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#4 【謙虚な負けず嫌い】が未来を拓く 〜いじめられっ子の逆襲〜

サラリーマン起業家のi-proです。
いつも記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

私の記事では、『野球に人生を救われました』という、内容を書かせていただいております。大袈裟ではなく、私は人生の節目節目において、野球によって人生選択をおこない、人と出逢い、人に導かれ、今のキャリアを築くことができたと確信しております。

前回の記事から、人が変わるきっかけは【出逢い】と【挫折】である、がテーマとなっておりました。目次のおさらいです。

人が変わるきっかけは【出逢い】と【挫折】である 目次

1、運命を分けた【野球バカ】との出逢い
2、いじめられっ子の逆襲
3、ビリからの逆転劇
4、過ちからのドラフト候補
5、父の死とトライアウト
6、母の死と就職活動

1、運命を分けた【野球バカ】との出逢い、では【出逢い】に焦点を置いて書かせていただきました。今回は、【挫折】から脱却した経験について書かせていただきます。

2、いじめられっ子の逆襲

前回、私はある兄弟との出逢いから、野球と出逢い、彼らが所属しているソフトボールチームに誘われ、小学校4年生時からソフトボールチームに入団しました。

私は、とにかく勝負事での『負け』が、堪らなく嫌で嫌で仕方がない性格です。この性格は、私の母の影響です。普段穏やかで、謙虚な性格だった母は、学生時代にソフトボール部に所属して大活躍していたそうです。勉強もかなり優秀だったようです。このことは、周囲から聞いたもので、母は絶対に自分の自慢をすることはありませんでした。そんな母から、『男なら、勝ちにこだわれ』と言われ続けたのが一番の理由でしょう。

『謙虚な負けず嫌い』は、母から授かりました。

さて、私は入団してすぐに、ポジションは、キャッチャーを自ら志願しました。キャッチャーを選んだ理由は、前回の記事をご覧いただければと思います。
      👇
1、運命を分けた【野球バカ】との出逢い
https://note.com/iproject1013_/n/ne052f4742b45

私は、ご飯3杯は当たり前の大食感で、縦にも横にも大きく成長しました。
また、食べることと同じぐらい、テレビゲームが大好きだった私は、4年生〜5年生にかけて急激に視力が弱くなり、眼鏡をかけることになりました。

『太っていて眼鏡のキャッチャー』
その印象だけで、私は周りの友達からバカにされるようになりました。
何をするにもデブキャッチャーと言われ、ソフトボールでも打てなければ、デブキャッチャーのくせに、と何かにつけて体型のことで軽蔑されるようになり、苦痛の毎日を過ごしていました。

学校でも、同じソフトボールチームに所属している友達が大きな声で、デブやら眼鏡といったことを大きく口にすることで、周りの友達にも伝染し、多くの友達から蔑まれる日々を送るようになりました。

私は、ついに、学校とソフトボールに行く度に、吐き気を催すようになってしまいました。

あるソフトボールの練習開始前、いつもの様に吐き気を催した私は、コーチから、『体調が悪いのか?今日はもう帰りなさい』と家に帰されました。

家に帰ると、吐き気は何故かピタリと止まります。何もすることがないので、大好きなゲームに励む毎日です。

ソフトボールの練習に行ったはずが、家でゲームをしている息子を何日も目にしていた母は、私に静かに話して来ました。

『負けと認めるなら、ソフトはもう辞めなさい。勝ちたいなら、今すぐ練習に戻りなさい。ケンカでは負けて良いけど、ソフトで勝てば良いのよ』

と言ってバットを渡して来たのを今でもハッキリと覚えています。私は何故か妙に納得して、練習に戻り、ソフトボールでは周りにいる誰にも負けたくないと思うようになりました。

練習があった日は帰ってから、練習が無い日は晩御飯の後に、毎日100本の素振りをほぼ毎日欠かさずやりました。なぜなら、私はバッティングに苦手意識を持っていました。苦手なバッティングを克服することで、大きな自信を付けたいと思ったからです。
時には母も付き合ってくれ、ケツを叩いてくれました。経験者なら分かると思いますが、素振り100本というのは、決して多い数ではありません。これも母から刷り込まれたことですが、
『とにかく試合でのピッチャーをイメージして、1時間でも2時間でも時間をかけて100本振りなさい』という質を追い求めた素振りを徹底して行いました。
『試合で打って、バカにしてるヤツらを黙らせてやる』の想いが私を突き動かしました。

少しずつですが、私は長打やホームランを打てるようになり、5年生の始めはDH制の守備だけ任されていて、打席にさえ立たせてもらえなかった私は、6年生でついにクリーンアップ(4番、5番)を任せられるまでに成長しました。結果が出るようになると、周りの目も変わって来ました。体型は相変わらずの太めでしたが、結果が出るにつれてバカにされることはほとんど無くなりました。むしろ、バカにしていた友達が、私を認め、逆に仲良くなったのを思い出します。

私は、周囲の蔑みに対して、挑発に乗るようなことは絶対にせずに、その悔しさの全てをソフトボールに向けて、結果を出しました。それは、『ケンカでは負けていいけど、ソフトで勝てば良い』と言う母の言葉が、私の謙虚な負けず嫌いを引き出し、いじめられっ子として、見事に逆襲を遂げたのでした。

敢えて苦手なバッティングの克服に取り組み
結果を出すことで、周囲を認めさせました。

サラリーマンになっても、必ず【いじめっ子】は存在する

これは私の持論ですが、どの世界にも、どの組織にも、必ず【いじめっ子】なるものは存在します。もちろん、サラリーマンにおいても、それは存在します。例えば、

●他人が見てない所で、自身の性格や能力について執拗に叱責、罵倒してくる
●社外の方(クライアントなど)の前であえて欠点をさらすような発言や、怒号をさらしてくる
●多くの社員の前で、あえて晒すように説教する

といった、部下や立場の低い人間に対する言動は、私は【いじめ】と認識しています。現代では、パワハラとも言われていますよね。いじめというのはすなわち、発言する相手に対して相手の成長への願いや、愛情を伝えることのできない、相手に苦痛をあたえる一方的な発言ではないでしょうか。

上記の発言は、私が小学校の時に受けた『デブ』と同じなのです。

実際に、私はサラリーマンとなって間もない時に、上司から上記の様な『いじめ』を受けました。しかし、小学校のときにいじめからの逆襲という成功体験があった私は、『営業マンなら、営業成績で黙らせてやるわ!』と、黙々と営業マンとしての研鑽と改善を積みました。その結果、今ではその上司に追随を許さない営業成績を常に上げられる様になり、結果、私にゴマを擦ってくるようになったのです。

またもや、『謙虚な負けず嫌い』が逆襲を遂げた瞬間でした。

私の、この経験は、まさに【挫折】からの脱却であり、【いじめられっ子の逆襲】を体現しました。

学校やビジネスの場で、いじめに悩んでいる生徒やサラリーマンは今でも多く存在すると思います。私がその方々に声を大にして伝えたいのは、『ケンカでは負けなさい。でも、キャリアで勝ちなさい』という【謙虚な負けず嫌い】をお伝えしたいと思います。

簡単では無いと思います。でも、結果が出るまで、質の高い研鑽と改善を繰り返すことで、必ず誰でも結果は出て、未来を拓くことが出来ると信じています。

若い時の苦労は買ってでもせよとはよく言ったものです。先日発表された、noteの公式イベント、『買ってよかったもの』、私は【若い時の苦労】とさせていただきます。笑


今回も私の記事を読んでいただき、ありがとうございます。次回は、中学生期の『ビリからの逆転劇』を配信して、【野球に救われた人生経験】をお伝えしようと思います。

皆様に、またお会いできますことを楽しみにしております。

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