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邦人作曲家シリーズvol.22:ホッピー神山(text:松山晋也)

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載


ホッピー神山
INTERVIEW・WORDS/松山晋也

*musée 2001年5月20日(#31)掲載

ホッピー神山

「結局、これだけ、というのがイヤなんだと思う。ほんとはその方が音楽家としてはわかりやすいんだけど。例えば、CDショップでも、置かれる場所がはっきり決まってた方がセールス的にはほんとはいいわけで。でも、それも私は嫌いで。ここに行けば私の作品があるとリスナーに思われるのがイヤなんです」

 と語るホッピー。ほんと、その通りだろう。つくづくこの人は、カテゴライズできない。音楽的にも活動の場も、そして人間的にも。ノイジーなフリー・ミュージックからお茶の間オリエンティッドなポップス、あるいは端正にスコアリングされたシリアスな室内楽まで、作・編曲家/キーボード・プレイヤー/プロデューサー/インディ・レーベル主宰者として、この人はまったく分け隔てなく手掛 けてきたし、次に何をやるのかほとんど予想もできない。「脱境界」「ボーダーレス」というのは、様々な社会・文化事象においてこの 10年来言いふるされてきたタームだが、ホッピーの場合は、この「脱境界」「ボーダーレス」というのともちょっと違う気がするのだ。 いや、「脱境界」「ボーダーレス」ではあるけど、更にもっと先に ある何か、あるいはもっと根源的な何か、をそのカジュアルで予測 不可能な身振りは孕んでいると言った方がいいか。

「時々女装して演奏するのも、男と思われるのがイヤというか、かといって女と思われるのもイヤなんだけど。こういう取材の場でも、この人はどういう人かなとわかろうと思ってインタヴューされると、かえって全然わかんなくなるみたい。言ってることはバラバラだし、思いつきが多いし。でも、この人はどういう風に音楽を楽しんで生きてるのかなというように接してもらうとわかりやすいと 思うんですよ。だいたい小さい頃から、そういうわかりにくい人の音楽、カテゴライズされにくい音楽に惹かれた。シュトックハウゼンなんかいい例ですね。何やってんのかわからない、なんでこんなこと一所懸命にやってるの、みたいな不可解な作品が少なくないし、彼自身もそれを面白がっている向きもある。ザッパもそうだった。そういう音楽を聴くと、よしよし、やってるね、って感じ。シリアスに思わせるようなものが好きじゃないのかもしれないですね。エンターテイメント性のある音楽ならすべてOKみたいな」

 この人はきっと、生まれついての撹乱者、逸脱者なのである。一応これまでの逸脱ぶりを、簡単におさらいしておこう。

 80年代にはアヴァン・ロック・バンド、PINKを足場に、キーボード奏者、アレンジャー、プロデューサーとしても活動の場を広げ、90年代に入ると、自らインディ・レーベル【ゴッド・マウンテン】を設立、自身の関わる作品も含めて、プロデューサーとしてこれまでにたくさんの良質な作品を送り出してきた。現在休止状態のものも含めて、この10年ほどで彼がメンバーとして関わってきたユニットを列挙すると、PUGS、O☆N☆T☆J、FOMOFLO(米女性マルチ・プレイヤー、エイミー・ディナイオを含む)、オプティカル、バブル・マン、サボテン、ストラヴィンスキーズ・ディック(エミ・エレオノーラとのドラッグ・クィーン・ユニット。二人でグランド・ピアノを連弾する)、The POOOL(NYのヴィデオ・アーティ ストとのユニット)、プラハ(岡部洋一他との生トランス・ユニットの)等々。で、「それらのユニットの明確な位置付け、コンセプトは特にない。彼らとやればこうなるんじゃないかな、というメンバーに対するイメージだけで直感的にやったものばかりです」とも。

 数年前には、宮本亞門のミュージカル『サイケデリック歌舞伎・月食』の音楽で内外から絶賛されたこともあったし、最近は、新たに【ゴッド・オーシャン】レーベルを始動させ、戸川純の久々のニ ュー・アルバム『20th Jun Togawa』などの話題作をリリースしたりもしている。そしてもちろん、そうしたインディ・シーンでの自在な活動と並行して、メイジャーでの仕事も忙しくこなしているわけで、去年惜しくも解散してしまったが、センチメンタル・バスのプロデュース/アレンジ・ワークは、まさにこの人ならではの硬軟入り乱れた巧妙な仕事であった。また、去年、サックス奏者沢井ゲンジと共に、大学生が運営するネット上のインディーズ・チャートCCJを立ち上げ、インディー・シーンの活性化を更に推進させていることも見逃せない。

 最新の大きな話題としては、台湾系女性監督シューリー・チェンによる映画『I.K.U.』のサントラが挙げられよう。これは、デジタル・アートを駆使したネット・サーフィン感覚のSFポルノ映画で、 サンダンス映画祭など20以上の国際映画祭で話題を集めた問題作だが、ここで、激しくもドリーミーなミクスチュア・サイバー・ミュ ージックを提供しているのが、DJ−Force、プログラマー/ギタリストの菅原“SAGUARO”弘明(坂本龍一や高橋幸宏などの作品で有名)、そしてホッピーの3人から成るサボテンである。配給元のアップリンクからは2枚組のサントラCDもリリースされたが、それと同時期にサボテンとしての3枚目のオリジナル・アルバム『Kali』もコンシピオから発表された。

「サントラは、以前アメリカのアンダーグラウンド系のフェティッシュものをやったことがあったけど、今回の『I.K.U.』にしても、あるいは亞門さんの『月食』にしても、結局いつも、キワモノ的作品の時に私は呼ばれるみたい。他に頼める人がいないから振る、みたいな。発注者自身からそう言われちゃうんです(笑)。別にそれをアピールしてるわけじゃないんだけどね…やっぱ、仲良くできる 人のヴァイブレイションがあるのかもしれない」

 とまあ、その活動は、まことにめまぐるしく、軽やか。そして一貫して精神的にインディペンデントである。メイジャーでのプロデュース仕事で、ポップ系の若手ミュージシャンたちに、あれこれ新しい知恵や技を授けて、逆に、レコード会社側から迷惑がられたりすることもしばしばだと苦笑したりも。

「知れば表現の世界がもっと膨らむわけで。たくさんの引き出しを持ってもらいたいんです。メイジャーでのプロデュース仕事の場合は、基本的には売れるものを作ろうと思ってやってますが、その中にも自分の理想、音楽的姿勢をしっかり示したい。それが今の日本の音楽業界の中ではウザったがられる類のものだということは自分でも十分わかっているけど、若いミュージシャンたちが使い捨てにされるよりはいいかなと思うし」

 音楽に対するこの真面目さ、真摯さが、ちゃんと評価され、具体的な形となって現れるような世界であってほしいと今願っているのは、私だけじゃないだろう。

 ホッピーが次にやりたいのは、音楽以外の分野でのコラボレイションだという。実際、ベルギーの前衛コレオグラファー、ヴィム・ヴァンデケイビュスのダンス・カンパニーとのコラボレイションの案はだいぶ前から進行中だ。「やるとなったら、半年ぐらいブリュッセルに住まなくてはいけないし、予算の問題もあってなかなか難しいんだけど」。あと、シンガポールの総合アート・プロデューサー、オン・ケンセンの汎アジア的作品の音楽も頼まれているという。その作品のコンセプトは戦争だが、彼はそこで、木管楽器だけを使い、極力小さな音だけで音楽を作るつもりだと言う。

「もう何年も頭の中で鳴ってる音楽があってね…。さすがにそろそろ体力的にはきついんだけど、音楽を作ることに疲れたことは一度もないです。やりたいことが多すぎて。それをどうやって片付ければいいのか、と…」。

 悩めるエンタテイナー、ホッピー神山。逸脱は一生涯続くはずだ。


■プロフィール
1960年生まれ。キーボーディスト、作曲家として、さまざまな分野で活動する邦楽界の重鎮。19歳の時にバンド“ヒーロー”のメンバーとしてプロ・デビュー。ジャパニーズP-FUNKの草分けバンド“爆音銃-BOPGUM”や、近田春夫の“ビブラストーン”など、歴史的なバンドに在籍し、83年に“PINK”を結成。6枚のアルバムを発表し、ロンドン公演も行なうなど、80年代を代表するバンドとなった。91年に初のソロ・アルバム『音楽王』を発表。翌年に発表したニューヨーク録音による続編『音楽王・2』をきっかけに、インターナショナルな音楽活動を展開。さまざまなアーティストを育成、プロデュースしている。

OST/I.K..
ホッピー神山
[アップリンク ULR-009IKU] 2CD
KALI
THE SABOTEN
[GOD OCEAN/CONSIPIO COGO-0103]

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