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【エッセイ】不安定を楽しむ。

秋になった。
この前まで猛威をふるっていた夏は、もう去っていこうとしている。
朝と夜は肌寒い。毛布が恋しい。

秋特有の、急な気温の変化。
とはいえ、年を重ねるごとに遅くなっていってるようにも感じる。
少し前なら、9月の後半には気温が下がって、今ごろはもう十分涼しかった。
日本の四季が狂い始める。もう止めようがないのかもしれない。

この急激な温度変化で、体調を崩す人も多いだろう。
お腹が痛い。
喉が痛い。
風邪をひいた。
私もここ数日ずっと心臓が痛い。
おそらく「適応」という、カラダの機能が生み出すストレスによるものだろう。

とにかくカラダが気候にもてあそばれて、安定しない毎日。
でも、つらくはない。
むしろその「不安定」が楽しく思えてしまう。

なぜだろう?
この問いについて考えてみたら、1つの答えが浮かび上がった。
秋は四季の中でも「不快感」が少ないのではないか。


まず春について考えてみる。
春は暖かいし、桜もキレイだ。
しかし、一部の人にとっては「花粉症」というイベントがある。
そこら中に舞う粒子たちに粘膜がやられる。
目はかゆいし、くしゃみは止まらない。
マスクをする、薬を飲む、といった対策をしないと、春をやり過ごすのはなかなかしんどいのである。

春が夏にバトンを渡すとき、日本の空は雨雲で覆われる。
そう、梅雨である。
曇り時々雨というルーティーン。
じめじめとした天気に、ココロが引っ張られる。
片頭痛のような気象病を持っている人からすれば、毎日が戦い。
天気が「気圧」というカードをちらつかせている。
たまったもんじゃない。

その梅雨を乗り切っても、待ち構えているのは猛暑の日々、ときどき台風。
私たちを照らしてくれている太陽に憎しみを覚えてしまうほどにあつい。
ちょっと外に出るだけでも、カラダは水気を帯びる。陽射しが肌に針をさす。
だれでも簡単に熱中症になれる。
かといってクーラーの効いた部屋に籠っていると、外に出たときに気温のギャップにやられてしまう。
暑さ対策が「あたりまえ」と化したこのご時世。
生き死にさえゆがめるこの夏は、映画じゃない、僕らの夏だ。

逆に寒い冬はどうだろうか。
雪が降ると、交通インフラが止まってしまう。
それに、とにかく乾燥する。
保湿を怠れば、パックリ割れでゾンビのような手になってしまう。
インフルエンザなど感染症にかかってしまうリスクもある。

私にとっては、花粉症の春、片頭痛の梅雨、灼熱の夏、乾燥の冬。
みんな違って、みんなしんどい。

では、秋はどうだろうか。
多少花粉はあるけれど、スギほど脅威ではない。
そして、突然やってくる気温の変化も「適応」さえしてしまえば、乗り切れる。
涼しくて、ほどよく乾燥している。
不快感が少ない、過ごしやすい季節。
それが秋の一番魅力なのではないか。


しかし、この時期は危険性も孕んでいる。
カラダが適応できても、それにココロが追いつけない。
カラダとココロの間に生じる、感覚の乖離。
それにより、生活リズムが大きく崩れてしまう。

実際のところ、今の私はオールしてしまうこともあれば、12時間眠ってしまうこともある。
不眠と過眠、それが天使と悪魔のように、日替わりで私を支配する。
自分の意志に逆らって、カラダは回る。

そんな生活を繰り返すと、脳は深く考えることをやめてしまう。
勉強がうまくいかないとか、予定通りに動けないという日々の悩み。
そして、ココロの中で熟成されてきた悩み。
私を構成する悩みに使われるエネルギーがなくなるため、目の前の情報をひたすら処理することしかできない。
無駄に考え込むことがなくなるから、精神状態が少しよくなる。
だから、生活の断片を楽しめる。
できなくても、たりなくても。
なるようになるのさケセラセラという気持ちで毎日を送れる。

でもそれは危険の種。
いくら取り繕っても「悩み」は消えない。
根本でうごめく原因を取り除いてあげない限り、なにも救えない。
私は今、見ないふりをしている。
ホウセンカのように、種はいつか弾けてしまうかもしれないのに。
これでいいのだろうか?
回らない頭で、葛藤する。

やることはちゃんとやらなきゃ。好きなことは楽しいと思っていたい。でも楽しいことばっかりもいけないし……
脳内会議で、いろいろな意見が飛び交う。
そのとき、一つの思考から言葉が放たれた。
「楽しめるだけ、マシじゃない?」
全思考が黙った。言い返せなかった。

「行動できない」という、限りある時間を溶かす悪夢から、覚めたばかりだから。
躊躇して、アンテナを畳んで。好きなことですら手を出せなくなってしまった。

「楽しむ」ができなくなるサイクルは、もうすでに私のカラダに組み込まれてしまっている。
また、悪夢を見ることになるかもしれない。

今「楽しい」を受容できているだけでも、この前よりは成長できているはずだから。


私は、普通の大学生になるのを諦めた。
今の状態で働くことなんて難しいし、たんたんと学業に励むのも無理になった。
通信制を選んだのは、失ったものを取り戻すリハビリが必要だと思ったからだ。
いわば、自分のペースで社会に出られる「猶予」を得たのである。

そして「楽しい」を取り戻せているなら、リハビリのはじめの一歩として十分ではないだろうか。
ゲームがしたい。映画を見たい。人と話したい。
「欲」が人を動かす。人を変える。
首輪をつけられた犬が飼い主を慕うように、欲に従順になれる時間も、無駄ではないと思う。


もうすぐ冬が来る。
楽しく不安定な毎日も、冷ややかな空気にさらされて、そのうち覚める。
だから、私は今を楽しめるだけ楽しんでおきたい。







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かぐや
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