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やる気いっぱいだった新人看護師が病んで仕事辞めた話⑥


先輩の圧

冬になると先輩からの圧はさらに強くなっていきました。

「もう12月だよ?」「もうすぐ新しい1年生はいってくるよ?先輩になるんだよ?」「そんなこともわからないの?」「え、今更?」「それ6月レベルのミスだよ?(絶対6月にはまだしてない手技でも)」などなど。

この頃から同期との差が開いてきて(少なくとも私にはそう見えていた)、私は出来損ないという雰囲気が先輩達から漂っていました。

誰が仕事終わってないか確認するとき、先輩達は真っ先に私に確認していました。

冷たい先輩に「あなたは信用できない」と言われたこともあります。

かなりショックだったのは、3年目の先輩に「いぬさんの記録薄いよね。直接言われたことないかもしれないけどみんな思ってると思うよ。」と言われたことです。3年目でこんなこと言ってくるのも驚きだったし「みんな思ってるよ」って言い方ずるいですよね。

上の先輩からは「仕事できないやつ」、優しい先輩からは「頑張ってるのは伝わるけどその努力が活かせていない子」という感じに見られていたと思います。

この頃から同期はちょいちょい定時に帰っていたのに私は毎日最低1時間半は残業していました。

結局受け持ちが始まった5月中旬以降の7ヶ月間で私が定時きっかりに帰れたのはたった1回だけ。

毎日休憩15分で切り上げて残りの時間記録していてもこんな感じ。

先輩も師長も「他の先輩はできるんだから、終わらないのは完全にあなたの努力・工夫・実力不足。できないあなたが悪い」という扱いでした。

実際、できない人はみんな辞めていくから先輩みんなできるのであって、できないからダメなやつという訳ではなかったんじゃないかと思います。

私が仕事できなかったのは、もちろん私の要領の悪さが大きいですが他にもたくさん原因がありました。

受け持ちが多い、看護師の仕事が多い、お局の分のコール対応、怒られるのが怖くてなかなかプリをはじめとした先輩に声をかけられない、新人で権力がないからフリーの人に何かお願いしても後回しにされる、自分一人でできないことやわからないことがあるからその度に先輩を呼ばなきゃいけない、などなど。

母親の本音

こんな状況なのにすぐに休職に踏み切れなかった理由として、母親の存在があります。

母親はわざわざ私の家に来て掃除や家事をしてくれたりと、とても助けてくれました。とても感謝しています。

しかしその一方で秋頃には「実家に帰ってきても部屋ないよ(マンションのため)」「そんなすぐに辞めるために県外の大学出させたんじゃないよ」などと言われました。

冬には「メンタル病んで休職したら、もう就職するのは厳しいの。だから辞めてもいいけど休む期間はないようにしなさい。休職は絶対ダメ。」と言われました。

私はこんな状態で働きながら転職活動するのは無理だと自分でも気づいていたし、そんな簡単に辞めさせてくれるかも怪しいと思っていました。


潮時

この頃から症状がどんどんひどくなってきていました。

特に泣いてる時間が増えてて、帰り道は泣きながら運転してたし、帰ってからもずっと泣いてました。

この頃「もうそろそろ潮時かな…」と思いました。良くなるどころか悪化していましたからね。職場ではギリギリ泣いていませんでしたが(怒られたりして突発的に泣いたことはあったけど)。

一つ目の決断

冬になっても一向に状況が好転していなくて症状がひどくなっていました。

うつの自覚も出ていたので、心療内科に行くことを決めました。

その時はまだすぐに辞めることは考えてなくて「うつの治療をしよう。薬もらいながら来年の6月まで粘ろう。途中で無理になったらその時点で診断書書いてもらおう」と思っていました。

うつの自覚はあったので、治療して働きながら転職活動ができたらいいなと思っていました。

何件か電話をかけて、2週間後に予約が取れたクリニックに行くことになりました。

前日

クリニックに行く前日は夜勤でした。

その日は受け持ちしていた、夜勤直前に緊急入院してきた患者さんが急変したりとバタバタしたため、いつも以上に上手く回れませんでした。

仮眠の時に「私は一生ここの業務ができるようになる気がしない。さっさと転職しよう。」と思いました。

勤務後プリセプターには「もうあなたのことをどう指導していけばいいのかわかりません。お手上げです。」と面と向かって言われたのを覚えています。

その時「ああ、もうなんか色々無理だな」と冷静になったのを覚えています。

また別の先輩には「いぬさんあんまり同期と仲良くないでしょ?私たち同期超仲良くて励まし合いながら頑張ったよ。いぬさんも同期と愚痴言ったりしたほうがいいよ!一人で溜め込むの良くないよ!」と言われました。

私はこの時「もうこの人たちとは分かり合えないところまで私はきてしまったな」と思いました。

他人と話すことすら辛いし少しでも仕事から離れたい私にとって、休みの日に同期と会って仕事の話をする(愚痴含む)のは苦痛でしかありませんでした。

それを当たり前のようにできると思って押し付けてくる雰囲気とは合わないと感じました。

こう言ってきたのはこの先輩だけでなく、後に出てくる師長をはじめとした先輩たちみんなに言われました。

もちろんこう言ってきた先輩も、自分たちはそうやって乗り越えてきたから親切心でそう言っているのはわかるのですが、私には無理でした。

⑦に続く…次回「Let’s 心療内科!」

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