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瀬戸内に行って島を見よう!

このnoteはひたすら瀬戸内を書いている気がします。鳴門鞆の浦尾道×3、因島大久野島竹原×2、門司~下関。うーん、改めて見ると結構な回数ですね。ではなぜ瀬戸内に行くのかを考えると理由としてはこんな感じでしょうか。
 ①関西から近い
 ②徒歩や自転車でうろつける場所が多い

 ③多島美がめっちゃ楽しい
瀬戸内といえば多島美。フェリーに乗って渡るもよし高いところから眺めるもよし。ということで今回も瀬戸内の島の1つである大崎下島に行ってきました。また、眺める側では瀬戸内海随一の多島美が見られるという竜王山へと自転車で。

若長cafeさんの大崎下島PV

■大崎下島とは

中国地方以外の方にはあまり著名でないと思われる大崎下島。江戸時代には北前船が寄港する「潮待ち、風待ちの港」として一躍繁栄を迎えた地区。2018年には日本遺産にも認定されました。
何故江戸時代になって栄えたかというと、中世までは櫓漕ぎ船で陸地沿いに進む「地乗り」航路が主流であったのに対し、江戸時代では帆走船で沖合を進む「沖乗り」が可能となったため。これが北前船ということですね。

この潮待ちの港として栄えたのが御手洗地区。参勤交代の中継地としても使われており、さらにはあの坂本龍馬や吉田松陰も訪れたとか。御手洗地区の紹介についてはこちらの番組が詳しいです。
竹原の町並みを眺めたあとに同じく江戸時代の雰囲気を味わえる御手洗へ行くというのは完全にベストルート。

■大崎下島・大長港

大崎下島へは竹原港から。竹原駅スタートだと竹原港まで20分ほど歩くのでそこそこ距離があります。船の行き先は大長と書いて”おおちょう”。切符売り場の人に「”おおなが”まで往復ください」と言ったらみんなそう読むんよねーと笑顔でお教えいただきました。
そしてこの大きなフェリーに乗って大崎下島へ出発!と思ったらこれは上島行きで、下島行きは小ぶりな高速船かがやき2号。この航路で少し楽しみにしていたのが瀬戸内の軍艦島として密かに有名な契島
長崎の軍艦島と違ってこちらは現役バリバリ。なんと日本の40%以上の鉛がこの島で製錬されているそうで、企業内敷地のため一般人は上陸できません。流石に遠目にしか見えませんがほほうとはなりました。

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大きなフェリーは大崎上島へ

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遠くに見える契島

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かがやき2号と船内

大崎下島の玄関口である大長地区はみかんの産地として有名。御手洗へ歩いていく途中にも柑魂なる石碑を発見。ここのみかんあいらんどでは蜜柑1kgがたったの300円。大長みかんはとても甘くて美味しいので良い買い物をしました。むしろもっと買っても良かったくらいです。

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”みかんだましい”と読んでよいのでしょうか?

もう少し御手洗側へ歩くとあるのが山清青果さん。とびしま街道を走破してきたサイクリストたちが必ず立ち寄るといってもいい休息地。あまーいみかんジュースをいただくことが出来ます。長距離ライドで疲れ切った状態で流し込めば格別に美味しいんだろうなー。いつかここも自転車で来たい。
お土産に買った大長みかんジャム、帰ってからトーストで食べると思わずニヤけるほど甘い。大長みかんがブランド確立するわけだわと頷くしかありません。むしろパンに使うよりも他に使い道がないか模索したいレベル。

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最高に甘くて美味しい

大長~御手洗へ歩いていく途中には港町の気になる風景がそこかしこにあるので道すがらの景色を。今回は時間の都合でいけなかったですが宇津神社とかも良さげなので次回来た時にはいってみたいですね。

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大長港から眺める中の瀬戸大橋、岡村大橋

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水深の浅い河口の色はとても青

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学校のフェンスにはアサガオ

■歴史の見える丘公園

多島美が見たいなら高いところへ上れ。ということで行くべきは歴史の見える丘公園。御手洗の町並みを抜けた星野文平の碑の横が登り口。
この維新志士は初めて知ったのですが説明を読むとなかなかになかなか。仲間が上京する中で置いて行かれたので憤慨して切腹。一命をとりとめて上京を許可されるも勝海舟と折衝を図る前に傷が開いて結局死亡。
現代人の感覚で見るとどう評価すればいいのかなんとも難しい経歴ながら勤王の志士として讃えられ、明治政府からは正五位も授けられています。

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何故切腹した・・・

国土地理院地図によれば歴史の見える丘公園までの高低差は約80m。天辺目指して階段を登ります。ここは両側がずらっとみかんの樹。日当たりも良くまさしく絶好の育成環境。某アニメではライブに間に合わせるために乗り込んだみかんを運ぶためのモノレールもありました。

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パックマンみかん

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みかんモノレール

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中継地点のおいらん公園

階段を登りきるとはい絶景。風景もさることながら公園の形が良いですね。台座のような展望台が登ったった感を煽ってくれて気持ちいい。設計者に百点満点です。眼下には御手洗の町並み、対岸には岡村島。視界が良ければ来島海峡から四国の山々までを眺められるとか。

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歴史の見える丘という名前が素敵

■高燈籠と千砂子波止

御手洗の象徴のひとつである高燈籠。1829年に千砂子波止 (ちさごはと)が整備されたのに合わせて木製から現在の石組みに作り直されたそうです。そして千砂子波止とはその名の通りの防波堤。行き交う商船が安全に停泊できるように廣島藩が整えたもので、当時最高の技術を用いたその規模から「中国無双」という呼称を与えられました。カッコいいですね。

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御手洗のシンボル高燈籠

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波止と雁木の船着き場

明治に入り高燈籠はその役目を終え、昭和25年には波止の先端に新しく灯台が建造されました。その真っ白な姿は新たな御手洗のシンボルとして瀬戸内の風景との美しい調和を見せてくれています。

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青い海と白い灯台、青い空と白い雲

高燈籠から少し北に歩けば今度は海に向かって立つ鳥居。これは千砂子波止の鎮守である住吉神社とともに海の守り神を祭る恵美須神社のもの。水際の鳥居はエモエモのエモで人類皆平等に大好きな存在。
こういうところは交通の便の良い観光地なら眺めの良いスポットは人だかり間違いなし。しかしここは離島、人ごみとは無縁です。やっぱりゆっくりのんびりできるのが一番。

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夕暮れ時が最高の予感

■御手洗の町並み

さて改めて御手洗。御手洗(みたらい)はその名前からして特徴的。何故この名前になったかというと二説あり、かつて神功皇后もしくは菅原道真がこの町に立ち寄り井戸で手を洗ったことからということらしいです。
菅原道真の方はその井戸に案内があったのでなるほどでしたけど神功皇后の方は帰ってから調べました。旧柴屋住宅に神功皇后の肖像画があって何故?と思っていたので分かってすっきり。

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修理の腕前世界一と言われる時計屋さん

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神功皇后肖像画

先の井戸があるのは御手洗天満宮。この神社には他にない特徴的な作りがあり、本殿の下のくぐれるようになっています。そして御神体の真下で願いを唱えると叶うと言われていてこれが可能門。

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菅原道真を祭神とする神社なので天満宮。しかしここにはもうひとつ面白いものがありました。それは「日本初の自転車による世界一周冒険独行者」中村春吉さんの石碑。とびしま海道のサイクリストにとってマストな目的地と言えるでしょう。今でも国立国会図書館デジタルにて旅行記を見ることができちゃいます

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風貌が結構やべー奴だったとも

御手洗の歴史のもう一つは潮待ちの港の繁栄とともに大遊女屋敷として栄えた若胡子屋。最盛期には50人とも100人とも言われる遊女・芸妓を抱えていました。しかし、光ある限り闇もまたある(byゾーマ)であり「おはぐろ事件」のような伝承も残っています。
実際に当時の石壁の残る2階へ上がることが出来ましたがなんだか不気味な感じでした。なのでその部屋の写真は撮っておりません。とはいえ若胡子屋は第二次大戦後に公民館に改造されていて、実は内装に当時の面影は残っていなかったりします。

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講堂に改造された内部

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当時の遊女番付

■なごみ亭と乙女座

大崎下島で最も有名なお食事処はなごみ亭さん。ミーハーだろうが何だろうがまずは一番人気のある所を押さえるのは基本です。かつて船宿であったことからもとにかく雰囲気が抜群で、2階に上がって部屋を見ただけでテンション爆上がり。竹原の茶房ゆかりさんでもそうでしたが綺麗な着物が飾られていると「これは良いところに来たぞ」って気分が湧いてきます。
メニューは名物あなごめし一本。うなぎのようなふわふわ感を想像しているとむしろ歯ごたえがある焼き方だったので少し驚きました。

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綺麗ですね~

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大崎下島に来るからには一度は食べておきたい

他に江戸時代の船宿がお食事処になっているのは若長カフェさん。今回は行けませんでしたがここも雰囲気がとても良いそうです。帰って来てから色々調べるとここのオーナーさんの記事が見つかりました。とても興味深い内容だったのでぜひご一読を。

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そして大崎下島で最も有名な建物である乙女座。乙女座は御手洗の文化発展のため、昭和初期の町長が私財を投じて建設されたもの。なんと今でも現役なので、イベントが行われていないときには一般公開されていて見学可能。
内装はまさに舞台。椅子じゃなくて畳、電球じゃなくて提灯というのが良いですねー。壁には往年の劇画調映画ポスターが掲げられていて建設当初からの雰囲気がそのまま保存されています。

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ほう、ステージショーですか

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外にいた猫

今回の旅程では竹原港09:03発~大長港09:46分着の便で出発し、大長港14:02発~竹原港14:46着で戻ってきましたため滞在時間は4時間ほどです。憧憬の路の日に竹原に宿をとるのはとても難しいので点灯までに戻ってくるならどうしてもこの予定になってしまいます。
でもねー、歴史の見える丘公園とかで朝焼け夕焼けが最高なのは確定的に明らかなんですよ。島の反対側には日本一のジャングルジムというなんともわくわくするものもあります。そして豊島の十文字山公園にも心惹かれる。となると次に来るときにはやはり泊まりで、そして自転車で来たい。
ちなみに泊まるお宿だけは既に目をつけております。それはGUESTHOUSE醫さん。大正時代まで営業していた病院を利用していて玄関にかかる表札もそのまま。歴史のある島に来たからにはとことん歴史を感じたいですね!

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めっちゃ雰囲気良さそうです

■三原・竜王山ヒルクライム

竹原で憧憬の路を見て泊まりは三原。さて翌日は何をするかと思っていたところに電動アシスト付自転車の性能がやばい、竜王山楽勝とのtweetをお見掛けしたので急遽予定に組み込んだ竜王山ヒルクライム。
下図のルートラボを見ていただければ分かるように、距離は短いながらも登りに入ってからは平均勾配9%近くあるわけです。ゆるポタ人間からするとやってられるかバーローと言いたい。本当に大丈夫なんでしょうねー?

無題
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ヒルクライムGOAL!

びっくりするくらい足に負担なく筆影山・竜王山踏破。電動アシストやべーっす。これ自転車の革命ですわ、エウレーカですわ。人類はとんでもないものを発明してくれたもんだ。下関の火の山で試してみたかったアシスト付、思いがけずリベンジが出来て大満足。ちなみにこの自転車は三原駅のうきしろロビーで借りました。
終点の竜王山展望台に行く前にまずは途中の筆影山へ。頂上の展望台よりも少し下りたところにある広場の方が断然景色が良かったです。筆影山も竜王山も春には桜の名所になり、冬には早朝に海霧が発生する幻想的な風景が見られるとか。桜の季節はともかくレンタサイクルが開店していない早朝にくるのなら車が必要ですね。

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展望台からの眺め

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展望広場の方が視界が開けています

ラストは竜王山。筆影山までで電動アシストの性能を掴んでいたので余裕綽々で登ります。何故か道中に山羊さんがいたので思わずパシャリ。うーん確かに目が怖いよ。
山羊さんから少し上ると冒頭ヒルクライムGOALの駐車場。そこからもう少し坂を歩いてたどり着く展望台。こちらは筆影山展望台と違って大きく視界が開けています。さらに設置されている望遠鏡もフリーなのが嬉しい。写真は換算28mmばかりですけど望遠レンズ必要だなーと思いました。

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とてもいい眺め

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引き伸ばし&トリミング

景色のいいところで食べるご飯は格別に美味しい。ということで三原で超有名な八天堂さんのくりーむパン。めっちゃしっとりで中はぎっしり。
展望台でのんびりと島を眺めていたら、地元のタクシーの運転手さんがここから見える島なら大三島の大山祇神社が武具防具の国宝だらけでお勧めだよと教えてくれました。行くべき新たな目的地が増えたところで今回の旅行は終了です。

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■まとめと猫

やっぱり島はいいですねー。特に船に乗るという行為は旅に出た感を増幅させてくれます。そして何よりごみごみしていない。日常と違うゆっくりと時間の流れる場所に行くことは旅の醍醐味として最高クラス。瀬戸内海の島々は旅行先としてあまりにも完璧なので、どこに旅行に行くか迷ったならとりあえず瀬戸内ってしておけば間違いないです!
最後は三原からの帰りに立ち寄った鞆の浦の猫さん写真を。ちなみに鞆の浦の猫スポットは崖の上のレストランぼすきゃっとさん前です。

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崖の上の猫

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