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"普通"とは。

こんばんは。
今日も冷えますね、布団に包まっているとつい眠ってしまいます。
今日は自分の部屋づくりをやっとできました。
元々私の家に「自分の部屋」という概念が無く、ずっと憧れていました。
妹は私と兼用だった部屋を勝手に自分の部屋にし始めて、今は妹は一人暮らしをしているので私が今その部屋を使っています。

片付けが苦手な私ですが、物を移動させるだけだったので多少は部屋のスペースを確保できたかなという感じです。


前回もスキを押してくださった方々、読んでくれた方々、ありがとうございました。
Twitterでアンケートを取った所、過去の続きが知りたいという結果が大半だったので書こうと思います。


解離性同一性障害。

この症状が出ている時のことは記憶があまりにも曖昧なので母や妹から聞いた話だけになりますが、書き記していきます。
まず、夜急に家を出て外を出歩くことが多かったらしいです。
そして未遂をした時「こいつを助けろ」か何か、そんな風な事を私の別人格さんに言われたんだとか。
その頃の私は常に昼夜逆転していたそうで、寝ようとしなかったらしいです。
寝ない、食べない、喋らない、だったそうで、家族も困っていたらしいです…申し訳ない。
幼い子供人格〜昔の言葉を使うような人格まで数十人も居たそう。
その人達は私の中のどこへいったんだろう。
たまにふと考えることがあります。
少なくともきっと私を守ってくれた"知らない私"だから、その人達が居なければ今の私は無かったかもしれないなと思います。


通信制高校編入。

時系列がバラバラになったかもしれません。
高1で私立を辞め、秋頃通信制高校に編入しました。
解離性同一性障害の症状が1番強く出ていたのは高2です。
通信制高校ですらやっていけるかなと不安でしたが、同じような悩みを抱えた子が多かったので何とか馴染むことができました。
通信制高校へ行って今でも毎日連絡を取り合ったり文通している親友が居ます。
きっとその子も高2の頃の私を知っているんだろうけれど、変に思い出させようとしてきません。
私の数少ない理解してくれる親友です。
何とか3年間頑張って、高卒資格は取ることができました。


就職。

この頃には薬物療法はしていたものの、今よりは元気で一般のアパレルでバイトをしていました。
今思えばこの頃が1番元気だった。
思い返せばブラック企業ですが。
ただのバイトなのに勝手に副店長枠に入れられていたり、フル出勤2週間近く働きっぱなし当たり前でした。
当初は辛さやしんどさより楽しかった。

なのに、ある日、何かが崩壊した。
仕事中涙が止まらなくなったり、過呼吸を起こしたり、仕事の前日にメンタル不調が酷かったり。
今思うと心のSOSだったんですよね。
それに自分ですら気付いていなかった。
そして働いていた職場が突然閉店することになってしまって、別の店舗で働かないかと社長に言われましたが辞めますと言って2年間のアパレルバイトは終了しました。

そこからは派遣バイトを転々としたり、靴屋さんのバイトをしたりと色々して貯金していました。
この時は恋人が居たから二人暮しという目標の為に頑張ってた。


引越し。

恋人と同棲するべく親の反対を押し切って引越しました。
今はもうどんな感覚だったか思い出せないけど最初は楽しかったんだろうし、それなりに幸せだったんだと思う。
彼女も私と同じく精神疾患を持っていた。
私はというと引越した当初はデスクワークで働けていたものの、どんどんメンタル不調が出てきて半年も持たず辞めてしまった。
その後は夜職をしてすれ違いが多く、結局すぐに仕事も辞めてしまった。

彼女は予定を気分で断ったり、急に怒りだしたり、突然泣き出したりする人だった。
典型的な境界性パーソナリティ障害というか、ヒステリックも持っていた。
物を私に向かって投げられたり、隣で突然リストカットし始めたり、ODしてラリってたり、言ってることが滅茶苦茶だったり。
なるべく彼女の機嫌を損ねないように機嫌を伺って過ごしていた。
逃げ出したかったけど行く宛てなんて無くて。
母とは定期的に電話やLINEで連絡を取り合っていた。
なるべく辛さが伝わらないように。
勝手に出ていった手前、帰りたい、と言うのをずっと押し殺して明るく振舞った。


限界と元カノとの別れ。

それは突然だった。
「距離を置こう」と彼女が言い出した。
内心、ほっとしたのを覚えている。
やっと解放されるんだ、この人から、と。
「もう別れよう」と私が言うと彼女が泣きながら嫌だと言っていたのをぼんやり覚えている。
何か言ってたが覚えていない。
何かしら啖呵を切って出ていったので私も夜行バスを待つ為に荷物を持って漫画喫茶に居たら鬼電と鬼LINE。
正直流石に怖かった。
人の執着心は強すぎるとこうもなるのか、と冷静に分析していました。
今となってはもう過去の人だからどうでもいいけど、時々トラウマとなって顔を出します。


ネトストと、新たな出会い。

私が地元に帰ってきて数ヶ月経ってもTwitterで匿名箱等を開こうものなら元カノと思しき人物から大量の誹謗中傷が来るので、そういうのは辞めました。
何なら数年経った今でもネトストされてそうで実は怖いです。

新しい出会いはろくなモノが無かった。
私の容姿だけを見て推しだと言ってくる人、傷跡を綺麗だと言ってくれて告白してくれたのに私を突き放した人、知り合って1日しか経ってないのに仮でいいから付き合いたいと言ってくる人。
去年付き合ってた元カノは同情で私に付き合ってたし。

その分、これから幸せにならなきゃなと思います。

やっと見つけた私の幸せ。
甘くて溶けちゃいそうなくらいに愛してくれる人。
将来を本気で考えれる人。


過去のことを書くとどうしても長くなってしまいますね。
長々とお付き合い頂きありがとうございました。
また次回、お会いできることを願っています。

今日も頑張って生きたね。
生きててくれてありがとう。
君が生きてくれているから、私の過去を、生きた印を知ってもらうことができた。
ゆっくりゆっくり、君のペースで生きていこうね。

ではまた次回。

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