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アフリカ・ギニア暮らし・じぶんはちっさいなぁと思うことばかり。

途上国で「お金を恵んでくれと言われたらどうする?」
「あげたらその人たちのためにならないよ。ダメだよ。」
これって、現地に行ったことのある人たちの決まり文句。

ギニアで暮らすわたしも、買い物中に背後から「今日のご飯を食べれるお金を恵んでください、アッラーの名の下に」といきなり声をかけられる。

車に乗っていれば、杖を持った目の不自由なおじいさんが小さな子に手を引かれやってきて、窓の外から「アッラーのためにわたしを助けてください」と声をかけてくる。

道路脇でいつも笑顔で手を振ってくれる車椅子のマダムとは10年以上顔見知り。

ギニアでは、困っているひとに自分のものを差し出すことは当たり前で、
他者に与えれば、自分もまた与えらえると信じられている。だから誰でも物乞いの人たちを邪険に扱わないし、なんの抵抗もなく自然にお金をわたす。

例えば、何もかもがうまくいっていなくてチャンスが欲しい時、事業を始める前の縁起担ぎの目的で、物乞いのひとたちが集まる区域に行きお米やお金を配るひとたちも多くいる。

ということで、恵んで欲しいとお願いすることと、それに応えることは、持ちつ持たれつ、お互いにとって良いことらしい。

わたしも自分に余裕があれば、ほんの少しのお金を渡すようにしている。
あげないよりあげた方が優しいと思う、シンプルにただそれだけの気持ちでそうしている。

だって彼らは炎天下でも、大雨でも、頑張って外にでてお金をくださいとお願いをしに行ってる。家でダラけているわけじゃない。
道はでこぼこで身体的に不自由な方にとってはもっともっと厳しい。

ここで育った我が家の子どもたちは、そういう時には「ママお金をあげて!」と言うし、自分たちのお小遣いを彼らに渡すようにもなった。
息子は、「僕はいつかあの困ってるおばさんたちに何かをしてあげたい」なんて言っている。

わたしは自分の子どもたちがそんな気持ちを持てる人に育ってくれて嬉しい。いちいちお金をあげたらこの人たちのためにならない、とかなんとか考えないで、シンプルに優しい気持ちから、「与える」を選べる人になってくれたのが嬉しい。



さて、ここからが本題。

ここに住んでいると、そこまでお金に困っていないのに、気軽にお金をクレクレお願いしてくる人たちがいる。

いくら優しい気持ちがあっても、誰にでも与えるわけじゃない。わたしだってここで生きるのは楽じゃないし、そんなクレクレ星人からのお願いには応えられない。でも、クレクレ星人に限ってあきらめが悪いときた。

ある時から、クレクレ星人たちからの押しの強さ、あきらめの悪さからのプレッシャーに疲れ果ててしまい、わたしは少々鬱っぽくなっていった。

それが理由で誰にも会いたくなくなった。
どんどん自分が嫌な人間になっていった。

そんなある日

お財布がすっからかんになったのに気づき、タクシーに乗って銀行に向かった。タクシー代も持っていなかったから、タクシーの運転手さんに「銀行でお金引き出してくるから、戻ってくるまで待ってて!」とお願いして車を降りようとした。

その時、「マダム、ご飯食べてないんだ。お金をちょうだい」と小さな男の子がドアの向こう側からわたしを見ていた。

「お金、ホントに持ってないんだけど。。お金を渡さなかったらこの子もしつこくなにか言ってくるのだろうか?」心の中がゾワゾワした。

クレクレ星人たちに疲れ果てていたわたしは、その子の顔を、目をちゃんと見ることができなかった。

プチ鬱に加え、数日前に起きたある出来事のおかげで、わたしは恥ずかしさや罪悪感で眠れない日々を過ごしていた。

「また罪悪感で寝れなくなるよ、いつもみたいに、お金がないならないって言えばいい。」と心の中でもう一人のわたしが囁いた。

もう本当に自分のことが嫌になっていたから

勇気を出して(今となってはそんなことは勇気を出すまでのことじゃないんだけど)

その子の目をちゃんと見て、「ごめんね。わたしいまお金なんにも持ってないの。」と言えた。

そうしたら、その子はクレクレ星人のようにごねることもなく

それどころか、わたしのためにドアを開けてくれた。

わたしがタクシーを降りると、微笑みながらわたしの目を真っ直ぐ見て、「アッラーの御加護を」と言ってくれた。

驚きながらもわたしは「Amina」と返事をした。

Amina アミナ とは、アーメンのこと。

その子は、わたしに何ももらえなかったのに、神様にわたしに良いことをしてくれるよう祈ってくれたのだ。

なんてこった。この優しさは。

与えてもらったら、与えてくれた人に神様からの恩恵がありますようにと祈ってくれる。その祈りの言葉をもらうために、みんなは与えるのだ。
なにも与えなければ、それはもらえない。

うれしかった。

その日から、わたしの罪悪感は少しずつ薄れていって、プチ鬱からも抜け出すことができた。

あの時、あの子を無視しないで、ちゃんと彼の目を見て話せてよかった。

わたしはギニアでこんなことに悩みながら生きている。
つくづく自分ってちっさいなぁと思う。

そうそう、そういえば、あの時あの子を無視しないで済んだのは、今でも後悔しているあの出来事があったから。

「世界一感じ悪かったおばさん(わたし)の話」、それは次回書こうと思う。


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