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A study toward the practical use of WLAN-based vehicular network systems

2021年度研究会推薦博士論文速報
[モバイルコンピューティングと新社会システム研究会]

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加藤 新良太
(静岡大学創造科学技術大学院自然科学系教育部)

■キーワード
無線LANエミュレーション
仮想無線LANドライバLinux

【背景】災害時通信手段としてWi-Fi車車間通信の需要が増加
【問題】Wi-Fi車車間通信の実効性能の知見が乏しく実環境下の評価も困難
【貢献】Linux向け無線LANシステムのエミュレーション評価環境を実現

 2022年現在,多くの市販車はカメラや超音波センサなどのさまざまな車載センサを搭載し,運転者の死角にいる人や障害物等を自動検知して運転者に警告する機能を持つ.一方で,たとえば,ブロック塀で囲まれた交差点等の視界の悪い道路では,カメラ等の車載センサの視界がブロック塀に遮られ,交差点を通過しようとする別の車を検知できずにその車との出合い頭事故を起こすリスクがあり,車載センサのみでは事故防止に不十分である.そこで,障害物があってもある程度と障害物を回り込んで届く電波による無線通信を利用して,車同士で視界の悪い交差点に差し掛かる前にお互いの現在位置や,自車両や他車両がセンサで検知した人や障害物の位置を伝え合えば,死角にいる人や車との衝突前に交差点の前で停止するなどして事故を防ぐことが可能となる.この車同士で無線通信をすることを車車間通信と呼び,その通信規格にはWi-FiをベースにしたIEEE 802.11p/IEEE 802.11bdや,携帯電話網で使われる通信技術をベースにした Cellular V2Xがある.また,車車間通信で車載センサの情報等を共有して自車両の周辺状況を把握することを Cooperative awareness(協調認識)$${^{1)}}$$と呼ぶ.車車間通信機能を活用する車を社会に普及させるためにはいくつか課題があるが,その1つに車載無線通信機器(以後,車載器)が正しく動作するか確認することが挙げられる.もし,正しく動作するか不明まま車載器を使用中に,それが誤作動を起こして車の現在位置などを正しく伝えられなければ,防げるはずの事故を防げず,車車間通信の利点が損なわれる.

 車載器の不具合を可能な限り減らすためには,車載器のコンピュータ基板や通信用のチップとアンテナなどのハードウェアと,それらハードウェアの動作に必要なオペレーティングシステム(OS)やアプリケーション等のソフトウェアが意図した通りに動くことが重要となる.しかし,実際の道路上で本物の車と車載器を使った動作テストの実施は現実的ではない.なぜなら,形状や道路周辺にある建物などの条件が同じ道路はなく,時間に応じて車の通行量等も違うことから再現性の確保が困難であり,誤作動を起こす可能性を持つ車載器を公道などで使うことはできず,仮に許可が出ても実験に必要な車載器や車と運転手等の用意に莫大な金銭的かつ時間的なコストがかかるためである.そこで,もし,実際の道路上で車載器を使って車車間通信をした場合の動作をコンピュータ上で再現できれば.それらのコストをかけずとも車載器の動作を確認することが可能となる.

 そのような都合の良い方法を実現可能な技術の1つに車車間ネットワークエミュレーションがある.車車間ネットワークエミュレーションとは,コンピュータプログラムを用いてある車や車載器の動きを再現する仮想の車や車載器をコンピュータ上に作り出し,その仮想の車や車載器を本物の車載器の操作に用いるソフトウェアで動かしてみることで,ソフトウェアが意図した通りに動作するか確かめる方法である.

 車車間ネットワークエミュレーションを実現する方法はこれまでにいくつか考えられているが.それらの多くは車車間通信特有のアプリケーションにどう作用するか再現することに主眼を置いていた$${^{2)}}$$.たとえば,走行中の車同士の無線通信では,車の位置が常に変わることで,送信点と受信点の電波の伝わり方が常に変動する.また,混んでいる道路では多くの車がそれぞれ現在地や車載センサで検知情報を送信しようとするため,電波をうまく受信できない可能性がある(たとえば,大勢がいる部屋の中で全員喋り出すと誰が何を言っているのか聞き取ることが難しいことと似ている).車車間通信の可否は死角にいる人や障害物を検知できる数に影響するため,その影響がどの程度なのか調べることに主眼が置かれていた.一方で,車載器の不具合を減らす意図で車車間ネットワークエミュレーションを行う場合は,車載器の通信機能を制御するOSの機能が正しく動作するか確かめることが重要となるが,これまでの方法ではOSではなくアプリケーションに主眼が置かれており,車載器のOSの動作を再現することが困難であった,そこで,私の研究では,Linuxと呼ばれるOS上でWi-Fiによる無線通信を行う際の一連の処理を再現できる新たな車車間ネットワークエミュレーション技術を開発した$${^{3),4)}}$$.

 新たに開発したエミュレーション技術はLinuxで動作するWi-Fi用制御プログラムの動作を再現できる.このWi-Fi制御プログラムはLinuxを用いる車載器でも使われているため,その車載器の動作の再現をはじめ,スマートフォンやPC間でWi-Fi通信を行う際の動作も再現できる.本物の車載器では,OSはデバイスドライバと呼ばれる特殊なプログラムを介してWi-Fi通信機器と通信してOSとWi-FI通信機器間で,周波数や送信電力の設定値や,送信するデータや受信したデータをやりとりすることでWi-Fi介して通信する.一方,開発したエミュレーション技術では,ネットワークシミュレータと呼ばれるプログラムでWi-Fi通信機器を再現しつつ,新たに開発したネットワークシミュレータとLinuxのWi-Fi制御用プログラム間をつなぐ仮想のデバイスドライバ(wtap80211)を用いることで,ネットワークシミュレータとWi-Fi制御用プログラムの間で送信電力等の設定値や送信・受信されるデータをやりとりすることを可能とした.このため,実際のWi-Fi通信機器や車を用意しなくとも,それらの動作をネットワークシミュレータで再現すればLinux OSのWi-Fi制御プログラムの動作を再現し,それが意図したとおりに動作するか確認することができる.このため,その実証実験の準備に係るコストの低減ができるほか,このエミュレーション技術はラップトップ1台でも実現でき,これまで実施が困難だった車載器の動作検証などをより簡単に行うことも可能となった.

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■Webサイト動画アプリなどのURL
開発したエミュレータのソースコード
参考URL:https://github.com/ishilab/wine-tap

参考文献
1)ETSI EN 302 637-2 v1.4.1 - Intelligent Transport Systems (ITS); Vehicular Communications; Basic Set of Applications; Part 2: Specification of Cooperative Awareness Basic Service. https://www.etsi.org/deliver/etsi en/302600 302699/30263702/01.04.01 60/en 30263702v010401p.pdf
2)Sommer, C., German, R. and Dressler, F. : Bidirectionally Coupled Network and Road Traffic Simulation for Improved IVC Analysis, IEEE Transactions on Mobile Computing, Vol.10, No.1, pp.3–15 (Jan. 2011).
3)Kato, A., Takai, M. and Ishihara, S. : WiNE-Tap: Wireless LAN Emulator with Wireless Network Tap Devices, Ad Hoc Networks, Vol.123, No.102690, Elsevier (2022).
4)WiNE-Tap on Github (https://github.com/ishilab/wine-tap)

(2022年4月15日)
(2022年8月15日note公開)

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 取得年月日:2022年3月
 学位種別:博士(情報学)
 大学:静岡大学
 正会員

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推薦文[情報環境領域]モバイルコンピューティングと新社会システム研究会
車載センサで歩行者等を検知し安全走行するような車載システムの実環境評価は,誤動作による事故リスク等があり困難である.本論文は,Linux上で無線通信による車車間通信を行うエミュレータを開発し,交通シミュレータと連携させることで,車載システムの車車間連携時の評価や動作検証を実現する実用的な論文である.


研究生活
  「博士(はかせ)」という言葉自体は聞き慣れている人も多いかもしれません.たとえば「〇〇について色々なことを知っている人」を〇〇博士と呼ぶことは普通にあります.一方で,「博士(はくし)」という学位を表す意味を指した途端にその言葉の重みは「博士(はかせ)」とは比べ物にならないくらい重い意味を持ちます.私のように博士という学位を取るまでには普通9年(学士4年,修士2年,博士3年)もかかります.小学校入学から中学卒業までにかける時間と同じです.それだけ長い期間いるので,大学に支払う授業料や生活費も多くかかるし,厳しい審査をくぐり抜けて論文誌に研究成果を発表して博士論文の執筆と厳しい最終試験に合格しなければ学位はもらえません.正直,博士の学位取得への道は茨の道ですし,誰でも取れるものではありません.たとえその人に素質があっても金銭面など環境が博士取得をあきらめさせることもあります.一方で,その厳しい困難を乗り越えて得られる「博士」という学位を得たあとに見える世界は大きく変わります.たとえば,私がLAでインターンをしている際にシリコンバレーにあるIT企業の社員と話す機会があり,その際に博士の学位を持っているかいないかで先方の態度が変わったことが印象に残っています.ビジネスの場なので顔には出しませんが相手に耳を傾ける際の真剣さがまったく違っていました.博士の学位の有無がその人の価値を証明するものとして認められるものなのかを肌で感じた瞬間でした.私はもとより自分で成し遂げたいことがあり,それがきっかけでコンピュータや通信分野,果ては今の仕事に繋がっていたりします(それが何かはこの話と直接関係ないので省略します).しかし,その成し遂げたいことは私個人でできることでは到底なく,むしろ国自体を動かすあるいは国境を跨がないとできないことで他者との協力が必要不可欠です.他人の協力を得るにはまず自分の話に耳を傾けてもらう努力をする必要がありますが,聞き手との利害や興味が合わなければ人に話を聞いてもらうだけでも案外難しいものです.一方で,アメリカでの体験は博士の有無によってこれほど周りが変わるのかと衝撃をあたえるものでした.「博士(はかせ)」が意味するところはその人個人が何か秀でていることであり,ある意味「博士(はくし)」も厳しい審査に合格した個人という意味では同じ意味かもしれません.一方で,私は「博士(はくし)」の最大の価値は,個としての能力や価値を表すものではなく,それによって「周りからの協力を得やすい」という点です.何かしらの資格として協力関係を築きやすく,なおかつ世界で通用する資格として博士はその取得に費やした時間や労力に見合うだけの価値あるものです.協力を得やすいということは,裏を返せばその分果たすべき責任も大きくなり大変なこともありますが,もし,これを読んで博士のその価値に少しでも魅力を感じたのであれば博士取得を目指してみてください.