庭科の両方を学んでいます。
しかし、私の父母は、それぞれ片方ずつしか学んでいません。
母が大学の法学部に入学した時、同級生に女子は3人しかいませんでした。
100年前の日本には普通選挙はありませんでした。
80年前の日本では英語の使用は禁止されていました。
ほんの少し前まで、学校現場では体罰が横行していました。
バラク・オバマ氏がアメリカ大統領になった時、キング牧師はどのような気持ちだったのでしょうか。
アパルト・ヘイトが撤廃されたのは1994年のことです。
今まさにウクライナでは砲弾が飛び交っています。
私たちが今生きている社会の「当たり前」は、自然の成り行きでできたものばかりではありません。過去の「当たり前」に対して、違和感をもった少数の人たちの、長く、そして孤独な戦いを通じて、現在の「当たり前」ができています。
教育は時代や社会を反映しています。しかし、それでは新しい価値観を産むことはできません。後を追いかけるだけになってしまいます。
教育とは、私たちが「当たり前」と思っていることに疑問を持ち、より高度で洗練された社会を作る基盤として機能するべきです。
学校は時代の最先端への挑戦の場なのです。
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