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随筆(2020/3/29):人は菜種でも玩具でも見世物でもない

1.人は菜種でも玩具でも見世物でもない

1_1.エロマンガを愛好して、人と人との色恋をやらない人は、危害がなかろうが何だろうが、嫌われるだけだ

多くの男性が、「女性を性的な目で見るな」という多くの女性のニーズを理解していない。
というか、それを知識として知っていたとしても、「なぜそうなのか」についてまでは分かっていないことがふつうだ。

さらには、なぜ多くの女性が多くの場合ポルノを嫌うのかも、理解していない。

***

さらに言うと、こういう話がある。

「実際の女性への性欲のまなざしがダメだから、エロマンガを読むのだ」
という、ある種の男性の、信じがたいくらい譲歩した理屈が、あるじゃないですか。

信じがたいくらいの譲歩?

そりゃそうだ。それは、特にヘテロセクシャルにとっては、「人と人との色恋を、永遠に断念する」ということだ。
人生のある種の側面を、誰かのニーズのために「破棄した」のだ。
つまりは、誰かはそのニーズによって彼らの人生のある種の側面を「破棄させた」という話にしかならない。
これは、本人や周囲の意識は知らないが、外形的には世界残酷物語としか言えない。残念ながら。

***

しかし、多くの女性が、そんな話、何ら「信じがたいほどの譲歩」とも「世界残酷物語」とも思っていないし、だから当然何ら歯牙にもかけていない。
依然として、「そういう話ではない。何も分かってないではないか」となりがちだ。

後述するが、これはその通りなのだ。

そもそもの話として、性欲の対象の話ではなく、性欲の漠然とした在り方、漠然とした定義が、彼女たちの考える性欲とはかけ離れている気配がある。
だとしたら、そりゃあ何言っても「こいつらの性欲は相変わらずnot fo meでしかない」としかならんわなあ。

***

ちなみに私は、これはそもそも、社交や処世のやり方として、路線を大幅に間違えていると思う。

エロマンガで満足出来るようになっている人が、人と人との色恋や、さらにはパートナーシップを「自明」とする社会で、「ふつうの」人間として扱われると思うか? 「異常者」として扱われるだけだ。身に覚えがあるだろう。
しばしばある話だが、職場をクビにされる時に、かなり優先度の高い標的になるだろう。多くの人の、異常者と思われてしまった人への好感度は、概ねかなり低い。スナック感覚でクビにされるだろう。それに耐えられるか? 経済的実害の話だぞ?

まして、今の人々が鼻では笑いつつもうっすらとは「あるもの」として信じている「理想」、即ち、「ふつうの人並みの幸せ」とやらを、エロマンガで満足できる人たちが、周囲の洗脳のせいで「せめて、人間らしく」と言いながら本気で求め出したら、これはまず、出来ない。
そりゃそうだよな。その中には、人と人との色恋やパートナーシップも含まれているんだから。
つまり、彼らが自分の意志で破壊して破棄したものだ。
拾い直して修復するの、どう考えても簡単な訳がないんだよな。

「そんな理想はない」?
「あったとしてもそんな事柄は含まれていない」?

それ、嘘じゃん。
多様性は多様性としてあるかもしれないが、「ふつうの人並みの幸せ」という理想は理想としてあるじゃないですか。
それを個々人が信じるか否かはどうでもいいが、それを信じている人たちが実はかなりいるという話も、逸脱者や信じてない人を経済的に干すという話も、これらは、明確に、現実の話だろ。繰り返すが、経済的実害があるんだよ。
こういう時に限って、そういうヌルいこと言って、言った側だけが安心して、何も見なかったことにして、納得しない相手をシバくの、あまりにもメチャメチャに都合が良すぎやしませんかね。

1_2.悪い「まなざし」の話と、古典的自由主義の話は、領域が違う。話が噛み合わない。ちゃんと向き合わねばならない

で、まあ、そういった話は措いといたとしても、なぜそれが受け入れられないばかりではなく、嫌われるのか。
「「まなざし」が悪いからだ」という。

これは、人間の表現を、「(態度を含む)行為の一種」である以前に「解釈の一種」として捉えている訳だから、本当のことを言うと、JSミル的な古典的自由主義に限れば採用されない。

だが、そんなことを多くの女性に言っても、永遠に説得出来ないだろう。
いいですか。その話、要するに、

「悪い「まなざし」があり、そこに何らかの苦痛があるとして、それを古典的自由主義は補償しない。
それらは、古典的自由主義の見地からは、いかなる補償にも値しない。
おまえがいま感じている感情は精神的疾患の一種だ。しずめる方法は俺が知っている。俺に任せろ。
え? 鎮めないよ? おまえがいま感じている感情? 「そんなこと」「なんか」「どうでもいい」。
要は私はおまえとちゃんと向き合う意義を感じていない。
ナメている? そう? ハハッ。よく分からないなあ」

という意味だ。
自分が言っている言葉がどういう効果を持つか、少しは想像できないのか?
それとも、「応答したが、応答責任を背負うつもりはない」。そういうことを言いたい?

内容的にも、外形的にも、当然、そんなんじゃあ何も解決しない。する訳がないやろ。何も噛み合っていない。
だから、こういう応答には、この問題に関する限り、本当に、心の底から、「何の意味もない」としか言えないんですよね。だって、「何の意味もない」んだから…

ここに拘る人たち、根本的に戦場を間違えており、友軍が死んでいるのに、「私は戦った」と開き直っている、ダメな意味で官僚的な部隊に過ぎない。無だ。悪いけど。
彼らには彼らの戦場があるのだろう。だから、死に行く、見殺しにして行く友軍に、せめて味方面しないようにしたらどうですか。あまりにも厚かましい。合流に見せかけて背後から襲撃したくもなるわい。そりゃあよう。

1_3.悪い「まなざし」の正体、それは即ち「見世物扱い」のことなのではないか

まあ、それで、この話にまともに立ち向かうなら、当然、「悪い「まなざし」とは何か?」という話になる。
で、彼女たちの意見を要約すると、こうなる。

「人間は菜種でも玩具でも見世物でもない。
見世物として見ているやつらが、人間を人間扱いしている訳がない。
見世物扱いをやめろ」

これはかなりまともな要求に見える。少なくとも私にはとても受け入れやすい。

***

(少なくとも人間の)性愛は、物的な触覚や光学的な視覚の要素が、つまりは外形的な側面がかなり強い。これは避けられない。

が、それはつまり、「性愛はほっとくと見世物として扱われるし、少なくともそう扱っている側は、そのまなざしを誰もごく当たり前に考えていて、何ら疑問に思ってないだろう」ということを意味する。
そりゃあポルノはふつうは見世物として扱われているもんな。違うとは到底言えまい。

で、見世物にされた「人間」としては、そりゃあそんなまなざしをするやつなんか、そんなまなざしを世間が認めなくなる日が来るまで、全員叩き潰して回るに決まってる。

***

これは、「女性に性欲があることを認めない」貞淑ドグマとは関係がない。
(もちろんこれを持つ人も叩き潰して回る対象になっている。当たり前ではないか。「「「アイドルは糞便をしない」というドグマめいた願望を維持するためには、アイドルがトイレに行くことは望ましくない」じゃあないんだよクソが全員○ね」以外の話にしかなり得ないじゃあないですか)

***

そうではなく、

「性欲に「見世物扱い」のタグを付けて理解しているアホどもの考える性欲など、自分達の持つ性欲ではない。
ましてや、そんなものを自分達が受け入れると思っていたのか? なぜ?
おまえらはこれを自分で受ける側になったらどう思う? 受け入れられないだろ? じゃあこちらにそれを要求するな。
「自分は受ける筋合いがないが、こちらにその筋を要求するのは当たり前である」? そう言ってんだよな? つまりは「自分は嫌だが相手にやらせて当然」ってことだよな? ナメてんだよな? なああー?
人間の本懐は、ナメられたら殺す!! これに尽きる。
人間をナメておる。だからお前も殺す!」

こういうことなんですよ。
これに対してどう「ちゃんと」説得出来る? 無理だと思いますよ。頭から尻尾までその通りなんだから。

ポルノを忌み嫌う女性が言うことを、部分的に解釈出来た限りで見ると、こうなる。
(もちろんその他の要素もかなりあるだろうが、まずここが「違う」という話をされると、かなり驚きます。そういう話をしているようにとても聞こえるが…)

1_4.見世物扱いをされる側はスナッフフィルムの被写体にされうる。そんな覚悟を余儀なくされたくはない

人を見世物扱いする人、見世物ということを、ちょっと甘く考えちゃいまいか。
人間が見世物として愉しんできたものとして、ポルノを挙げる人、だいぶヌルい話をしている。
人間が見世物として愉しんできたものといえば、釜茹でであり、火炙りであり、ギロチンであり、のこぎりびきであろう。最近ではスナッフフィルム(娯楽目的で殺人を記録した映像作品)ですね。

はい?
「自分は暴行陵虐殺人なんか見たい訳ではない。
ポルノと暴行陵虐殺人の区別もつかないのか?」

その、人間の良心と解像度に頼った議論、おそろしく雑だから、やめた方がいいですよ。
あなたのことは知らないが、区別のつかない人、かなり多い。
本当に分からないの? ちゃんとした解像度で世間を見てる? 見ててそれか? じゃあお話にならない。
え? ちゃんと分かってる? そう。それでもなおその議論を強弁する人、かなり面の皮が厚いな。と、私、感じ入っております。

で、見世物にされる人にとっては、自分がなんかの間違いでスナッフフィルムの被写体にされるかもしれない。というの、こんなもんメチャクチャ恐ろしいに決まってるでしょう。
そんな覚悟、したくはないよ。何そんな覚悟を余儀なくしてんだ。
と言いたくもなるだろうし、それに対して納得の行く答があるわけがない。

「私はあなたを見世物扱いした覚えはない」?
「私はあなたを見世物扱いはしたかもしれないが、スナッフフィルム扱いする気はない」?

本当に見世物扱いしていないことを、目に見えて徹底し続けているならともかくですね。
そんなことを実は自分がしているということについて、考えも内省もまるでしていなかった人、そういうことを安易に言っちゃいけないんですよ。
そんなんで、自分の発言に信頼を抱いてもらえると、本当に心の底から思っているのか…?
発言の中には、信頼がなくても受け入れられるものと、信頼がなければ受け入れられないものがある。
今の話は、基本的に、後者の話ですね。そりゃあそうよ。生き死にに関わるんだから。
そして、それについて考えも内省もしていないことが強く疑われている人に、「資格」、そんなもん、あるわけないやろ。

1_5.見世物扱い、やめといた方がいいですよ

そんな訳で、人間に、菜種や玩具や見世物としての使い勝手があるのはかなり明白だが、それを通していたら、かなり多くの人の生活はメチャクチャになり、彼らにとっては世界は地獄でしかなくなる。
当然、彼らが世界に痰と唾を吐いて、手当たり次第目につく人を滅多刺しにして、故郷の村を焼いたり繁華街を炎上させたりする可能性はかなり高くなる。

人間を見世物として解釈するまなざし、やめといた方がいいですよ。今焼かれてて「何で自分が焼かれなならんねん」と思っている人は特に。今説明しただろ。やめろ。そんなことするから焼かれるんだよ。

***

内心の自由? 表現の自由? そんな話は今していない。もっと根本的に、生命身体財産の話をしている。
頼りにならない類の人権思想を盾に、盾ごと焼かれたいか、盾を捨てて「人間を見世物として解釈するまなざし」から降りるか、どちらかしかあり得なくないですか。

「殺されようがこの手の人権思想は正しい」というの、尊いが、「それが相手に通じる」と思ってるところがもうどうしようもなく「甘え」なんですよね。
自分が見世物にしている相手を、よくそこまで信頼出来るな。
おそらく相手の方はそんな人なんか何一つ信頼していないし、渡世の仁義を破るやつの語る渡世の仁義なんか尚更信じちゃいまい。

そこでは何の説得も効かないだろう。単純に、何の躊躇もなく、叩き潰されるだけだ。

2.周辺の話

2_1.芸能人やポルノスターは、本質的には売る店主であって、買われる商品じゃあない

ちなみにここからは余談になります。

芸能界≒ショービズの芸能人も、ポルノ業界のポルノスターも、見世物ではない。
そう思ってる人、ものすごくたくさんいるだろうけど。

彼らは、本質的には、魅力ある買われる商品じゃあない。
自分の備える、持つ魅力を、売る店主だ。
だからこそ業界が成り立っているんだ。

そこを心得違いしているということは、渡世の仁義を何も分かってないということに等しい。
渡世から相手にされず、見捨てられて、人流物流のルートから外されて、干乾しや兵糧攻めにされても、正直「そりゃあそうだろうねえ」という話にしかなり得ないんですよね。

2_2.広告や表紙や無料配信以外の、コンテンツとしての魅力は、他人がタダ乗りしていいものではない

大事な話になるが、コンテンツとしての魅力は、他人が求めるものではあるが、主体たる自分の同意無しに提供する謂れはない。
「知ってもらうため」等の理由で、意図的に人に示した、広告や表紙や無料配信分以外では、魅力は他人に与えられない。

これは、当たり前だ。
それを越えて手に入れたら、それは、「盗み」なんですよ。
かなり一般的な話として、盗みが横行したら、業界は潰れる。どこでもそうだ。やってられないからだ。
そんな盗人のために、誰が与えたいと思うものか。盗人猛々しい。

有料分の提供を期待するなら、ここまで捧げられたら魅力を提供してもよいと思えるような、適正な捧げ物を捧げろ。という話にしかならない。
だから、それを、やるしかないだろう。
やらないんなら、それは、互恵でも公正取引でも何でもない。取引は成り立たない。諦めて帰るしかない。それは、高望みなんだ。
相手のために何か捧げたくなってから、またおいで。ちゃんと相手が嬉しいと思いそうなものを。
(何が相手の幸せで、何をして相手が喜ぶのか、想像もつかない? ちゃんと見てないから、分からない? そんなもんダメに決まってる。率直に言って、そんな人は本当は相手にそこまでの興味を持っていない。という話にしかなり得ない。いいから相手を見ろ。解像度を高めろ)

2_3.魅力を提供してもよいだけの適正な捧げ物を捧げられたのに、何らかの理由で魅力を提供しないというのも、やはり危険ですよ

さて。
今までの話の帰結として、今からものすごく嫌な話をしなければなりません。
ですが、これは書かなければならないから、書きます。

いかなる「捧げ物」を捧げられても、当たり前のように受け取るが、特に報いたいとは思わないし、何も報いない。
というのは、「自分が」盗人猛々しくなるだけだから、やめた方がいいですよ。
特に、明らかにそれが相手の何らかの「犠牲」であった時は。
相手がタダで魅力を盗んでいくのが許せないように、自分が相手から受け取って報いない、というのは、「しめしめ」と言って「戴いている」盗人猛々しい人と、外形的に何ら区別出来ないからです。

そういう盗人猛々しさは、ものすごく大きなマイナスの魅力となる。自らの地位を毀損する程度には。
つまりは、あなたは見世物ですらなくなり、玩具として弄ばれるし、最悪、菜種のように搾り尽くされて破砕されて破棄されて惨たらしく死ぬ。
魅力は地位に対して、プラスにもマイナスにも効いて来るものなんだが、マイナスの魅力はふつう、地位にマイナスにしか効かない。面白いですね(いや面白くはなかろう)。

2_4.「どうして欲しいか」は、やはりちゃんと伝えておいた方が、圧倒的に安全ですよ

受け入れがたい話なのかも知れませんが、
「それをもらっても嬉しくない」
とか
「こういうのがいい」
とか、あと
「あなたはこれこれこのような理由で嫌いだから、捧げられても何も応じられない」
とちゃんと言わなきゃダメなんですよ。
そこまで掘り下げて説明になるような説明をしないと、説明したことにならないんです。
そりゃあ
「疑惑の相手が、疑惑についてはノー説明で、さらに何かをやらせようとしたり、やめさせようとしている。ノー説明で。何だこれは。それで「自分が言うことを聞いて当然」だと思っているのか。ナメている」
としか受け取られないでしょう。
無論、これをハイそうですかと受け入れる人はあまりいない。
というか、ふつう、キレる。

***

「そういうことを言わなければ通じない人、面倒臭いからダメ」?

ダメなんだって。それをしないで意図を伝えようという態度、その時点でもう何らコミュニケーションではない。

もし、そういう理解で、コミュニケーション達者を自負しているのだとしたら、かなりマズイ、と言える。
というか、はっきり言うと、そういう察してちゃん、コミュニケーション能力の低さを避けがたく意味する。

ここ、逆だと思っちゃいまいか。
「非言語的コミュニケーション能力が高い我々は、こういう微妙なしぐさめいたことを、言語的コミュニケーションとしてわざわざやる意義を今更感じない」
とでも考えちゃいまいか。

大いに考え違いですからね。それ。

というか、それ、単に「言語的コミュニケーションが出来ない」というのと、外形的に区別出来ないんですよね。
区別出来ますか? その目利き、後で振り返ってみたら、実はあちこち勘違いだったりするのでは?

非言語的コミュニケーションが、基本的にはかなり信頼性の低いものである。
という話は、以前ここでした通りです。読んでいただけると幸いですし、理解がスムーズとも思います。

***

「相手への信頼がないから、そんなことを言ってやる義理も義務もない」?

ダメだよ。嫌でも、言わなきゃ、相手には分からないし、際限なく誤解されるよ。これはそういうものです。わざわざ自分でそういうことをするの、ものすごく危険だから、やめた方がいいですよ。
一番困るのが「この人は私に悪意があるんだなあ。敵なんだなあ」という誤解です。一番嫌なパターンだし、それを避けるために全力を尽くさなければならないはずです。というか、そこに全力を尽くさないの、訳が分からない。
それすらしない、出来ない人に、社交や処世をまともにやる意図や能力が、あると思ってもらえるだろうか? 無理だろう。そりゃあ干されるし、干されるから殺されかけても誰も助けてくれないよ。ただ死ぬだけだ。

2_5.嫌いな相手に、理由も込みで、相手の納得の行くように、はっきり言う(自分の身の安全は確保しながら)

あと、これは本質情報ですが、「あなたはこれこれこのような理由で嫌いだから、捧げられても何も応じられない」という話、出来るだけ早めにしておいた方がいいんですよ。

「そんなこと言うたらいずれにせよ殺されるやんけ。
だから、いつか限界が来るまで、出来ればやりたくない」?

何でわざわざ限界が来るまでもたもたしているのか、何も分からない。
限界前なら相手は話を聞く余地がふつうにあるが、限界突破後は相手の目には「この邪悪生物(あなたのことだ)、献身も会話も、通じる気がしない」としか映っていない。「確実に」問答無用になる。
だから、リスクが低いうちにテキパキやれ。という話にしかならなくないですか…?

何なら隣に人を付けてでもやりましょう。
これをやっておくと、まずかなり安全になる。
隣に付いたのが警察官なら、相当揺るぎなく安全だ。

それで、そうまでしてでも、「どうして欲しいか」は、やはりちゃんと伝えておいた方が、圧倒的に安全ですよ。
そうしなかった時のデメリットは、上に説明した通りです。

3.まとめ

そんな訳で、
「自分の備える、持つ、自分の魅力が、自分の示した広告や表紙や無料配信分以外まで、タダ乗りされてたまるかクソが」
という話は大いにもっともです。
それは、自分が、売るものだ。自分「を」買おうとするやつ、自分をのこぎりびきにしてもいいと思っている邪悪生物である疑いが排除出来ない。じゃあ叩き潰すに決まってる。

***

だが、相手がちゃんと、自分が応じてもいいくらい魅力あるものを捧げたら、それは受けた方がいいですよ。
そこで受けない、応じない人、今度はその人「が」搾取者に化けるんだから。

「うるせー! 今まで食い物にされてきたんだ。食い物にしてやって何が悪い!」
というのを、八つ当たりでやらない方がいいですよ。八つ当たりなんだから。相手にとっては何の謂れもない話だ。そりゃあ、相手は、報復してくるでしょうねえ。
報復が認められない程度には、八つ当たりだって認められていません。気を付けましょう。

***

人間は、菜種でも玩具でも見世物でもありません。
それらの機能は、主体たる人間が、何らかの形で、「くれる」ものです。
それは、とても、有難い。
だから、ちゃんと「有難い」と思わなければならない。
相手は主体なんだから、「有難う」も言わなければならない。
本当のことを言えば、「相手にとって有り難みのありそうな何か」で報いねばならない(「他人からの献身を食い物にするとお得だ」と思っている人たちを横目で睨みながら)。
そうして初めて、あなたも他人の目から、「自分のものを扱って、他人とかかわり合いになろうとしている、そういう志向を持つ、一箇の主体」として、まともに認識されることでしょう。

ここからが、人と人との色恋です。自分の中だけのロマンティック特大感情ではなく。

***

「そういうの、べらぼうに資源や労力などのコストがかかる。簡単に出来る話ではない」
それはそうですよ。
「だから、低レベルでもいいから、手軽にニーズの決済がしたい」
それはそうよ。分かるよ。

でも、それは、ちゃんとした高レベルでの、人と人との色恋で、「相手をある意味ナメており、報いなくてよい、と思っている」という話を、何ら正当化しないではないですか。

その時になったら、選択を過たないようにしたいですね。

そして、もしその時を迎えたいのなら、「自分は、選択を過たない、信頼しうる人間である」ことの広告は、自分の顔や言動を表紙に見立てて、無料配信分として出しておかねばならなくなってくるでしょう。

やっていきましょう。

応援下さいまして、誠に有難うございます! 皆様のご厚志・ご祝儀は、新しい記事や自作wikiや自作小説用のための、科学啓蒙書などの資料を購入する際に、大事に使わせて頂きます。