踊りたくなるときってどんな感じ?

インスタでお題を募集してみていただいたので今日はこのテーマで書いてみます。

踊りたくなるとき。
いろんな感覚があるんですが衝動であることが理想と思ってます。
もっと理想を言うなら
気づいたときには「うわっ踊ってた。」
って感じです。
まだまだその感じで踊れる時はめちゃくちゃ少ないんですがそーゆー時が1番踊ってるんかなーと。

僕は踊りは「魂(心)の躍動」やと思ってます。
心が踊ってるかが大事とゆーか。
何かに心が動かされた時。
きっと身体は動いてるんです。
悲しくなったら泣いちゃうとか
美味しいもの食べたら笑顔になるとか。
だから心が踊っているなら身体が動いてなくても良いと思ってます。
身体を完璧に止めることは基本的に不可能なので。
呼吸するだけでもお腹は動くしもっと言ったら細胞は生まれ変わるし血液は流れ続ける。
心が動いた時に何かしらの身体の反応はある。
だから踊りっていうのは食う寝るくらい自然な生きるための活動だと思ってます。
きっと原始時代からあるような。

ただ僕は一度ダンスを習ってしまっています。
踊りは自然なものなのにそれを習う不自然。
眠くなったら寝ますよね?
踊りたくなったら踊るのが自然。
ただそうなってくると
「よし。踊ろう。身体動かそう。」
「綺麗な動きをするために練習しよう。」
みたいなのは今の僕に関してはは雑念やと思ってるんですが(洗練された動きをするダンサーにはもちろんめちゃくちゃリスペクトがあるって前提はあるとして)、
一度ダンスを習うってことをしてしまうとそーゆー風に踊るってことをしてしまいがちです。
「もっと上手くなろう」
「人より評価されたい」
こーゆーのは今の僕には必要ないかなと思ってます。
己の表現を突き詰める上で他者に固執するのは邪念なので。
てもどーしても綺麗に動こうとか思ってしまう時とか無心になれない、夢中になれない時が度々訪れます。

踊りを知覚したが故に踊れなくなる感覚。
自分の心が動いてるかより人から良く見られたいを優先してしまう感覚。
踊りを習って学べば学ぶほど踊りから遠ざかる感覚。

てことは踊りを知覚しなければよかった?
ダンスを習わなければよかった?

てなるんですが。

ところがどっこい。

踊りに出逢ったから良かったことがあります。

基本的に僕の考え方でいくと全人類は勝手に踊ってることになります。
心が全く無い人なんていないから。
でもその人たちの大部分は踊ってるとゆーことすら気づいていません。
とゆーことは。
それに気づけた僕はめちゃくちゃラッキーなんじゃないでしょうか?

踊ることを知れたってことは。
その前より生きることの喜びや哀しみを噛み締めて
味わえるってことじゃないでしょうか。

もちろんそんなん関係なく心踊ってハッピー!
って人はいっぱいいると思うけど、
僕の体感として踊り。並びに表現のそういった部分に出逢ってからの人生は酸いも甘いも味が濃いです。
踊るってことが難しくなったけど、それを知覚できたからこそ踊れたときの何とも言えない感覚はひとしおです。
めちゃくちゃ幸せな気分もあればめちゃくちゃしんどい時もあります。
ただ今の感覚にならなければ出逢えてなかった景色が確実にあります。

中々1番理想なときにいくのは難しいから
「あ!今心が動いてる!よし踊ろう!!」
って時が多いんですがたまーに良い感じに踊れる日も少しずつ増えてきました。
そういう時はもちろん動画に収めてることもないからSNSとかで誰かに見せれることはないけど動画を回してる時もたまに一瞬そんな瞬間があったりします。
そんな理想の場面ばっかり載せてるわけじゃないけど。

だから僕の「踊りたくなるとき」はいろいろあって「踊ろう!」ってなってから踊る時も多いけど、
1番好きなのは衝動で踊ってる時です。
後でも先でもなく『今』の繰り返し。
何より生きてると感じれる。

そんな感じやから僕は純粋なモノや人を感じれる瞬間が大好きです。
そーゆーのを見ると心踊っちゃう。
そっから新しい踊りが生まれる。
そーやって世界と繋がって交わってみたことない景色をいっぱい見たい。

そのために感覚を開いて磨いて生きていくことが大事。
これからももっともっと感動して感謝して心踊って生きていたい。

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