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どんな社会にも「当たり前」という言葉があります。

しかし、

それはいつからの「当たり前」なのでしょうか。

そして

その「当たり前」は永久に続くものなのでしょうか。

今の生徒は男女共に、技術と家庭科の両方を学んでいます。
しかし、私の父母は、それぞれ片方ずつしか学んでいません。

母が大学の法学部に入学した時、同級生に女子は3人しかいませんでした。

100年前の日本には普通選挙はありませんでした。

80年前の日本では英語の使用は禁止されていました。

ほんの少し前まで、学校現場では体罰が横行していました。

バラク・オバマ氏がアメリカ大統領になった時、キング牧師はどのような気持ちだったのでしょうか。

アパルト・ヘイトが撤廃されたのは1994年のことです。

今まさにウクライナでは砲弾が飛び交っています。

私たちが今生きている社会の「当たり前」は、自然の成り行きでできたものばかりではありません。過去の「当たり前」に対して、違和感をもった少数の人たちの、長く、そして孤独な戦いを通じて、現在の「当たり前」ができています。

教育は時代や社会を反映しています。しかし、それでは新しい価値観を産むことはできません。後を追いかけるだけになってしまいます。

教育とは、私たちが「当たり前」と思っていることに疑問を持ち、より高度で洗練された社会を作る基盤として機能するべきです。

学校は時代の最先端への挑戦の場なのです。


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