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頭をめぐる、想いなど

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西澤伊織の今日、考えたこと
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#エッセイ

タバコと宗教

一般常識に則った場合、見えないものの力を信じる様な言及をする際、一般的には前置きが必要になってきます。 例えば「私はアカデミックな人間ですが、この様なご縁は本当に神の計らいだなと思いました」などの前半の部分です。何かの偶然を自分が勝手に神に感謝するのならば、「私はアカデミックだが」、は本来は不要です。それでもやはり人と話す際はその前置きは必要になります。どうしてでしょうか?これは「私はアカデミックという事実に裏付けられたものを対象とする仕事に携わる、物事の分析を極めて公平か

ここ最近近所で非常に丁寧な戸建住宅のエクステリアのお仕事をされている職人さんが二人で毎日仕事をしているのだが、年配の親方のほうが向こうから歩いてくるのが窓越しに見えたので下に降りて声をかけたところ、同業ということもあってしばし気さくにお話ししてくださった。 その話の中で僕自身が今後の取引をするお客さんの価値観や感性がこのようにこちらと合致していればと思っているのだけれども、なかなかそうなるとどうにも絞れずにまだ探している最中なんです、という話をした後、これまで携わってきた仕

突然の訪問をすることは

大人になってから時々「いついつに電話をかけてよろしいか」という連絡を前もってもらいます。仕事をしていると基本的に相手を「忙しい」と仮定することがデフォルトとなっていて「お忙しいところすみません」といった語り口が生まれます。これは一般に言う社会的マナーということだと思いますが、話の内容はせいぜい10分そこらで終わることが大抵ですから、セッティングしようと働きかけてくれるその時にもう話してくれた方がありがたいことが多いと個人的には思います。 実は僕は「失礼ですが、今忙しいのです

やがて減りゆく空気なら

私ごとではありますが(と言いつつここに書く全ては基本的にいつも私ごと)、先々週の土曜日に次男が生まれたので、いつもこれを書いていた東京のコンピューターから遠ざかり1週間ほど滋賀県の自分や妻の実家で過ごしていました。 久しぶりに東京に戻り仕事机のデスクトップを起動させると、瞬間的に「考え事に適しているのはやはり東京だ」と思います。少なくない日本の著名な作家たちがあえて東京に住んでいないという事実がありますが、あのメリットを僕自身が理解するにはまだ少し時間がかかるのかもしれませ

信頼できる詳しい人たちがくれたキッカケ

僕は格安SIMを長年愛用しています。格安SIMの初期の頃を覚えていらっしゃる方もおられるかなと思いますが、初期は「電波状況が悪くなりやすい」と言われていました。近年殆どそういうことはありませんね。 格安SIMを僕に紹介してくれたのは小学校時代仲良くしてくれた上級生です。もちろんスマホの話なので、それは成人してからのことなんですが、いま思い返せば彼は初期の「テック系」の家の子供で、父親がIBMのエンジニア、家族みんなの趣味がアマチュア無線、シリコンバレー帰りの帰国子女でした。

noteって、相手に直接話しかけたい時どうすればいいの?

僕はブログ歴でいうとmixi上がりの人間です。ほぼ同時期にfacebookが当時アメリカの大学支給のメールアドレスを持つ学生だけ登録できるようになり、僕は当時学生でアメリカにいたのでmixiを日本語で、facebookを英語でやってました。やがてfacebookは教員、そのあと一般に開放され、アメリカではそれまで主流だった"myspace"なるものがオワコン化してきて、やがて日本でもmixiがオワコン化して、僕もfacebookだけにしばらくしていましたが、その当時「フォロワ

お客様がいらっしゃる家

現代の日本の住宅から消えたのは客間だと言われています。スペースが自ずと限られる都会生活では致し方ないという実状もあるかも知れません。 ちなみに「百科事典が最も売れたのは日本に客間があった時代まで」と言われています。読むかどうかは別として、ドカッと立派な本を客間に飾る人たちが昔はいたわけです。どうしていたのか?それは当時の住宅の間取りに関係があると推察してゆくことが出来ます。 これまで近代日本の住宅のデザインは居住スペースである複数の和室に対し、洋室の客間一部屋でした。しか

自分の三つの郵便箱

思うに人間は基本的に何かを見たり聞いたり知ったりすると、 A. そうあるべきだよね B. そういうもんだよね C. そうじゃないよね という三つのカテゴリーに、自分の感想を落とし込みます。「理想」、「賛同」、「反対」、とも言い換えることができそうです。 「ビフォア・サンセット」という映画が僕は高校生の頃から好きでした。ビフォアサンセットはその9年前に作られた「ビフォア・サンライズ」の続編です。そしてサンセットのさらに9年後、「ビフォア・ミッドナイト」が公開され、「ビ

自分の持ち物は自分の家来

ちょっと極端な語り口ですが僕の考えでは全ての持ち物は家来です。中世とちがうことは、中世では家来は人でした。現代社会で誰かを家来と呼べば怒られます。当たり前のことですね。 持ち物が「家来」とはどういうことか、説明します。 僕はこれまでも少しずつこのnoteで自分の愛用している大切な品々を紹介してきました。紛れもなく昔からもう何年も日々共にあらゆる作業をしてきた仲です。でも僕はこれらのものに愛着はあれど決して自分と対等だとも、自分より崇高だとも思いません。これらのものは全て僕

誤謬について

大晦日に続き2021年の元日も東京は随分と晴れ渡る爽快な空模様だったが、相変わらず日が翳(かげ)り始める頃には随分と冷え込むことに変わりはない。 ちょうど気温が落ち込む夕暮れ時に大学の教員たちが訪ねてきてくれたので、ストーブに火をつけながら「この時期、時刻も夜ほどになると外に出ようとするのはせいぜい喫煙者と野良猫くらいでしょう」と言ったところである別の種類の疑問が頭に浮かんだ: たまに「喫煙者の対義語は何でしょう」と尋ねて「禁煙者」と相手が間違えることを待ち構える人たちが

バナナハンター;グラニースミスの思い出

市場でバナナなんかが売っていたりすると、「もし自分が店員だったら、傷んでいるバナナをどこに置き、まだ日持ちしそうなバナナをどこに隠すだろう?」なんてコトをついつい考えてしまい、ひな壇4段くらいに渡ってディスプレイされている無口なバナナたちをジロジロと見てしまう。 この時もちろん、発見したいと思っているのは日持ちするバナナだ。これは今現在、家族と離れて一人で暮らしているために、食材の消費のスピードが遅いからという理由が挙げられる。 一方で、一人で暮らしたにも関わらず、アメリ

幼い僕は 蟻を見ていた 【ぺんのおばさんの思い出】

蟻の行列は幼い僕にとって非常に不思議な存在だった。基本的に、蟻たちの姿は同じに見える。幼いながら、きっと何かしら個体差は存在するのだろうけど、見分けがつかないな、と考えていた。 幼稚園の頃、新しい家が建つまでの期間、祖父母のもとを離れて両親と過ごした借家がある。それは昔有名なある建築家の事務所が手がけたものだという木造2階建ての戸建てだったが、発想としては今も建売住宅でよく見るような、隣にもほぼ同じデザインの家が3軒並んでいるうちの真ん中に建つ家だった。 玄関には一軒一軒

あぁ、どうかお元気で

冬至を越えて、少し暖かくなるのだろうか。それともそんなことはなく、厳しい寒さはまだまだ続くのかもしれない。でも今日の朝はいつもより太陽の光が暖かかく、紅茶を淹れてベランダで飲めた程だった。 ベランダから陽に照らされた町に目をやる。コートを脱いだ人たちがポツリポツリ通り過ぎてゆく年の瀬の道。ひとりの杖をついて歩いてゆく帽子をかぶった老人の後ろ姿があった。 「あの人は。。いや、違ったか。。」 一瞬の期待に胸を躍らせたが、人違いだったようだ。 仕事場を借りたばかりの頃、よく

窓のそば、丁寧な自分

サンフランシスコを旅した際、道向かいの建物を見上げて道ゆく人が立ち止まったり、クスクス笑ったりしていたので、どうしたのかなと思って自分もそちらに目をやると、なんと全裸の人たちが窓辺で愛し合っていた。後にも先にもそれ一回だが、そんな場面に遭遇したことがある。 僕は現在、窓辺の背の高いデスクにコンピューターを置いて仕事をしている。この記事もちなみに同じ場所で書いている。高いデスクを利用している理由は、20代の初め、同じ仕事を座りっぱなしで長時間行ったために首や腰が痛くなってしま