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#274 教員の給与問題から考える、「職業的価値」とは?

 職業的価値とは何か。「職業に貴賎なし」という言葉があるように、いかなる職業種であろうとも、それらは必ず社会や人を助けるためにある。どの職業にも専門性や創造性が求められるし、私たちは敬意を払わなければならない。

 一方、資本主義経済の中で生きている私たちは、職業的価値=収入と考える傾向にある。高給であればあるほど、その職業的価値は社会的に高いとされ、より優秀・有能(この定義もそもそも曖昧であるが)とされる人たちがその地位を目指す。結果、その職業的質が担保されるという構図が現実的に存在します。

 教員の働き方改革の中で、学校教員の給与が低いことが問題となっています。教員業務の過酷さとその対価が割にあっていないと感じ、結果、教員を目指す人たちが減少する大きな理由の一つになっている。非常にシンプルです。もし仮に教員の給与が現在の2倍になれば、多くの人が教員を目指すかもしれない。

 経済協力開発機構(OECD)が日本の教員給与が加盟国の平均を下回ったとする報告書を発表しました。日本では公立学校教員の採用試験の受験者数が減少し続けているが、OECDは待遇面への戦略的投資によって教職の魅力を高めるべきだと指摘しています。

 本来、その職業的魅力というのは、その特性にある。ものを作ること、掃除をすること、何かを教えること。自分のやりたいこと、得意なこと、面白いと感じることと職業的特性がマッチすれば、その職業は楽しいと感じることができる。一方、給与という要素が入ると、また違った感覚になる。OEDCは給与的待遇が上がることによって、教職の魅力が高まると述べている。

 確かに私自身も教員という仕事をする中で、もう少し給与があればいいなと思うこともありました。給与が上がることは自分自身のモチベーションや自分の仕事によりプライドを持つことにも繋がります。自身の労働に対する対価は支払われるべきだし、決して「やりがい搾取」の対象となってはいけないこともまた事実です。

 私自身も提供するサービスに値段をつけなければなりません。どのくらいのサービスにどのくらいの経済的価値をつけるか。様々な本を読みましたが、値段設定に正解は存在しないし、適正価格などわかるはずもない。だから対価に見合う質の高いサービスを提供する。そこに全力を注ぐだけ。

 給与をあげることで教員という職業の人気が上がり、結果、より質の高い教育支援を行うことができる。それは今の社会では事実ですし、私自身教員の労働に対する経済的対価は現在の給与では少ないと思います。

 しかし、職業的魅力が給与の高低と繋がるという安易な構図には疑問を持たざるを得ない。職業的価値が資本主義の中に組み込まれてしまうことの辛さを感じてしまうのです。


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