随筆(2019/12/29):『自罰の呪いで成長する人と、その破滅』1_2-1_4(自罰的な性格と、その主たる機序としての、「大きな苦痛を避けるために、小さな苦痛を選ぶ」回路他)

1_2.「時間のかかる大きな快楽、得られた時には待たされた不快感で相殺されて台無しになるから、時間のかからない小さな快楽を選ぶ」回路

依存のある人によくみられるのですが、
「時間のかかる大きな快楽、得られた時には待たされた不快感で相殺されて台無しになるから、時間のかからない小さな快楽を選ぶ」
という回路があり、これも生活をやっていく上ではかなり真剣に迷惑なバグです。私にもあるんでよく分かります。

この『意志の弱さ』は、『自制心』『努力』に対して、非常に強くマイナスに働きます。
しかし、よくある話として、人が『自制心』や『努力』を果てしなく強いられた場合、『自制心』や『努力』に対してものすごい苦手意識が生じます。
結果、『自制心』も『努力』もなされなくなり、『意志の弱さ』に直ちに従うようになる。
だってそうしないと永遠に雀の涙のような報酬しか手に入らないし、下手すると報酬自体が手に入らないんだからな。
そりゃそうだ。当然そのような判断になる。

なぜこんなことが起きるか?
『報酬』が後回しになって、『自制心』や『努力』だけを強いられたら、当然その『不快感』はどんどん膨れ上がります。
投入する『リソース』『コスト』『報酬』との間の『衡平』(equity)や、『公正取引』の観点からは、せめてそれをそれなりに上回る『報酬』が与えられなければならない。
ですが、それは膨れ上がった『不快感』を上回る『報酬』ということを意味するので、当然かなり膨大なものになります。ということで、ふつうは払えません。
というか、雇用側が初手から労働者を『払えないことを前提として使い捨てる』モードになっていることも、現実にはかなりあります。

クソが。これでは話にならねえ。そんなこちらに損のある雇用、さっさと切って、苦しめた雇用側も、助けなかった従業員も、絶対に全員見捨てて行こうな。何の話だっけ?

1_3.「苦痛を痛み止めで誤魔化す」回路

あと、人間、痛みを、痛み止めの効果がある神経伝達物質で、ある程度はマスクできてしまうんですよ。「苦痛は痛み止めで誤魔化せる」んです。
これが人を動き続けられるようにしているが、問題を先延ばしにしている原因にもなっている。
もちろん、直ちに解決の目処が立たないなら、先延ばしにして時間を稼いでその間に準備を整えるしかないので、痛み止めにも頼るしかない。
そういう意味では必要な機能だが、そもそも問題に備えようという場合にしかこれは役に立ってくれない。
「痛くなくなったから、問題はなくなった、備えない」と判断された場合、その痛み止めはただの痛み止めに終始して、早晩問題に直面して磨り潰されて○ぬ。
そういう成り行き、やはりバグだと思うんだよなあ。

1_4.自罰的な性格と、その主たる機序としての、「大きな苦痛を避けるために、小さな苦痛を選ぶ」回路

これらの回路について考えると、
「自分はダメなやつだ、評価に値しない」
とか、
「自分はダメなやつだから、お仕置きがある」
とか、その手の自分を罰する性格について、理解が進むようになります。

この手の人は、何かが出来ない、スキルや知識がない、等の大きな苦痛をもたらす要素があるとき、多少の苦痛を伴う自制心や努力で解決できるのなら、してしまうのです。
つまり、1_1.で言った「大きな苦痛を避けるために、小さな苦痛を選ぶ」回路の話の、丁度逆パターンですね。
一見「あれ? そんな風に機能するのか?」と首を傾げますが、「大きな苦痛」スキルや知識のなさで、「小さな苦痛」自制心や努力なら、そういうことは実際にありうる。

スキルや知識のなさを、自制心や努力で解決する。
だったら、自分のダメなところを見たくない、避ける人より、自分のダメなところを見ることに耐性がある、何なら向き合える人の方が、改善の度合いは大きくなりやすい。
要するに、こうした性格、何なら「ある程度は問題解決に有利に働く」まである、ということです。こうなるとこれはかなり大きなアドバンテージにすらなりうる。
マジか! そうなると話がだいぶ違って来るが…自罰的な性格、案外イケるのか? (もちろんこの随筆の題名は、その路線に、致命的な副作用があることを示唆している訳です)

(続きは、また明日にします)

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