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やる気いっぱいだった新人看護師が病んで仕事辞めた話⑤

第一話はこちらから↓

慣れない

そんな調子で何も状況は改善しないまま、数日調子良くなってまた数週間落ちる、というサイクルを秋まで繰り返していました。

秋になっても仕事いくことに全く慣れておらず、休みの日も全然休めませんでした。相変わらず体重は6kg減って増えないままだし、生理は最大3ヶ月半きませんでした。

勉強

私は基本的に真面目で事前の準備は怠らないタイプなので、最初の方は休みの日に勉強していました。

しかし後半になるにつれ「勉強する=仕事のことを考える」ということから苦痛がすごすぎてあまり勉強できていませんでした。

ただでさえ物覚え悪くて要領悪いのに勉強もしなくなったから仕事が余計遅くなって怒られて嫌になって…という負のスパイラルに陥っていました。

また私の職場は「休みの日も新人は勉強しなきゃだめだよね」「同期で集まって指導されたこと共有したり反省会しなきゃだめだよね」みたいな風潮があり、それも苦痛でした。

病棟の教育担当の先輩に情報共有会と称して休みの日に職場に呼び出されたこともありました。

師長に休日にある任意参加のはずの研修もほぼ強制で参加させられ、病棟ではあんまり活用できなさそうな内容でも全部行かされました。

微妙な内容の研修の時に予定を入れていたら「研修の日程知ってたはずなだよね?!」と詰められました。

(しつこいようですが、これは休みの日に行われる任意参加の研修です。他の病棟の新人はあんまりきていませんでした)

その時の私には仕事へのやる気は一ミリもなかったのでとても嫌だったのを覚えています。

そもそも休みの日まで強要するの意味わからないんですけどね。

生きるのが苦痛

この頃、本当に生きるのがしんどかったです。

休みの日は死んだように寝ていたし、でも夜眠れなくて眠剤飲んでたし、同業の友達と会うと自分のできなさや辛さが強調されて余計病んでたし、人生のどん底でした。

他の人より少し高い給料と引き換えに、心と体を大きく削って生きていました。

今思えば、あの時の私はもはや私じゃありませんでした。

学生の時までは彼氏の前ではおちゃらけたりボケたりしていたのですが全くしなくなりましたし、お笑いとか好きだったのに全く面白いと思えませんでした。大好きなアイドルの活動を追うのも億劫だったし、何しても楽しくなかったです。

また同期は結構やんちゃタイプで夜遅くまで遊んだりしていたみたいで、「あの子たちは仕事もできて楽しそうに遊んでるのに、なんで私はこんなにしんどい思いしてるんだろ」って思っていました。

間違えた頑張り

他の人たちから見たら、私はずっと変わりなく仕事に取り組んでいたように見えていたと思います。

プライベートを捨てて体力と気力を仕事に全振りしていたので、なんとか仕事では普通に振る舞えていたのです。

今までの体育会系部活で身についた体力と根性を間違った使い方していました。

夏ぐらいまでは「慣れたらもっと楽になるかな」と思っていましたが、12月になっても慣れることはなく、「このままずっとこんな感じが続くんだろうか」と絶望したことを覚えています。

この手法はいつか体力や気力が尽きてできなくなりますが、絶望したことが気力を一気に奪っていきました。

後悔

都会に一人で出てきたことを本気で後悔していました。

大学のある田舎に残って、彼氏と一緒に済めばよかったと何度思ったことか。

せめて彼氏や友達が近くにいてくれたら、ここより労働環境がましな付属病院に就職していたら…。

こんなタラレバをずっと考えていました。

母親

母親も相当心配してくれて、フルタイムで働いてるのに休みの日に時々私の家に来てくれてご飯作ったり家事をしてくれました。

母親が私の家に来た回数、大学4年間よりこの一年の方が多かったという(笑)

ありがたいと思うと同時に「ここまでして働かないといけないのか?」と思い始めていました。


⑥に続く…次回「先輩からの圧と一つ目の決断」

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