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 学校教育の未来を考える上で、教員の業務を「減らす」作業が不可欠だと言えます。私のコラムでも、教員業務の再定義することの大切さと、「働くこと」に対する意識改革の必要性を書いてきました。

 どの業界でもそうだとは思いますが、それぞれの社会には「伝統」と言うものがあります。私たちは良くも悪くも伝統を重んじます。しかし、その伝統に縛られ本質的に必要なことができなくなることは本末転倒だと言えるでしょう。

現在、小学校では「卒業文集」がなくなる方向に進みつつあるそう。

 その理由として、子どもが長い文章を書けなくなっていることと、教員側の負担が大きいとのことだそうです。

 前者に関しては、これは教科指導の問題で、卒業文集と本質的な関わりはありません。卒業文集を書くために、作文をするわけではありません。中には卒業文集があるから、作文の練習をする意欲がわくと言う方がいるかもしれませんが、小学生が卒業文集にそこまでの価値を見出しているとは(個人的には)思いません。

 後者は、教員の業務の効率化の観点で考えるべき。教員業務の理想は児童・生徒の学びを、最大限に高めることを前提に、その上で最も少ないエネルギーでできる方法を考えるべきです。もし仮に教員の負担になろうとも、その活動が児童・生徒にとって教育効果の高いものであるならば、絶対にやるべきです。一方、コストパフォーマンスが悪いなら、その活動を廃止するか、代替案を見つけるか、やり方を変えるかのいずれかの選択を取るべきです。手間をかけても教育効果が低いなら、それこそ教員の負担になります。

 これは卒業文集だけの問題ではありません。毎年やってるから、的な論理では教育改革は決して進まないのです。


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