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into雑談中~新ドラマと不登校と言語化と~

自己紹介&近況報告

みなさん、こんにちは。
intoのちっひーです。

最近は秋祭りでの
神楽奉納準備でいっぱいになっております。
今年は、舞と笛だけでなく、
太鼓もやることになりそうです。
もはや一人何役になるのか、
神楽を極める日々です。

私たち、intoは
「自分に帰る」をコンセプトに、
話したり、書いたり、作詞したりと
「言葉にする」ワークショップを
届けております。
intoのコンセプトや理念はぜひ、
こちらの記事を見ていただけると幸いです。
↓詳しいコンセプトや、熱い思いはこちら!

↓企画の裏側も綴ってます

新ドラマ、見てますか?

10月になって、新ドラマの広告が増えてまいりました。
私は普段、ドラマおろか、テレビもあまり見ないのですが、
とあるドラマを見ようか今、悩んでおります。

そのドラマのタイトルは
放課後カルテ

超ぶっきらぼうな小児科医が
保健室の先生に。
子どもたちの見えない病に
向き合っていくストーリーです。
(こんなすごく雑なあらすじじゃなくて、
ぜひサイトをご覧ください…。)

このドラマにはキャッチコピーがあります。
それが
学校は、見えない病であふれている
というものです。

私はこのキャッチコピーに
深く共感しましたので、
色々と綴りたいと思います。
↓今日のnote担当

↓元不登校、綴るシリーズ

見えないものを理解する努力

風邪や擦り傷など、症状として見えるものは
本人じゃない人でも
気付くことができますよね?
その人に対して、
手を差し伸べることも
何一つおかしいことはありません。

でも、見えない病
本人じゃない人も、ときには本人
分からないものなのです。
そして、その原因を
怠惰などの本人の行動に
擦り付けてしまいがちなのです。

先生や保護者などの大人は
この見えない病の存在を認めることが
必要なのではないかと私は思います。

私は抗うつ薬によって、
授業中寝てしまうことが多々ありました。
もちろん、授業中寝ることはいけないことだと
私も分かっていましたが、
記憶がなくなるように眠ってしまうため、
担任に何度も相談していました。

担任は
「学年の先生、教科の先生に伝えておきますね。」
と言ってくれました。
しかし、とある授業で寝てしまったとき、
その科目の先生から
「授業中寝るなど、言語道断。
どうせ前日寝てないだけだろ。」
と言われました。
授業中寝てしまった私が悪いのですが、
担任にこういうことを伝えてて、
その情報を聞いているか確認すると、
そんなことは知らないと一刀両断。
私の事情や思いなど、教科の先生おろか、
担任にも伝わってなかったようです。

受け取ったふりだけはしないで

じゃあ、どうするのが正解なのか、
不登校経験者として、
何が正解な対応だと思うのか、
問われるときがあります。

先にはっきりと伝えておきますが、
正解はないです。
確かに、不登校というものを経験したというのは
事実です。
でも、同じ理由の不登校でも、
欲しい対応は人によって違うのは
当然だと思います。

不登校問わず、悩む子どもの前において、
真正面から受け止めることが
必要なのではないかと
私は思います。

不登校云々関係なく、
誰しも悩みを抱えながら生きているものです。
年代なんぞ関係ないのです。
バイト先の塾でも、
たまに相談されることがあります。
勉強のこともそうですが、
友達や恋人、ときには家族のこと
色んなことを抱えています。
ときには、本人ではなく。
その保護者さんからも
相談を受けることがあります。

そのときに私が意識していることが
いくつかあります。
まずは、話を最後まで聴くということです。
せっかく話をしたいというタイミングで、
私が途中で話の腰を折るのは
その人に対して失礼ではないかと
個人的には思います。
まずは、待つ!という心持を
最初は意識しています。

思考を分けることで、伝えられることがある

そして、
一通り話を終わったかなというタイミングで、
思考を2つに分けます。
全力共感」と「一般社会思考」という
2つに分けることを意識しています。

全力共感」は、その名の通り、
「そうだよね、分かる」という
共感を伝えます。

全てに共感できないときは、
「この部分は理解できるよ」という
部分的な共感でもいいと思います。
このときに、嘘をつくのではなく、
相手の性格や立場を想像した上で
「それはつらいね」と伝えています。

ここではなるべく嘘をつきたくないですし、
自分のものさしではなく、
相手のものさしに沿った感覚
伝えたいという私の思いです。

もう一つの思考は
一般社会思考」です。
ある程度の一般社会における価値観を
頭の中にはいれておきます。
子どもの中には
共感=正しい
と思う子もいます。

「あなたは味方だったのに、
他の人からは否定された!
正しいのは、共感された私じゃないのか!」
という勘違いを引き起こしかねません。
共感は安心感を与えたいのであって、
正しさの証明ではないと思います。

だから私は、
それは世の中の人から
否定される可能性があることも伝えます。
もちろん厳しいことを言うタイミングもあります。
でも、「こういう意見もあるということを
知っておく必要があるんだよ」
ということまで伝えることが大切だと思います。
個人的に、共感された上での意見は、
わりとすんなり聞いてくれることが多い
イメージです。

そして、その上でどのようにしたら
自分も社会も納得して生活できるのか
一緒に考えます。

解決策まで考えないと
次のステップに進めないので、
そこは一緒に考えることを強くおすすめします。

言語化って難しい

私は別に心理を学んでいるわけではないので、
今まで書いていることは
個人的な意見に過ぎません。

でも私は人よりも少し
悩んできた回数と、
当事者であった事実と、
人を見て考えるタイミングが
多いのだと思います。
その私が今できる最大限の言語化がこれです。

学校は、見えない病であふれている

この病を、先生や親に伝えるのは
当事者の子どもにしかできません。
でも、言語化でめっちゃくちゃ難しいものです。
小・中・高、どのタイミングの私も
ここまで冷静に、ここまで分かりやすく
言語化できなかったと思います。

だからどうか、
これを見ているあなたは
子どもが何か伝えようとしているとき、
真正面から受け止める」ことを
実践してもらえると嬉しいです。

今日はここまで!
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
次回以降の記事もお楽しみに!


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