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邦人作曲家シリーズvol.7:平石博一

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載

平石博一

*musée 1998年7月20日(#14)掲載

A写

Photo by Minako Kumaya

自主制作というかたちをとり、CDのリリースを活動の中心に据えるという平石博一。まとまったかたちで彼の音楽に接する機会はこれまでなかなか与えられなかったが、これにより彼の存在(音楽)は一気に近づいてきた。そのあたりを本人に語っていただいた。自作のみによるアルバムを4枚同時にリリースするという企画は、メジャーではたぶん不可能なことであろう。しかし、CD-RからCDを作るということが容易になったことから、個人レーベルをたち上げることによって不可能を可能にしてしまった。1枚がアコースティックな空間、ライヴ収録によるもので、残りの3枚はすべてコンピュータ打ち込みによる制作である。打ち込みが多くなってきたということは、経済的な問題が大きな理由である。が、今はその状況を素直に受け入れ、打ち込みだからこそ出来る音楽というものを意識的に生み出そうとしている。

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 どんな音楽をやっているのですかと問われたとき、返答に多少困っていた。出来ることなら、ミニマル・ミュージックをやっています、という風には答えたくなかったからなのだ。ミニマルの枠からは常に自由でありたいと考えていたからである。しかし、最近は自分の言葉でミニマルをやっています、ということを抵抗なく言えるようになってきた。現代音楽といわれるフィールド以外の場で音を聞いてもらえることが少しづつ多くなってきたこともその理由のひとつでもあるし、CDという形にすることで、具体的な音にすぐに触れてもらうことが可能になったことも大きい。音を聞いてもらわなければ言葉だけが空回りしてしまう。既成のジャンル分けの言葉ではしっくりこないボーダーレスの音楽と言ってもよいが、逆説的な表現になるが既成の音楽に近いところもあるということが問題を複雑にしている。表面的な音楽の形態は一様でないというのが、客観的にみた私の音楽のひとつの特徴であるだろう。だが、その現象はどの様に違っても、その共通項はミニマルであるということも事実である。アルバムの統一性を損なわず、それぞれの音楽を可能な限り多く聞いて欲しいという私の願いから、複数枚のリリースということになった訳である。さらに、たぶん常識的な感覚からすれば多すぎるということになるかも知れないが、数カ月ごとに新しいアルバムがリリースされるということを計画している。何故か。本来ならば、コンサート等のライヴな空間がひとつの理想であるし、可能な限り展開したいものなのだが、経済的な問題という避けて通れない障害があり、コンサートをたち上げることは簡単には出来ない状況になっている。そこで、CDという形で作品を世に出していくということを現在の活動の中心に据えようということなのである。

 『響きは大気の彼方からやってくる』が、今回唯一のライヴ収録のアルバムであるが、近年、ピアノ曲をたくさん書きつつあるということが、ここに反映されている。冒頭の《風光る時》というピアノ曲は、私自身かなり思い入れのある音楽のひとつで、徹底して単旋律でピアノ音楽を書こうとしていた時期のものである。この単旋律という言葉は文字通りというわけにはいかないかも知れない。というのは、ペダルを多用しているということで実際の響きは必ずしも単旋律という風には聞こえないということである。楽譜として上下に音が重ならないということで単旋律と私は呼んでいるわけだが、不必要な装飾的な音は極限まで排除するという姿勢がこの様な形に辿り着いたといえるだろう。そして、このピアノ曲は数多くのヴァリエイションが展開されつつある。ヴァリエイションの展開ということは、私にとって重要な仕事のひとつになりつつあって、同じアルバムの最後の曲《風光る》は、同じ素材による再作曲といえるひとつの例である。教育楽器である鍵盤ハーモニカのアンサンブルという多少特殊な世界ともいえる、奇妙な魅力がある「P-ブロッ」というグループのために書いたものだが、そのキャラクターが明らかにこの音楽の独特な力の原動力になっている。単旋律という構造は消え、同じフレーズがずれていくという立体的な進行を中心に展開される。そして、音色的な素材が新たな世界を引き出すものとして、『風』に収録された《風光る時》がある。基本的にはサンプリングされた音素材をコンピュータで演奏するというものだが、想像力(創造力)を刺激する原動力が音そのものである。音のカタログといってもよいが、頻繁に音色がいれ替わるというこの構造は明らかにコンピュータとMIDIの存在がもたらしたものである。

 『風』の最後に収録された「声は旋回する」は、パーカッシヴなヴォーカルアンサンブルというポップな世界に入っているが、実はオリジナルはピアノソロである。今回のアルバムではこのひとつのヴァージョンしか収録していないが、すでに10曲以上のヴァージョンがあり、《風光る時》と違って全て異なったタイトルが付けられている。《アップ・トゥ・デイト》という文字も3箇所に見ることが出来るが、これもいろいろなヴァージョンが展開されつつある。オリジナルはピアノ連弾。収録された野村誠、江村夏樹による演奏は名演。というより快演と言う方が正しいのかもしれないが、痛快な演奏に会場にいた皆さんが喜んでくれたという記憶がある。演奏についてさらに少し触れると、ピアノ曲《風光る時》は、すでにいろいろなピアニストによって演奏されているが、そのどれもが違った表情をしており、演奏によるヴァージョン違いというものも楽しませてもらっている。これは演奏家がもたらしてくれる幸せである。今回の井上郷子の演奏は、たぶん私のオリジナル楽譜の表情を一番素直に表現した標準的ともいえる演奏ではないだろうか、しかし、標準的な演奏という言葉は慎まなければならないだろう。そう、本来標準的な演奏などというものはないのだ。それぞれの演奏がそれぞれのヴァージョンとして生きているのだ。井上郷子さんによるもうひとつの演奏曲「ア・レインボウ・イン・ザ・ミラー」もコンサートのライヴ録音という良い意味での緊張感のある世界が出ている。

 『風』は、私の最近の仕事の、ひとつの集大成といえるかも知れない。《今日は西風が吹く》や《めまいの風》などに特徴的に現れる、ほとんど同じフレーズが、振動するように、少しづつずれてたたみ込まれるように進行する音楽というのは、私の音楽の重要なひとつの顔である。そして、《風の中へ》の様な、ビートが前面に出てきて、サンプリングされたノイズや声、楽器音が組み合わされていく、という、この様なタイプの作品は、さらに多く作りつつある。この様な仕事が出来るようになったのは、舞踏や映像作家とのコラボレーションの機会が増えたということが大きい。一聴してロックやテクノのように聞こえることがあっても、大衆性が欠落しているということも特徴かもしれない。なぜなら、基本的に機能和声的進行というものがないからである。それは1コードによる音楽だからである。否、コードがいくつもあるにしても、ブロックをただ並べただけのように、ただ存在するだけなのだ。しかし、大衆性を意図的に排除するということをしているわけでもない。常套句を利用するということを拒否しない立場をとっている。したがって、映像作家とのコラボレーションの仕事を収めた。『ミズの記憶とテマトロジー』は中間部の典型的なミニマルを除くと、ロックやテクノに限りなく近いといえるだろう。そして、舞踏やパフォーマンスに付けられた音楽を収録した『WAITING』は、アルバムの大半はノイズ的なもので占められているが、中間の10分程の舞踏に付けられた音楽はドラムとベースが主体となったミニマル・ロックといえるだろうし、最後の3分半程の短い音楽は、ほとんどテクノというべきものかもしれない。そう、94年にリリースされた、フォンテックから出されたアルバム『プリズマティック・アイ』の前半の電子音楽部分について、某一般誌が「これはテクノだ」と明快に書いていたのを思い出す。(TEXT:平石博一)


■プロフィール
1948年生まれ。独学で作曲を修得。70年代から80年代にかけて主にポピュラー・ミュージック、商業音楽系の作編曲やレコーディングの指揮などを行う一方、自作の発表を行うという独自の活動を展開してきた。ミュージック・スペースというグループ展で作品を初めて発表した72年から、一貫してミニマル・ミュージック的な作風を追究し続けてきた、日本ではほとんど唯一の存在。クロノス・カルテットガ平石の作品を採り上げるなどし、近年ますます注目度が高い。
http://hiraishi.info/


1WAITING
2響きは大気の彼方からやってくる
3ミズの記憶とテマトロジー
4風 ーcazeー
5江村夏樹プレイズ平石博一
6アウラ
7オーケストラプロジェクト’97

SONIC ARTS 
平石博一公式サイト




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