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#224 学校教育の存在意義を考えること

twitterが「X」に名称変更するというニュースが話題になっている昨今。

そのtwitterで

学校教育にやや批判的なスタンスの記者から「学校教育の成果とは」と問われたある小学校の校長先生の

「あなたがインタビューで話したり聞いたりすること、メモを書くこと、要旨をまとめたり文章を添削をしたりすることも学校教育の成果では?」

という切り返しが話題となっています。

学校教育の意義とは何か?
その定義は人それぞれ違いますが、私は「国民全員に様々な学びを担保する」ことにあると考えています。
現代では、様々なツールを用いて学校に通わずとも様々な知識・技能・思考を学ぶことができるからこそ、学校教育の存在意義に疑問が出てくることも当然でしょう。

ここで大切になるのは義務教育という観点です。義務教育は、保護者にとっては教育を受けさせる義務として機能しますが、児童・生徒にとっては「権利」であると捉えることができます。
 義務教育という制度の中で、全ての国民がその出自にかかわらず、様々な教科・科目を学ぶことができる環境が担保されているのは、とても価値あることなのです。

一方、現代の学校教育における「勉強」では、学校自体の体質や社会から来る外発的動機づけの力が大きく働き、児童・生徒の学びの意欲を大きく阻害している現状があります。

教員がやるべきことは、学びは必ず人生を豊かにするという確固たる決意をもって、彼らがその事実を実感できるよう、後押しすることなのです。なぜなら、学びという行為は、テストでよい点を取ることや高学歴を得るという範囲を超えて、児童・生徒の人生を彩りあふれるものにするからです。

結果的に、自分が教えた教科・科目の知識や技能が彼らの進路選択に不必要だったとしても、苦手科目のまま終わったとしても、授業を通して得た体験や思考は必ず残ります。そしてそれは、彼らが人生の中で困難に立ち向かうべき時にふと思い出され、問題解決のための選択肢として機能するのです。
 
学校における学びは、児童・生徒に対する自己実現への可能性の提示となるのだと思います。


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