桃屋のきざみニンニクが超うまい
今まさに、大変なことが起きている。こんなことは、僕の人生で今まで一度もなかったことだ。口から生まれた、ずっとしゃべってるから遠くから来ているのがわかる、人間ハーレーダビットソンなどなど。おしゃべりの異名を数々いただいてきた僕の生涯で、前代未聞の大事件が、今まさに発生している。
今日noteで書けることが、
「桃屋のきざみニンニク」が超うまいくらいしかないのだ。
別にそもそもこのnote自体、実のある事なんてほとんど書いてきていない。ワオキツネザルのワオなんて、知っても知らなくてもどうでもいいし、「イオンで人生を完結させるロードマップを作ってみた」なんて、作ってみた史上類を見ない無駄さではないか。
大体昨日書いた、マルフォイを嫌いになれないなんてひどいものだ。てめぇのマルフォイへの価値観なんて誰が興味あんねんと。今となったら笑い話だ。
そんなくだらない事しか書いていないにも関わらず、
今書ける事が「桃屋のきざみニンニク超うまい」しかないのである。
ワンチャン僕、死んでいる可能性すらあるレベルだ。
桃屋のきざみニンニクがうまいなんて、さすがにマルフォイをしのぐ「どうでもいい話」である。そもそも僕の良い・悪いなんて、「誰が興味あんねん」案件である上に、題材にしようとしている物が桃屋のきざみニンニクである。んな奴「くせぇ口ふさげよ限界です」と言われて、adoに顔でも踏まれてりゃいい。
とはいえ、別に何をしていないわけでもないのだ。朝から外出をしてちょっとした打合せに行ったり、外食もしているし、それなりに行動もしているし人ともあっている。本屋にも行ったし、喫茶店でプログラミングをちょこちょこやったりもした。
こんなもん、ほっておいても何かかけるではないか。見かけた本、食べた食事、あった人とのエピソードを、ちょっと尾ひれをつければかけそうなものでは無いか。
にもかかわらず、僕の頭に浮かんでいるのは「桃屋のきざみニンニク超うまい」のみ。
ChatGPTも鼻で笑う、引き出しの量である。
もちろん僕が、商業用のエッセイやコラムを書いているのであれば、話は変わってくる。人にお金をもらえるクオリティや、情報量を求めるために、題材が浮かばないというのならわかる。人から必要とされる記事を作成するためには、情報を集めて表現方法をしっかりと考え、時間をかけて作り上げていかないといけないものだ。
ただ、僕に関しては全くそうではないではいか。そんなこと、過去の記事を振り返ったら一瞬でわかる。
今見つけたが、「感電注意看板選手権」ってなんやねん。
これがOKで、桃屋のきざみニンニクがNGの理由も分からん。
ただ今日僕が言えることは、「桃屋のきざみニンニクが超うまい」というこの事実だけである。とりあえず今日の晩飯に、きざみニンニクをたらふく入れて、くせぇ口をふさいで静かに寝ようとおもう。