見出し画像

A Room of My Own―「悪い」女はどこまでも駆ける

「女性が小説を書こうと思うならお金と自分一人の部屋を持たねばならない」("a woman must have money and a room of her own if she is to write fiction") (Woolf, A Room of One's Own)

「過去何世紀もの間、女性は姿見の役割を果たしてきました。その鏡には、魔法の甘美な力が備わっていて、そこに映る男性の姿をもとの二倍の姿にして映し出してきました。」("Women have served all these centuries as looking-glasses possessing the magic and delicious power of reflecting the figure of man at twice its natural size." ) (Woolf, A Room of One's Own )

イギリスを代表する作家のヴァージニア•ウルフ(Virginia Woolf,1882-1941)は『自分一人の部屋』(A Room of One’s Own, 1929)の中で、女性が小説を書くには、お金と自分一人の部屋が必要だと語った。彼女がこう綴ってから、約100年。世の中は、彼女が望むように変わったのだろうか。

きっと、私の言葉にはある種の生存バイアスがかかっているし、見えないリュックサックを背負っている故に、自分の環境や立場からは見えない辛さがあるかもしれない。そんな私が語れば、それは一種の強者の語りかもしれない。けれど、何度でも伝えよう。自立するには、学と職を持つべきだと。

なぜ、こんなことを書こうかと思ったかというと下のツイートを見かけたからだ。(※掲載許可を頂いております。)

初めに断っておくと、いわゆる「学歴厨」のようなことを書く意図はない。学は学歴とは限らないし、それで人の価値は決まらないのだから。学歴で人間性が決まるなんて、傲慢も甚だしい。ただ、車の免許やその他の資格と同じように、学があれば自分の可能性が広がることは間違いないだろう。——選択肢の多さは即ち逃げ道の多さだ。

***

生まれてから

母は短大卒だった。結婚してからは、仕事を辞めて専業主婦をしていた。そんな母は、料理や家での日常生活に関する知識はあるけれど、仕事や勉学に対する知識はあまり豊富ではなかったのだと思う。パソコンは使えないし、就職活動のこともよく知らない。母は私や姉が勉強する姿を見て、「どうしてそんなに勉強が好きなの?」といつも不思議そうだった。私は、母が料理本や自己啓発本以外の本を読んでいるところを見たことがない。


「じゃあ、お父さんはどんな人だったの?」

そう疑問に思う人もいるだろうけれど、父のことはあまりうまく思い出せない。一緒に遊びに行った場所、遊んだ内容は断片的に覚えているけれど、父が何が好きだったのか、どんな人生を歩んできたのか一切思い出すことができない。接する時間が短かったからなのか、「寂しい」ともう二度と思わないように無意識に思い出さないようにしているのか。どちらにせよ、思い出せないことは思い出さない方が幸せかもしれない。

父がどんな人にせよ、私が物心ついた時には、両親の仲は冷めていたのだと思う。父はまだ母に惚れていた気がするけれど、少なくとも母の気持ちは離れていた。そんな2人の関係を小学生の頃には理解していたと思う。愛おしそうに抱きつく父の手を払う母。土日も父が帰ってくるのではなく、私が父の家に遊びに行く。世間の家族とは違って、母と父は滅多に一緒に出かけなかった。

未だにあの冷めた仲で、なぜ私が産まれたのかわからない。母が仲間が欲しかったのか、それとも最近よく見かける「変わってくれるだろう」という淡い期待からなのだろうか。考え始めたら、自分の存在意義が揺らいでしまう気がして、深くは考えられない。

そんな調子だったけれど、母はなかなか離婚しなかった。いや、できなかったと言った方が正確だろうか。一人では生活できなかったからだ。気持ちはないけど、生活のために側にいる。そんな不安定な環境の中で、母は話し相手が欲しかったのかもしれない。母は、いつも私に父の悪口や「いつか、お父さんはいなくなるのよ」と言い続けた。

今いる人もいつかきっといなくなってしまう。

大切な人ほど「いつか」を想像して、「いっそのこと幸せなうちに関係を終わらしてしまおうか」と虚しくなるのは、この時のことが原因なのかもしれない。

それからしばらくして、母が話していた「いつか」がついにやってきた。けれど、いざ離婚した後でも、仕事をしていない母は家を借りることができず、私は母としばらくホテルや保証人のいらない安い狭いアパートで暮らしていた。ホテル暮らしやアパートを転々としていたというと「羨ましい」と言われることが多いけれど、私にとってはあまりいい思い出ではない。ベット以外ほぼ何もないホテルの部屋。布団を敷いてしまえば、他にはほぼ何も置けないアパート。十分な大きさの机がないアパートでは、布団の上に置いた安いスツールが勉強机の代わりだった。そんな不恰好で小さな私の「勉強机」は柔らかくて文字がうまく書けず、ノートには歪な形の文字が並んだ。ノートの文字は、泣きたいのに上手く泣けない私を映し出す分身だったのかもしれない。

もちろん家に友達は呼べないし、学校の先生や習い事先のコーチ、そして親戚にすら事情は内緒だった。家を知っている友達に「なんでいないの?」と言われたり、「最近どうしたんだ?」と先生に問われても、「ごめんなさい」とだけ言ってはぐらかした。バレないように、気づかれないようにと嘘を重ねるうちに、仮面を被るのが上手くなって、心配してくれる人も減っていった。

それでも、受験生だった私は頑張れば何かが変わると信じて、心と体を壊しかけ担任の先生が心配して(この先生だけは誤魔化せなかった)「学校の保健室で休んでもいいからね」と言うほどがむしゃらに頑張った。その純粋さが残っていたことは幸いだっただろう。ただ、今思い返せば、あれは「この環境だと母と同じような立場になるかもしれない」という恐怖から生じる強迫観念と目の前の現実を見たくないという一種の現実逃避だったのかもしれない。


高校生

それから数年経って、私は高校生になった。高校に入ってからは、他人の協力のおかげで「普通の」アパートに暮らせるようになった。自分の部屋がある。もう友達や先生に住んでいる場所の嘘を言わなくてもいい。それだけでも十分なのに、学校から帰ってきたら、勉強机が運ばれていたのを見た時は泣きそうなくらい嬉しかったのを覚えている。もうあの安いスツールで勉強しなくていいのだと思うと正直ほっとした。安いスツールは高さもないし、表面がふかふかしていて文字が書きづらかったから。久しぶりに木の机の上での勉強はちゃんと固くて、高さもあって書きやすかった。教科書も置く場所があって、本を置く場所もある。一般的に言えば、広い部屋とは言えないけれど、自分の机と本を置く場所がある。それだけで幸せだった。

勉強する部屋と机をもらえた嬉しさからか、私は他人が心配するほど勉強を頑張った。友達とはほぼ遊ばず、暇さえあれば勉強した。けれど、どんなにテストでいい点数をとっても、どんなに模範的な生徒でいようとも、担任の先生には、「学力的には行けると思うけれど、経済的に行けると思わない」と志望大学の進学を反対され続けた。友達の多くは「学力的」に足りないと言われることが多いのに、「経済的」に無理と言われるなんて皮肉だと思った。

悔しいと思うとともに、受かることは否定されていないのだから、このまま頑張り続けようと決めた。担任の先生には、反対され続けたけれど、数人応援してくれる先生がいたし、友人も味方だった。けれど、今思えば、あの先生は現実を見せていてくれたのかもしれない。正直私は現実を突きつけて「諦めろ」と言うのと、隣人に「優しく」あろうとして「きっと大丈夫」と不確定で無責任なことを言うのと、どちらが「優しい」のか断言することができない。


大学生

未熟だった私はその先生を「敵」とみなして、悔しさをばねに志望していた大学に入った。入学してからは、同じ日本なのにカルチャーショックを受けた。地元の高校では、奨学金を申し込んでいる人も多かったのに、大学ではほぼいない。学内の奨学金の収入制限も、国のものと二倍以上違うし、日本人の子で母子家庭なんてほぼいなかった。地元では、海外旅行に行ったらその話題で持ち切りになるのに、海外に行ったことのない私みたいな人間の方が珍しい。帰国子女でなくても、なんらかの形で留学をしたことある人が多かった。「成績もいいし、勉強も頑張っているのに、留学とか行かないの?」「何をそんなに頑張ってるの?」先生や友人たちの純粋な質問に何度も傷ついた。自分がこれから得ようとしていることを周りの友人は既に持っている。自分に「ここにいられるだけで幸せなんだ」と言い聞かせた。どれほど悔しかったか、虚しかったか他人には想像もつかまい。

入学後は英語とフランス語を勉強して、講師の仕事を始めた。少しでも家族に感謝の気持ちを示せたらと、学内でいい成績を収めて優秀賞をもらって、学費を免除してもらった。図書館の本は興味があれば読み漁ったし、研究室に行ってわからないことは必ず質問した。勉強を頑張れば頑張るほど、先生は研究書を貸してくれたり、授業の合間に社会人の友達が勉強会を開いてくれるなど周りが協力してくれるようになった。結局は周りに恵まれているのだと思う。

それでも、どんなに意欲的に勉強に取り組んでも、常に一抹の不安はぬぐえない。学費を払えるのかはいつでも不安だ(絶対払うけどね)。ここでは詳しくは書かないけれど、経済的事情に拍車をかけるようなことが起きてしまった。私は何をしてるのだろう。そう思わずにはいられない。たとえどんなにいい成績であったとしても、どれほど授業に意欲的に取り組んでいたとしても、学費を払えなければ除籍されてしまう。教育は、高等教育は、所詮慈善事業ではないのだから。当たり前だけれど、学校が欲しいのは、「成績がいい子」ではなくて、「お金が払えるお家」なのだと思う。

おとぎ話の中では貧しくても心が豊かであれば、正しく生きていれば、星に願いさえすれば、主人公は幸せな人生を歩むことができるけれど、現実は違う。お金がすべてではないけれど、お金がないと何も始まらないし、避けられたはずの不幸も増える。願いを叶えてくれるお星様もなければ、ピンチの時に助けてくれるフェアリーゴットマザーもいない。そう思ってしまう。

***

むかーしむかし、あるところに貧しい女の子がいました。お母さんが亡くなってから女の子は継母にいじわるをされていました。ある日、一家に舞踏会の招待状が届きます。女の子は、「舞踏会に行けば、何か変わるかもしれない」と思って舞踏会に行こうとしたけれど、着ていく服も乗る馬車もないことに気がつきます。「そうだ、星に願おう。」女の子は昔話を思い出して、星に願うことにしました。けれど、女の子の期待とは裏腹に、願っている間に舞踏会は終わってしまったとさ。


***

「何のために勉強するの?」

教育関連のアルバイトをしていると時々聞かれる質問だ。チューターである私を困らせたいのだろうなという子もいたけれど、ほとんどの子は純粋にそう思っているのだろう。

生徒からの純粋な質問に加えて、時には「女が勉強なんてして何になるの?」と悪意を持って聞かれることもある。この二つの質問に答えるとしたら、「選択肢を持つため」と私は答えるだろう。

前置きしたように、学歴や職で人間性が決まるとは私は全く思っていない。選べる職の多さや肩書の華々しさではその人の価値なんて測れないし、そもそも人の価値を測るなんて傲慢も甚だしい。けれど、もっと俯瞰的に総体的に見た時に、広い意味での「学と職」がなければ、自分の選択肢が狭まること、誰かに依存して生きなければいけないことは確かだ。

人には色々な事情があるし、看過できない社会の溝もある。健康上の理由や経済的な理由など、単純に個人の能力に帰するには残酷すぎる不公平な現状がある一方で、それでもそんな差異を無視して「努力不足だ」と困っている人が責められるほど世の中は不平等だ。実際、私は経済的な理由で大学院は諦めようかと思っている。私の母ももしかしたらこんな社会の犠牲者なのかもしれない。だから、私は母が努力しなかったせいだとかそんなレベルの話をしたいのではない。ただ、もし母がどこかでチャンスがあって、学や職を持っていたのなら、一人でも生きる力があったのなら、「身の丈に合わせた」道以外も差し伸べられていたら、もっと母は早く「楽に」なれたと思うのだ。

自分を守るために学を持つのはもちろんだけれど、自分だけでなく、学や職を持つ事でいざという時に大事な人を守ることができると思う。だから、将来1人で生きていく人も、家庭を持ちたいと思う人も、目の前に学と職を持てる選択肢が存在するならば、この二つは持っていた方がいいと思っている。経済的にindependent でなければ、independent になれるような何かを待っていなければ、いざというときに自分や大切な人を守れないから。(ただ社会が自己責任論を突きつけるのではなく、もっと優しくなって、セーフティネットが充実したらいいな)


***

昨今の情勢の中で、我が家は苦境に立たされているらしい。なかなか厳しいけれど、私は今まで身に着けたスキルで自分の足で歩いていくつもりだ。「留学したい」といえば、親からまとまったお金をもらえ、奨学金も借りてない人が多い大学で、「努力不足だ」と言われたり、「自分は何をしているのだろう」と虚しくなることはあるけれど、嘆いているだけでは何も変わらないのだから嘆く時間ですら惜しい。彼らと違って、実家は太くないのだから、自分という人間がしっかりしていなければ、敷かれたままの道を歩いてしまったら、将来愛してもいない誰かに愛想を振りまき続けることになるかもしれない。それだけは、母を間近で見てきたのだから、何が何でも避けたい。

「自分の力で部屋を持てるくらいのお金を稼ぐ」

まず、その序章として大学は何が何でも卒業する。それをここに宣言しよう。

⭐︎参考に

ヴァージニア•ウルフ 『自分一人の部屋』(A Room of One’s Own)



この記事が参加している募集

#とは

57,996件

#スキしてみて

529,171件

読んでくださり、ありがとうございます。皆さんから頂いたサポートは、資格勉強や書籍購入のために大切に使わせて頂きます。