百六十三話 蘇生
どれくらい時間が経過しただろう。
田村の延命処置を受け、浅井は蘇生したのである。
横を見ると誰かの日本刀が置いてある。
息吹き返したら追い駈けて来い――そういうメッセージなのだろうと思う。
今やどの部隊も落伍者を搬送・収容する余裕はない。倒れたら小指を切り取り、遺体の代りにしていた。意識を失った浅井もそうして放置される筈だった。
そんな中、田村班長はここまでしてくれた――俄然生きる気力が沸く浅井。即座に日本刀を手にし、後を追う。
多数の人員を擁す聯隊が通った跡だ、道が二つに分かれていたら馬の糞がある方に行けばいい――人の姿が見え、敵兵でないと判断出来たら、人目を気にせず邁進した。
止めどなく歩き続ける、無休で夜通し歩き続けた。
夜の間は真っ暗で判らなかったが、朝になるにつれ周囲が認識出来る。現在地、今いる場所は、広大な畠の中の一本道だった。
浅井はある種の感慨に浸った。しかし、若干の安堵も束の間、一本道の先、遠く彼方から二人の人間がこっちに向かって歩いて来ているのが判る。
最早隠れようがなかった。
行くしかない――浅井は日本刀の鞘を払って抜き身にし、意を決して進んだ。
対する向こうも向かって来る。
一人は苦力風。天秤に二つの籠を下げ、何か運んでいる。
もう一人の方は大柄でガタイがよく、苦力の主のように見える。いずれも便衣兵の可能性大だ。
互いの距離が十米を切った。
浅井は日本刀を抜いて振り回しながら近づいた。
一対一、もしくは一対二の真剣勝負をするつもりでいる。
特命を帯び、草熅れがする闇から飛び出た日を思い出す。あの日は逆にこちらが二、向こうが一の二対一だった。さらに言えば、未届け人も潜んでいた。闇討ち、騙し討ちだった。敵はあっけなく死んだ。
何の因果か。しかし、今度は武人として死ねる。例え殺られても――。
間隔は五米を切る。
浅井は覚悟を決めた。
大和魂で闘う覚悟を。
「どこの部隊の所属ですか?」
支那服を着たガタイのいい男が訊いて来た。
日本語である――。
「きょ、極二〇二七部隊であります」
きょどってしまった。聯隊の暗号名で答えてしまった。
しもたー
浅井が一瞬焦っていると、主が「その部隊は、南昌の西南約五十粁にある新建県喩家いう部落で野営しています。ここから丸一日の行程で、日本軍の占領下にありますが、敵も潜伏していますから充分警戒して追尾して下さい」と言った。
浅井の内心を見抜き、さらに浅井が落伍兵と判った上で、教えてくれたのだ。
「はいっ!有難う御座居ます!」
彼らは敵どころか友軍、帝國軍人だった。密偵の使命を帯び、支那人になりすます憲兵なのだろう。
抜き身姿の自分が恥ずかしくてならなかった。
秒で居た堪れなくなった浅井。敬礼して速攻別れた。
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