今こそおすすめしたい (少し昔の) 日本語ラップの世界
まえがき
90年代における日本へのHIPHOP文化の輸入後しばらくしてから、「HIPHOPは不良の音楽」というイメージが常にあった。それは一見表面的であるようで、だがしかし、的を射ている言説でもある。HIPHOPの生まれを遡れば、それが当時主に薬物を売ることで生計を立てていた非富裕層の黒人たちの「金のかからない言葉遊び」であったことは調べればすぐにでも分かる事実だ。
そうして生まれたHIPHOPというジャンルは、「言葉遊び」のみを抽出したポップ系アーティストが日本への輸入を行い、文化人の嗜みとして消費されてゆく裏で、「文化の歴史的側面を大事にする」者たちによる”リアル”な曲が日本のアングラ界隈においても賑わいを見せていくことになる。
日本語ラップにおける、「大人数にウケるナヨナヨした音楽と、HIPHOP文化にそぐうハードな音楽、どっちが素晴らしいのか」「誰がリアルなラッパーなのか」といった論争は、日本へHIPHOP文化が輸入された際の、この2つのルートの分裂から来ていると言っても過言ではない。そして、「HIPHOP文化にそぐうハードな音楽」を経た者たちがアングラから有名になってゆくのに従って、その裏の側面、薬物や迷惑行為の存在も明らかになり、日本語ラップへのイメージダウンへと繋がるのである。
だが、その裏の側面は日本語ラップを通して明るみに出てしまっただけであって、最初から今まで、ずっと日本に存在していた闇なのである。そして、その闇を経験した人間しか書くことのできない詩が存在するのもまた事実である。
ここに、この記事で扱う「HIPHOPとしてのリアルさ」を、以下のように定義付けたい。リアルとは「その当人にしか表現できないことを詩にすること」だ。そしてこの記事では、私の独断と偏見によってリアルだと判断したラッパーの曲のみを紹介することとする。
その中には薬物や迷惑行為を題材にしたものも存在する。もちろん「でもそれって犯罪じゃん」と思われるのは当然のことであろうが、どうか食わず嫌いせず聴いていただきたい。これらの曲を紹介していく中で、私なりの感想を書くことはあるが、曲を聴いた方に強制するものでは決してない。私自身も、各アーティストでさえも、曲を聴いてどう思われようと全く厭わないだろう。
現代における芸術は、鑑賞者の持つ考えによって定義されるものだ。だが、鑑賞されなければそこには何も生まれない。この記事を読む方々が、そのことを念頭に置いて日本語ラップを聴いてくれることを、切に願うばかりである。
おすすめ日本語ラップ (比較的聴きやすいもの)
それではさっそく日本語ラップをおすすめしていく。ここからはしばしばHIPHOP用語が出てくることになるが、それについてはその都度解説していく。まず第一に、曲のサビを「Hook」、Hookやラッパーの入れ替わりで区切ることのできる区間を「バース」と呼ぶ。曲の中でのバースの区別のため、「(ラッパー名)バース」「バース(番号)」というような書き方をする。
①LIBRO - 雨降りの月曜 (1998) (動画URL先コメント欄に歌詞あり)
恐らくこの記事の中で最も有名であろう曲。雨音の中鋭く鳴るピアノに乗せて歌われるバース1の冒頭、
(続) はあまりにもキャッチーかつ共感しやすい。また、バース2では
(続) 直前の「さわやかな日曜日の吉祥寺」を受けて、井の頭公園のアヒルボートの描写をしながら、
「(白)鳥 / ボート / コート / 今日も / ちょうど」のoo韻
「ビー(ル) / いい」のii韻
「乗って / 飲んで / (着)込んで / (意気)込んで / 本で / 読んで」のo-e韻「
「の(って) / の(んで)」「さむ(けりゃ) / さむ(いで)」「き(こんで) / (い)き(ごんで)」の頭韻
といった韻を散りばめている。歌詞を読めば寒空の情景が浮かび、聴けば韻が心地よく、歌えばフロウが気持ちいいという、一曲で三回楽しめる絶妙な仕上がりになっている。
【用語】
頭韻・・・同じ頭文字から始まる言葉を連続させること。
トラック・・・詩を載せる裏で鳴っている音楽のこと。
フロウ・・・歌い方のこと。音程がトラックから大きくズレたり、小節の終わりと文章の切れ目をズラしたりする部分が比較的指摘しやすい。
②KID FRESINO - Who Can feat. Fla$HBackS (2014) (歌詞なし)
KID FRESINOはこの曲でフィーチャリングされているFla$HBackSの(当時の)メンバー。2011年に結成したFla$HBackSは当初MCであるFebb as young mason とJJJ、DJであるFRESINOの2MC1DJ構成だったものの、FRESINOはそのラップ技術の高さから1stアルバムですでにMCも兼任、FebbもJJJもトラックを作成できたため3MCかつ全員がプロデューサーという異例のクルーとなった。「天才3人が集まった伝説のクルー」との呼び声も高い。
そんなKID FRESINOだったが、この曲の入っているShadin' EP (URL先フリーダウンロード可能) リリース後NYに拠点を移すことになり、3年後の2017年には音楽性の違いからFebbと揉めてしまったためにFla$HBackSを脱退することになる。その翌年、2018年頭にはFebbが死去してしまい、現在Fla$HBackSにはJJJひとりのみとなっている。
そこまでの経緯を含めてこの曲を聴いてみるとどうだろう。曲はFebb as young masonのバースから始まる。
【用語】
ILL・・・基本的に「ヤバい」の意。アッパーがILL、ダウナーがsickの印象。
Chill・・・落ち着くこと。大麻によってダウナーにキマった状態を指すこともあり。キマりすぎた場合はStoneと表現する。
Peep・・・「覗く」もしくは「人々」のスラング。
Gimmick・・・ギミック。仕掛け、種、小手先だけの技。
蹴る・・・ラップをすることを「バースを蹴る/キックする」と表現する。
Spit・・・スピット。唾を飛ばすように力強くラップをすること。
ゆっくりと、それでいてしっかりと、英語を混じらせながら綴られる言葉たちは、一見繋がりが無いようでいて、全てがFebbの思考やスタンスから生み出されたことによる、ある種のまとまりが存在していることに気がつく。それは韻を踏むことにのみこだわった「言葉遊び」ではなく、著者の持つ語彙から表現された「詩」として完成されている。この詩こそがFebbにとっての「マジな歌詞」であり「REAL」なのだという自己言及も行われている。
「匙を投げ (る)」は「賽は投げられた (運命に向かってことは進み始めたので、もはや引き返すことはできない、の意)」との誤用かとも思われるが、「匙を投げる (諦める、の意。医者が薬を測るためのスプーンを投げ出してしまうことから)」の意味を知っていたと考えると「(運命によって何かを) 諦めたところからが始まりだ」という意味になり味わい深い。
Febbのバースに続いてJJJが担当するhook。
JJJの書くリリックは難解なものが多く、小節ごとの意味の繋がりが捉えにくい。だがその分解釈のための余白も広く、読む/聴く人間それぞれにそれぞれの感情をもたらす。
Fla$HBackSを表しているであろう「三面の背中合わすトライフォース」が「欠ける」とされているのはこの直後にFRESINOがNYへ行ってしまうことを受けての歌詞かとも思われるが、2017年以降のこのクルーの状況を経て読んでみると、当時の聴き手が感じていたであろうものとはまた別の味わいがある。個人的には「言葉が自分に返る ゼロにする」の部分なども思わず食らってしまう。
スペースと英語の難聴性からFRESINOバースの記述は控えるが、是非実際にフルで聴いていただきたい。
【用語】
feat.・・・フィーチャリング。その曲のために、アルバム制作者とは別に招いた人のこと。
プロデューサー・・・主にトラック制作者を指す。「prod. by (プロデューサー名)」と書かれることもある。
リリック・・・歌詞のこと。
クルー・・・グループのこと。ダンサーなどが含まれる場合もあり?
食らう・・・「ハッとさせられる」「心に来る」の意。
③ SHAKKAZOMBIE - 空を取り戻した日 (1997年) (歌詞なし)
カウボーイビバップTV放送版の最終話エンディングとして採用された曲。カウボーイビバップはその内容がやや過激だったことから当初作られていた話のうち半数程度しかTV放送が行われず、TV放送版最終話である「よせあつめブルース」では、主要登場人物である4人がテレビ局に向けたであろう愚痴や皮肉、クリエイターとしての哲学を並べていくという強烈な内容であった。例としてひとつ引用する。
「盆栽」を「コンテンツ」もしくは「アニメ」と置き換えて読んでみると分かりやすいだろう。この最終話のBGM、エンディングの両方でSHAKKAZOMBIEが起用されており、プロデューサーであるTsutchieは同監督の次作「サムライチャンプルー」でも音楽担当としてNujabesと並んで起用され、これがToonamiチャンネル経由で世界へ渡り、当時子どもだった海外のアーティストが成人してから、サムライチャンプルーライクな曲をlo-fi HIPHOPとして発信していくという流れは特筆したい。NujabesだけでなくSHAKKAZOMBIEの存在も、2010年代後半からの世界的なlo-fi HIPHOPの流行をもたらした要因の一つだと十分言い切ることができるだろう。
ここまで踏まえた上で「空を取り戻した日」を聴いてみよう。SHAKKAZOMBIEは2MC1DJの構成のクルーだが、この曲を歌っているのはOSUMI (オオスミ) 一人である。
90年代の日本語ラップということもあり、比較的聴きやすい韻を踏んでいる。現実的な描写は一切なく、視点の動きもない。何かに絶望しているときの心の動きをそのままラップのフォーマットに入れ込んだようなリリックは極めて情景的で、また、先述したカウボーイビバップ最終話を踏まえると「自由にコンテンツを作り発表することができなかった」ことを書いているのではないかというような、複数の解釈の幅が生まれる。
続く2バース目を飛ばし、3、4バース目の歌詞を引用する。と言ってもこの曲はこれと言えるようなhookが存在せず (あえて言うなら冒頭4小節がそう) 、バースの区切りは曖昧である。このような構成は決して珍しくない。
勘のいい方はもうお気づきかもしれないが、日本語ラップは決して韻だけで決まるものではなく、リリックの文学性だけで決まるものでもなく、フロウのみによってでも、トラックのみによってでも決まるものではない。それらの全てをたった3、4分の一曲にまとめ上げることによって、他の音楽や文学とは異なる芸術となるのである。この曲の後半バースでは絶望に染まりきっていたリリックに希望が芽生え、それとともにオオスミのフロウも力強くなっていく。この曲の言葉だけでなく、フロウも含めて聴き、そこから何かを感じ取れた時、あなたは十分にこの曲を解釈できているだろう。
④仙人掌 - Gipsy Pilot (リリース年不明) (動画URL先コメント欄に歌詞あり)
Hookなしの構成。インタビューでも語られている通り、この曲はリチャード・バック著『イリュージョン』から着想を得て書かれたものであり、静けさを纏うトラックの中で空の旅を一人続けるパイロットの心情が描かれる。動画のコメント欄に歌詞が文字起こしされているので、是非そちらを読みながら聴いていただきたい。
仙人掌は2023年1月ごろに蔦屋書店1号館で開催されていた「SOME RAPs, SOME BOOKs ラッパーと本に関するいくつかの話」というフェアにも参加し、沢木耕太郎著『深夜特急』という小説をおすすめしていた。文学的な詩を書くラッパーは読書家でもあることが多く、日本語ラップと文芸との親和性が非常に高いことがうかがえる。
おすすめ日本語ラップ (ストリート系)
⑤DINARY DELTA FORCE - BED TOWN ANTHEM (2010) (歌詞なし)
DINARY DELTA FORCEは藤沢を拠点として活動していたクルー。ライムボーヤ、DUSTY HUSKY、CALLY WALTER、祀SPの4人で2001年結成。トラック、リリック共にUSのアングラHIPHOP感バリバリの仕上がりになっており、慣れていないとやや聴きづらい印象。スラングが頻発するため、DUSTY HUSKYバースは用語の紹介のみにとどめる。
【用語】
メイク・・・スケボー用語。技を決めること。
Cash Rules Everything Around Me・・・「俺の周りの全ては金に支配されている」の意。略してC.R.E.A.M.。USクラシックHIPHOPの中で1、2を争うほど有名なWu-tang clanの曲からのサンプリング。
タギング・・・グラフィティ用語。自身を表す小さなグラフィティを残したり、それを書いたステッカーを貼り付けること。なお、それより大きなサイズのグラフィティにはそれぞれ別の名前がついているので注意。
ブロック・・・地区。
フライヤー・・・(主にクラブイベントの) チラシを指す。「フライヤーを丸める/巻く」という表現は大麻からジョイントを作る際の巻紙にフライヤーを流用することを意味。
ドープ・・・「ヤバい」「深い」の意。のめり込んでしまうようなヤバさ。「ドラッグ」の意味になることもある。
Hookを挟み、ライムボーヤの蹴るバース2。
「SEGA前」は藤沢市鵠沼海岸にあったスケートスポット。Hoodである藤沢で見てきた光景を切り取るようなリリックは、「24回変わる景色」などの独特の表現も含めてグッとくる。最後の小節の「蹴り飛ばす」は先述した「バースを蹴る」の意味と同時に直前の「My shoes」とかかっている。「また来週」はDINARY DELTA FORCEが毎週土曜日に藤沢でライブしていたことの表現か?
続くCALLY WALTERバースは特に煙たい仕上がり。
ふらふらしつつも安定感のある、不良の歩き方のようなフロウとハスキーな声の相性が抜群。「月夜」「灯火」「仕事人」「枯れた」と連ねる純和風的語彙は直前のライムボーヤバースの季節感ともマッチしている。そしてリリックの表現で掴んだ後は滑るようなフロウへ移行し、強制的に首を振らせるようなグルーヴ感を創り出している (自己言及)。
【用語】
Hood・・・フッド。「地元」の意。
Wack・・・「ダサい」の意。
Homie・・・(家族と同じくらい大切な) 仲間。
メリージェーン・・・大麻の隠喩。
チェーン・・・ネックレス。特に純金製である程度以上の太さのものを「ブリンブリン」と呼ぶ。
おすすめ日本語ラップ (薬物系)
⑥SCARS - あの街この街 feat. 林鷹 (GANGSTA TAKA) (2006) (歌詞なし)
SCARSは2003年ごろに結成されたクルー。メンバーは10人前後で、そのうちの7人がMC。メンバーのうち半数以上が薬物に関わった経験があるとされ、その中でも後にソロ曲を紹介するBESは薬物関連で2度も逮捕・服役している (同名のレゲエアーティストも存在するので間違わないよう注意) 。主に川崎駅周辺から横浜までを活動拠点としており、この曲は特にHood感満載な出来となっている。
まずは冒頭のSEEDAバースから見ていく。ちなみにSEEDAはHIPHOP関連の人物にインタビューを行いアップロードしていくYouTubeチャンネル「ニート東京」の発起人。
滑らかに文字を埋めていくフロウ。韻の量も凄まじく、この長さのバースで意味を通している技術には脱帽。「No good but guerrilla」は訳すと「ゲリラ以外じゃダメだ」。薬物を売り金を稼ぐ日常を嘆くような詩。
【用語】
Lolo・・・内密に。
Powpow・・・警察の隠語。サイレン音が由来。
Hustle・・・一般的には「なりふり構わず (博打や売春など手段を問わず) 稼ぐこと」を意味するが、日本語ラップでは主に薬物を売りさばくことの隠語として使われる。カタカナでは「ハスリン」と書く。頻出用語。
Old school・・・昔の、昔ながらの。
【用語】
Smoke・・・一般的にはたばこを指すが、「大麻を吸う」の意味で使われることもある。
パラノう・・・あまり一般的ではないが、恐らく幻覚や極度の勘ぐり等のバッドトリップ症状の表現。
黄金町は2005年に一斉摘発が行われるまでちょんの間が点在していた有名な元風俗街。「無法なはずが入ってきた奴ら/赤灯ばっかなんなんだあれは」はまさに摘発が行われたことを指している?
【用語】
Dro・・・水耕栽培された大麻。Middleはサイズか?
Hash・・・大麻樹脂のこと。
Honey・・・恋人。
Hustler・・・Hastleする人間。「薬物を売り捌く人」の意だが、実際の売人を指す語はpusher、プッシャーなので注意。HustlerはあくまでHustleというスタンスの上で自称する場合の表現。
【用語】
Freak・・・異常な人間。ただしポジティブな意味で「天才」として使われることもある。
Cook・・・一般的には料理することを指すが、薬物と強く結びついた文脈においてはコカインを精製することを指すこともある。コカインの精製過程は非常に複雑であり、これを上手くやるからという理由で「シェフ」の異名を持つラッパーも存在する。
Crack・・・コカインの隠語。
Bloke・・・「男」の意。
⑦鬼 - 小名浜 (2008) (動画URL先字幕と投稿者コメント欄に歌詞あり)
二度の服役を経てMSCのMC漢のもとを訪れてアーティスト活動を始めたという経歴の、ガチガチラッパー。小名浜とは福島県いわき市南部の地域であり、鬼の出身地でもある。先述したSCARSや、MSCなどと並んでアングラハスリンラップの代表として謳われるクルー、JUSWANNAのメンバーとも面識があり、各ラッパーの客演 (フィーチャリング) でも圧倒的なラップスキルを見せつける。
バース1の17小節目からの部分を見てみよう。
ここでの「旅打ち」はHIPHOP用語ではないためここで説明するが、旅をしながら賭博で生計を立てることを指す言葉である。地元を離れて行ったり来たりする自分のことを、地元の港でよく目にしたカモメに例えるという、自身のルーツの受容と自虐的な感情が見えるリリック。ソープ嬢以降の描写も、もはや美しく見えるドス黒さをたたえている。
バース2の後半とHookを併せて引用する。
「赤落ち」は実刑が確定し刑務所へ行くことを指す言葉。この言葉は直前の落葉の描写と繋がり、この秋の描写が更に遡って「独房は妙に暖かい」という描写と繋がってゆく。
これ以上の説明は必要ないだろう。
⑧BES - On A Sunday (2008年) (動画URL先コメント欄に歌詞あり)
先述したSCARSに所属しているラッパー、BES。SCARSにはハスリン経験者も所属していたとされるが、BESは純粋なジャンキーであり、2度の服役を経験している。この曲の入っているアルバムは、Skitでかなりリアルな《えずき》が収録されており、ジャンキーの一日を通しで追体験させられるようなものになっている。アルバムは、薬物所持で捕まった男の心境を描くこの曲で〆られ、構成の綺麗さが光る (が、《えずき》が本当にリアルすぎて貰いゲロをしてしまいそうなので私は二度とあのSkitを聴けないと思う。ひとにおすすめもあまりできない)。
小咄だが、このアルバムをリリースした当時にはまだ逮捕歴はなく、その翌年にBESは本当に逮捕されることになる。また、二度の服役を経て薬物を断った弊害か、この間リリースされたEPではアルコール中毒になりかけている旨の曲が収録されていた。アンタねえ…。
この曲の構成は「生まれた子どもを放っておきながら薬物に手を出し逮捕されるバース1」「出所後の後悔を歌うバース2」「子どもへはもう届かないメッセージを歌うバース3」、そして各バースの終わりに必ずHookが入るというしっかりとしたものになっており、その分描写も丁寧だ。ここでは特にバース2を見ていきたい。
出所後のはずのバース2では「落ちてくまた転がる様に 嫌になるそれでも手の鳴る方に」というリリックが入る。この男は、服役後出所してからもまた薬物に手を出し、そんな自分を「バカなパパ」として自虐しているのである。そうして自虐して「痛くなる場所」を「煙で覆う」、つまり煙草、もしくは大麻を吸うことで誤魔化そうとしている、どうしようもない人間像が描かれる。
このような描写の後に来る、「子どもへのメッセージを歌うバース3」は、リリック上の世界では子どもへと届くことはなく、歌詞として読んでいる我々にも響きにくい。だが、リリック上の主人公、もしくは当時もジャンキーであったBESに感情移入を行えば、バース3は「子どもに届かないからこそ我々に痛いほど届くリリック」となるのである。
そして三度目のHookが来る。
曲として、アルバムとして。このHookは、最低にして最高の終わりを迎えるのである。
なお、BESはインタビューにて、拘置所生活を支えてくれた差し入れ本について語っている。文芸好きの方は目を通してみても面白いだろう。
あとがき
まずはここまで当記事を読んでくれたことに感謝したい。13000字弱 (+8曲) もの量になってしまったが、その分この記事を余さず読んでくれた方の、日本語ラップに触れるための力になっていることを願う。
曲選がいささか自分好みのものになってしまったこと、そして広く網羅できなかったことの二つが反省点だが、Trapが台頭していく以前の日本語ラップ、特にアングラ界隈の比較的知られている部分は抑えることができたのかなと思う。これを機に気になった詩があれば、そのラッパーの別の曲などを漁ってゆけば必ず良い曲に巡り合えるはずなので、是非そうして頂きたい。
時間があればJUSWANNAやNORIKIYO、MONJUあたりのラッパーの曲についても追記したい。って、全部アングラになっちゃうじゃん。もちろん私も日本語ラップについての全てを知っているわけではないので、この記事のテーマにそぐうラッパーをご存じであったり、この記事における用語の説明等に間違いがある場合は指摘していただけるとありがたい。
以上。
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