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短編小説「ヤバい女」

 うちの彼女はどうもヤバい。そう思い始めたのは、なにも最近のことではない。

 だいたい初めて出会ったときから、彼女は危険な空気を漂わせていた。場所は僕の行きつけの飲み屋。豹を思わせる整った顔立ちに惹かれて軽い気持ちで声をかけたのだけれど、彼女の話からは素性というものがまったくうかがいしれなかった。
 
 職業を聞けば「ちょっと変わった分野のコンサル」とか言うし、「どんな分野?」と聞いても「うーん、どうだろう。フィットネス関連かな。あとは情報とか?」と要領を得ない。
 
 「勤務時間帯が不規則で、急な夜勤もあるからイヤになっちゃう」だの、「海外のほとんどの国に出張で行ったことがあるよ」だのと、気さくにいろいろ話してくれるのだけれど、結局何をしている子なのか分からない。
 
 けれど、よくいる” ミステリアス気取り”のような見栄やおごりは感じられず、僕の目を見て一生懸命話してくれるのがうれしい。
 
 こっちをまっすぐに見つめてくる瞳のきれいさと、言ってることの無茶苦茶さとのギャップがなんだかとてもヤバい匂いがして、僕はあっという間に恋に落ちてしまった。
 
 次の週に、初めてふたりで会ったときのことも鮮明に覚えてる。2軒目にダーツバーに行くと、彼女の矢は投げても投げても的の真ん中に当たり続け、すでに刺さっている矢に当たってしまうこともたびたびだった。
 
 このときも彼女はいたって真剣で、少し真ん中からずれれば悔しがり、「ズキューン!」という独特の電子音が響けば無邪気に喜び、的と矢に集中する横顔はとてもかわいかった。それでもその正確無比な腕前はまるで機械のようで気味が悪く、動揺した僕はテキーラをあおりすぎて泥酔、さんざんなファーストデートになった。
 
 つきあい始めてすぐのころ。レストランで食事中、トイレに行こうとした彼女がつまづき、持っていたバッグが僕の足元に落ちたことがある。
 
 拾いあげようとしたらこれがズシッと大変な重さで、思わず「これ、何入ってるの?」と尋ねると、彼女は恥ずかしそうに「え、べつに普通だよ」と照れ笑いを浮かべて、そのままトイレに去ってしまった。
 
 けれども一瞬見えたバッグの中には、鈍く光る金属の塊のようなものとか、大小の電子機器だとかがぎっしり入っていて、僕は結局その晩もワインをがぶ飲み。店の前で吐いてしまった僕の背中を彼女はいつまでもやさしくさすってくれた。
 
 そうそう、ヤバいと言えば、彼女のセックスも素晴らしくヤバい。年齢だけはあっさりと「ことし27になる」と教えてくれた彼女だけれど、その体には一切の無駄な肉がなくアスリートのように引き締まっている。ところどころに古い傷痕もあるから「なにかスポーツでもやってたの?」と尋ねてみても、「昔、ちょっとね」と笑って、あとは話をごまかすように再び僕をベッドに組み敷く。
 
 セックスというのは愛を交わす精神的な営みだけれど、もちろん純粋なエクササイズとしての面もあるわけで、パワーといい、柔軟さといい、優れた肉体とのセックスはすごく気持ちよくて、僕はますます彼女にのめり込むことになった。
 
 こうして交際が1年を過ぎるころには、次第に彼女の職業なんて気にならなくなっていた。
 
 彼女の生活は相変わらず謎に包まれていた。前触れもなくふっと3週間ほどいなくなったり(「あれ? 言ってなかったっけ、ごめんごめん♪」)、とんでもない怪我を負って帰ってきたり(「私、治るの速いからだいじょうぶ♪」)したけれど、僕もいつしかそういったことに慣れてしまっていたのだ。
 
 ここ最近は、夜中にベランダで携帯に向かって聞いたことがない国の言語を大声でまくし立てる姿をベッドからよく見たけれど、「お、なにか仕事でもめてるのかな?」ぐらいに思って、そのまま寝てしまっていたのだった。
 
 確かに僕はのんき過ぎたかもしれない。かといって、そのときにちゃんとトラブルの予兆を感じ取っていたとしても、いまこうして、目の前に銃口が突きつけられていることが回避できたかどうかは、はなはだ疑問だ。
 
 今朝早くに押し入ってきた黒づくめの男たち数人は僕を手際よく縛り上げ、彼女の居場所を尋ねた。隠しても仕方ないと思い、昨日から出張に出ている旨を告げると、彼らは何も知らない僕をゲラゲラと笑った。
 
 彼らによれば、彼女はある世界的な秘密組織の凄腕エージェントで、彼らが計画している悪だくみ実現のためには、彼女が舞台から去ることがどうしても必要なのだそうだ。
 
 それを聞いて僕が最初に思ったことは「やっぱりな」だった。そんな荒唐無稽な話、普通なら信じられないけれど、僕にはあっさりと腑に落ちた。
 
 彼女がどこかの秘密組織のエージェント(要はスパイだ)であれば、これまでの奇行はすべて説明がつく。しかも「愛妻家」ならぬ「愛彼女家」を自任する僕としてみれば、彼女が業界内でひとかどの地位を築いていることを聞くと、正直鼻が高かった。
 
 とはいえ、そんな悠長なことを考えていられたのも最初のうちで、外に駐めてあったバンに押し込められると急に「拉致された」という実感がわき、とたんに怖くなった。
 
 彼らは僕を脅迫の材料に使い、彼女に言うことを聞かせるつもりだろう。組織を裏切れだとか、僕を助ける代わりに自ら命を絶てだとか。その時、彼女ならどうするだろう。妥協を許さない完璧主義のエリートスパイであれば、非情に僕を見捨てるだろうか。それとも?
 
 朝もみ合ったときに2,3発殴られたこともあり、クルマに揺られながら僕の意識はもうろうとさまよい始める。
  
 つきあってすぐのころ、「あなたの身になにかあったら、私は絶対にすぐに駆けつけるから。守るから」と妙にまじめな顔で言われた。
 
 そのときは「おおぅ、うれしいねえ。ありがとう」と受け流したけれど。
 
 シャツの下の皮膚は、彼女からもらったネックレスの存在をちくちくと感じている。
 
 つきあってひと月の記念日に「いつも肌身離さず身につけていて」と渡されたネックレスは、ペンダント部分がいつも青く光っている変わったデザインで、重いし、僕の趣味ではなかったけれど、ちょっとでも外しているのがばれるとそのたびに彼女がむくれるので、はずせなくなったのだ。
 
 僕はこれからどんな目に遭わされるんだろう。せめて死ぬ前にもう一度彼女に会いたい。つぶらな瞳、気の強そうな口元(酔うとだらしなくゆるむのがセクシー)、目の下のほくろ(そのままでセクシー)。心細さと愛しさに、涙がこぼれてきた。
 
 キーッ。バンが信号待ちのために止まる。すると突然、右の路地から不穏な轟音が聞こえてきた。黒いSUVが1台、こちらへ突っ込んでくる。男たちも何事か、と血相を変える。
 
 彼女だ。フロントガラスの向こうには彼女の姿があった。
 
 SUVがバンの横腹にぶち当たるまでのたった1秒、2秒ぐらいの時間だったけれど、僕には運転席の彼女の表情がスローモーションのようにばっちり見えた。
 
 間違いない、彼女はひどく怒っている。目がぎゅっと後ろに引っ張られたようになっているし、頬も紅潮している。暴漢たちをののしるような口の動きも見える。「もーう、あったま来た!!」とでも言っているのだろう。
 
 あぁ、なんてきれいなんだ。怒ったときもかわいいね。愛してるよ。
 
 僕は最愛の彼女にうっとりと見とれ、心から安堵し、そして、来るべき衝撃にそなえてぐっと身を固めた。

photo by kaybee07

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