『街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する』ローマン・マーズ、カート・コールステッド
著/ローマン・マーズ、カート・コールステッド 訳/小坂恵理『街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する』、光文社、2023年
世界は驚きに満ちている。それは街角だって例外じゃない。わざわざ電車や飛行機を乗りついで大きな荷物を苦労してひきずらなくても、たとえば洗剤を買いに行く道のりにだって、薬局へ向かうひと時にだって驚きは転がっている。もし歩き慣れた通りに閃きを見いだせたなら。
これは、つまるところ、そういう本だ。
身のまわりにある、あることには気づいているけれど、あたりまえ過ぎて見えない、見落としている部分についての覚書。
加速度で生まれ変わりを繰りかえす循環型大都市に後れをとるまいと変化したり、とり残されていたり、ちらりともされずに街の透明な歴史をささやきつづけていたりする、そういうものたちの物語。でも彼らに目を向けるためには都市の歩きかたを知らなくてはならない。この本は、そのためのガイドブックと思ってくれたらいい。
ニューヨーク州シラキュースの交差点には上下の色が逆の信号機があり、このタイプの信号機は広大なアメリカとはいえたった一つしかないそう。上が赤色で下が緑色、というのが標準的な信号機の色の並びとされているけれど、20世紀のはじめアイルランドのティペラリー郡に由来する地名のティペラリーヒルに信号機が設置されたときには、この色の配置は導入されてからまだ日が浅かった。
ところでなんの変哲もないこの信号機は設置されるやいなや住民たちに壊されてしまう。新英のアルスター統一党のシンボルである赤がアイルランドのシンボルカラーである緑よりも上にあったことが住民たちの感情を害した、というのがその理由で、住民たちは怒りのあまり信号機の赤いライトに石やレンガを投げつけた。
破壊されるたびに信号機は修繕された。でも結局、信号機は自分に向かって飛んでくる石を払いのけることはできず、時の市会議員が市に陳情して逆さまの並びを認めさせることになった。
たかが信号の色の順序くらい、と思う人もいるかもしれないけれど、地元民からしてみると小さくとも意義ある勝利だった。「インフラに対する文化の影響力は絶大で、簡単には断ち切れないこと」だから。
こんな話は都市のほんの一部でしかない。
横断歩道の押しボタンや三角コーンや測量標やマンホールやら街は愉快なもので溢れている。そりゃあ街は賑やかなはずだ。そういう物語がまだまだたくさんあるのだから。
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