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今日思ったこと

 絶望は見た夢の大きさに比例する。他人の決断に指図することは独りよがりだし、別離による心揺らぎは自分でコントロールできない。
 知らなければ良かったことだらけだ。知ることで傷付き絶望して時が経てば経験として受け入れる。
 なら、出会わなければよかった。知らなければ射倖心も煽られずに済む。幻を追い求めるような、そんな幸運は惜しくない。

 辛いのなら自他の関わりを最低限に抑えてもいいが、世間に傷つけられてその度に泣きながらも世間に耳を傾ける。傷つくことで身に付く美しさもあると言い聞かせる。人の声を真に受けて、距離を置きそれを忘れた頃に人と交わりまた傷つく。恨みも忘れた。何度も同じ過ちを犯すが乗り越えることができない。毎度同じ屈辱を味わう。
 「願わくば我に七難八苦を与え給え」
 苦しみなど受けないに越したことはないと思っている。しかし、望んで戦う人はすごい。不運をアドバンテージに変える事が出来たら。楽しい事だけしたいし見たいものだけを見たいものだが。欲をコントロールできたなら。
 「面白きことも無き世を面白く住みなすものは心なりけり」
 人生は自分次第でどうにもなるらしい。試したことがないから確かなことは分からないが、絶望を恐れるあまり大人は夢より現実を重視する傾向があるということは知っている。現実に屈したのではなくただ自分が挑戦を諦めただけで、それは情けない外観だし妥協した人生はつまらないものだ。自分だけがつまらないのを認められず、いつまでも夢を見る他人に対して厳しくなる者もいる。
 勿論、花が咲けば雨が降り風が吹くのが割と世の中の縮図だと思う。いいことばかりだったらいいのに、そうではないから面白い。射倖心なのか、スリルがあるからやりがいを得られるのか、多分どちらも。我が世の春だと思っていても、偶然に得られた倖せはすぐに崩れる。

 また、恨みは力になるが、赦しは難しい。他人を傷つけてその度に苦しみ後悔する。自分を赦すことは不可能だから忘却に任せるしか無い。

 勧善懲悪など無い理不尽な世の中。命が軽く、失うものが多く感じる時もある。ただ、それが不幸と言う訳でもない。
 出会いと別れを繰り返す度、失うと分かっていて何かを積み上げているようで、これが無常なのだと身を持って実感する。
 大抵のことは自業自得で成り立っているような気がするし納得がいくが、他者が利益を貪るのは許せない。何かを得るには対価は支払わなければならないと当然に思う。

 「働かざる者食うべからず」
 これは元来労働者の資本家に対する抗議で生まれた言葉なのに今や労働者に労働を強いる為に使われている。労働者が、他人の労働で飯を食う資本家という生き方を認めるように、世の中が変わったのだ。

  お金は、人によっては努力の対価である。しかしお金は指標とするには時間とともに価値が変動する。長期保有するにはリスクがある。
 今普通預金にお金を置くと利息は大抵0.001%だ。置き続けると額面上は微弱に増えるが、物価高等の影響を踏まえるとその価値は実質目減りしているかもしれない。置く場所を変えれば価値が変わるのが面白い。
 好物な食事に使えば幸福感得られるし、株を買えば減るリスクもあるが増えることもある。ブランド品に変える人、整形で自分の外見に投資する人、スクールに払い自己投資する人。お金を増やすことを生き甲斐とする人もいる。お金は自分の好きに使える。使い方で価値は均一じゃないが、コスト感覚を身につけて自分の消費や投資を肯定したい。

 私の体験談だ。美容整形外科でプチ整形をした。食いしばり対策でエラボトだけのつもりが、見栄張って予算を今月の余剰金と同額で伝えたらあれこれ詰め込まれた。断ることが苦手なのでギリギリの予算をチョットオーバーした案を受け入れた。損な性格に嫌気が差したし、最初は効果を感じられないから余計なものまで買った感じがしてずっと後悔していた。
 施術から何ヶ月か経ったが、もうカウンセリングで余計な施術を断れないのが怖いから二度と行きたくない。でもやって良かったと思ってる。効果はあったと感じた。ただ、私にとっては費用対効果が低く感じただけだ。何事も経験だ。こう思えるのも多分、無理矢理にでも施術の効果を見出して自分を肯定してあげないと辛いからだ。

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