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ジオン公国に憧れた同志たちへ

 機動戦士ガンダムという作品をご存知だろうか。今でこそ、有名な人気アニメ作品としても名前が上がるが、名前しか知らない人や、そもそも興味がないという方もたくさんいるだろう。それも当然の話であるし、決してそれを咎めることはしない。今や、作品の数も多すぎて、何から手を付ければいいかわからない方も多いだろう。

 ただ、この話は決してそれらの人には伝わらない話であるため、前もってこう告げさせていただく。

 ガンダムを詳しく知らない方は、この先の話を楽しめない可能性があります。

 私はどうしても、あの戦いに於いて散っていったジオン公国のエースパイロットたちを見て、涙を浮かべずにはいられない。

 物語の主題は、ザビ家というジオン公国内部を牛耳る連中が起こした戦争である。その戦争が激化して、地球はすでに半分ほどの領土がジオン公国の手に落ちたという状況になったところから機動戦士ガンダムの本編が始まる。
 アムロ・レイは成り行きでガンダムというモビルスーツに乗り、理不尽にも軍に属する形になってしまう。そして、同じような境遇で軍に属している同年代の仲間たちと共に成長し、そして不条理な戦争というものに巻き込まれていく。

 多くの人たちは、ガンダムが主役であるから、それに搭乗するアムロ・レイを応援し、そのアムロ・レイが所属する地球連邦軍を応援するのだろう。
 確かに、物語はアムロ・レイを起点にして進んでいく。作中で描かれている比率が多いのは、圧倒的にアムロ・レイの周囲の人間の方だろう。だからこそ、アムロ・レイの方に熱を入れやすいと思う。
 しかし、私はそれでも、ジオン公国の人間に目を向けてしまう。

 何度もガンダムを攻撃しては、撃破されていくザク。攻撃が効かないということを理解していても、ガンダムを倒さなければならない兵士たち。
 そして、そのガンダムにやられていった仲間を弔うためにまた戦う兵士たち。

 そう言った描写が丁寧だったり、とても心から苦しかったりするから、ガンダムという作品において、私は敵の陣営を応援してしまう。
 否、私からしたらジオン公国のほうこそが仲間であり、同志なのだ。

 かつて、私の友人がモビルスーツに乗るなら何が良いかと聞いてきたことがある。私は迷わず、ジオン公国の中で完成されたゲルググというジオン公国側のモビルスーツを選んだ。
 それを聞いた友は、「なぜ、ガンダムにやられるようなモビルスーツに?」と聞いてきた。
 私は、「ガンダムを倒すために乗るんだ!」と意気揚々と言った気がする。それほどにジオン公国のキャラクターに思い入れがあるのだ。おそらく、聞いてきた友人にとっては理解できない話だろう。

 私は、新兵でありながら、ガンダムに果敢に挑んだジーンという兵士を忘れられないのだ。そして、その新兵が目の前で倒されてもなお、仲間をやられたという怒りでガンダムに挑んだデニムという男を忘れられないのだ。

 私は、ガルマ・ザビが婚約者を残して逝ってしまったことを忘れられないのだ。その恋人である一般人のイセリナすらガンダムを憎み、弔い合戦の指揮をとり、兵士たちと共に死んでいったことも。

 私は、ランバ・ラルが散っていった様を未だに忘れられないのだ。戦いに負けるということは、死ぬということ。そして、残された仲間たちもその弔いをするためにガンダムに挑み、そして死んでいったこと。

 私は、ガイアとオルテガがマッシュの魂を供養していた姿を忘れられないのだ。宇宙で負けなしであった、ジェットストリームアタックをガンダムに仕掛けてマッシュを失った悲しみを拭うための供養を。そして、ガンダムにリベンジを挑み、やられていった二人のことを。

 アニメーションでありながら、理不尽な人の死や戦争の悲惨さをリアルに描写したあの作品は、おそらく作品を見たすべての人に少なからずそれらの欠片を植え付けることに成功しただろう。私もその一人であることに間違いはない。

 ホワイトベース隊の仲間を失った時の衝撃は、アムロ・レイを応援していた人間にとってはかなり大きいものだっただろうと思っている。さらに、最初は連邦軍の中でも、民間人に機密情報の塊である戦艦やモビルスーツを預けることに恐怖感があるものも多くいたが、次第にアムロたちを認めていき、それらを守るために命を懸けて戦い、死んでいったキャラクターもたくさんいた。

 だからこそ、声を大にして言いたい。
 敵として現れたそのジオンの戦士たちも、決して彼らの視点になれば悪ではないということを。
 
ジオン公国の人間にも、その立場や人生があるということを。

 ドズル・ザビという男は戦局を、ある種完璧に見据えており、数で押してくる連邦軍に勝てないことを悟っていた。それでも、ソロモンという戦略的に大きな要塞を守るために戦ったのだ。自身の家族を逃がしてでも、仲間の兵士たちを逃がしてでも、戦い続けたのだ。
 アムロ・レイはスレッガー・ロウの命を懸けた特攻のおかげでドズル・ザビが操るビグ・ザムを撃破した。どんなに物語上では地球連邦軍に視点があろうとも、その場ではスレッガー・ロウの死も、ドズル・ザビの死も、同じ命が失われたということなのだ。戦争という中では、その命の価値は決して違うものではないのだ。

 どちらの陣営が好きであろうとも、機動戦士ガンダムにおける戦争の悲惨さは伝わってくる。それが、あの作品においてよく考えられた部分だと私は考える。
 なぜなら、皆等しくキャラクターの、人の死を受け止めることになるのだから。それまでのロボットアニメと一戦を画している部分はそこなのだ。

 ガンダムを見て居ない方で、ここまで読んでいただいた方には、ぜひガンダムという作品をみて欲しいと思う。もちろん、その選択は個人の自由だが、決して損はしないと自信を持って言える。
 その代わり、本編は相応の話数を誇るため、劇場版から視聴することをお勧めする。空いた時間にぜひ本編も見てほしい。

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