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Let’s English

⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
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日本において英語教育が盛んになってから
何年経っただろうか。

僕は英語が話せない。

なぜだろう

考える

僕には昔から英語を話すのが
恥ずかしいという
意識があるのかもしれない

最初に恥ずかしいと思ったのはいつだろう。

思い出す。


思い出した。

僕は人生の中で何度か
英語で恥ずかしい
思いをしたことがある

僕が英語を学習し始めたのは幼稚園の
年中の頃だった。

当時、英語を幼稚園から
習い始めるというのは
かなりはやい方だったと思う

僕の通っていた幼稚園に
英語クラスのようなものが設置され、
そのクラスには
担任に加えてネイティブの
先生が何人かつく。

そのクラスに入ることを親になんとなく
ほのめかされ、
将来のことなど何一つ考えていない
当時の僕はすぐに承諾した。

基本的にクラスに外国人が数人いる。

それだけで小さい子供にとっては
刺激的だったのではないだろうか。

英単語をフリップのようなものを使って
一つ一つ覚えていくような授業はもちろん
英語の絵本を読んでもらったり、
トイレや給食などの日常生活の中でも
英語が使用された。

年長に上がり
全く同じメンバーでの一年間がはじまった。

先生の種類も様々になった。

見た目は日本人だが英語がペラペラで
逆に日本語が片言の先生や

THEアメリカ人という感じの大きいコーラを
常に飲んでいる先生(教育に悪い)
とともに時間を過ごしてきた。
その中で僕が卒園時に覚えていた英単語は
一つだけだった。

Eat

これだけ。

なぜこの言葉だけを鮮明に覚えていたのか

正式にはEat!!!

であるが

僕はこの頃
食べ物の好き嫌いが非常に激しかった。

野菜はほとんど食べれなかったし
魚も食べられない種類が多かった。

それを理由に辛かったのが
給食の時間である。
給食には健康的な献立が用意されている。

これがことごとく僕の苦手な物なのだ。

僕は給食の時間常に
最後の最後まで残されていた。
その時にずっとコーラを飲んでいる
先生に言われていたのが

Eat!!!

だったのだ。
もちろん体罰とかそういう類のものではない。

純粋に僕の健康を考えてくれていたのだろう。



小学校に入り
そこでも英語の授業は積極的に行われた。

僕の通っていた小学校にはネイティブの先生が
多数在籍しており
英語を学ぶ環境として
非常に優れていたと思う。

しかし僕は特に勉強をしなかった。

休み時間にはみんなと走り回り
高学年になると
走り回らないのかと思いきや
走り回っていた。

そんな僕に転機が訪れる。

その出来事は小学校で配られる
一通の手紙からはじまった。

内容はカナダで行われる3週間の
ホームステイについてであった。

まだ海外というものに行ったことがなかった僕は
英語にも全く興味がなかったが
何故かそれが気になった。

今までそんな感情になったことなどなかったのに。

手紙を持って家でうじうじしていると
母親が話しかけてきた。

僕は素直に行きたいとは言えなかったが
遠回しに気になっていることを伝えた。

母はすぐにそれを汲み取ってくれ
父に話してくれた。

僕の人生初海外がカナダでの
3週間のホームステイに決まった

パスポートを取りに行き
手続きを済ませた。

だんだんと出発の日にちが近づいてくる。

僕はドキドキしていた。
 
同じ小学校から数人の友達も行くことになっていたが
その中にこれといって
仲の良い友達がいなかった。

こうなったら向こうで仲良くなるしかない。

というより向こうの人と
仲良くする方が大変だ

現地の人とは英語で話すしかない。

僕は緊張と不安と楽しみが
入り混じった状態で出発日を迎えた。

その時には僕はある程度
腹を括っていた。

僕以外にも同じ学校から行く人間はいるが
仲良くはない、
しかしそれはみんなも同じだ。

日本人がいない環境の中で仲良くなっていくだろう。

参加メンバーの中には違う学校の日本人もいる

ホストファミリーのみんなも
日本人のどこの馬の骨ともわからんやつを
受け入れてくれるのだから
きっといい人だろう。

空港につき見送りに来た家族に別れを告げる。

3週間も親元を離れるのは初めてだ。

海外旅行経験の少ない母親は
僕にとにかくパスポートの重要性を唱えた。

飛行機に乗り込む。

向こうの空港に着くとそこには
日本とは全く違う景色が広がっていた。

窓の外は砂漠のように砂地が広がっており
僕がはじめてみた地平線のようなものだった

入国手続きをすませる。

途中館内清掃のおじさんに
ニーハオと話しかけられた。

カナダの人からしたらアジア人は
ほとんど同じに見えるのだろう。

そこからまず3週間通う学校へと向かう。

バスでの移動

その時ちょうどバンクーバーオリンピックが
開催される前の年だった。

窓から開発されていく大きなスタジアムや
競技場が見え僕の心は高鳴った。

学校に着く

そこでしばらく待機し
ホストファミリーが迎えにくるのを待つのだ。

少し小さい体育館でみんなが集合する。
一番到着のはやいホストファミリーは
僕らが来る頃にはもう待っていた。

僕も自分のホストファミリーが来るのを待つ。

待っている間暇なので
バスケットボールをしようということになった。

僕はその頃バスケをやっていた。

家にバスケットゴールがあり
母親が昔バスケ部だったこともあって
放課後ずっとそこで練習をしていた。

カナダで僕のバスケ能力は通用するだろうか。

日本のメンバーとパスをしあう
悪くない

しばらく楽しんでいると
カナダ人の小学生が参加してきた。


めちゃくちゃ上手い
わけわからんくらい上手い

さすが

本場は違う

僕はその小学生と仲良くなりたいと思った。

ここで話しかけないと、
この3週間苦労することになる。

最初に一歩踏み出すことが大切だ

ためらう

急に話しかけて向こうは不審がらないだろうか

でもいくしかない

僕は勇気を振り絞って
その小学生に話しかけた

「What grade are you in? 」

僕だって学年を聞く英語くらいは喋れる

初めて現地の小学生に英語で話しかけた。


運動をしていたのもあって心臓がバクバクしている


その小学生は答えた

「三年生!」

恥ずっ!
日本語喋れんのかい!

心が折れた瞬間だった。


これが初日である

このあと3週間頑張った自分を褒めてあげたい

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